フランツ・カフカ覚書 Aufzeichnungen zu Franz Kafka (1883-1924)
フランツ・カフカ(研究)関係の新着情報、気づいたこと、役立つことをメモしています
2013-12-31
「恋するザムザ」
「恋するザムザ」は、主人公がベッドの上で目を覚ますと、カフカの小説「変身」の主人公ザムザに変身していた、という場面で始まる。村上さんは、カフカの真面目な愛読者の反応を心配しつつ「ずいぶん楽しく書かせてもらった」とつづっている。
「シリアスなフランツ・カフカ愛読者に石を投げられそう」とあとがきで語っている。
2013-11-27
MODE カフカ・プロジェクト2013三部作連続上演
12月1日(日)〜4日(水):「失踪者」
12月7日(土)〜10日(火):「審判」
12月14日(土)〜18日(水):「城」
※12/1(日)、12/8(日)、12/15(日)の公演終了後、アフタートークあり
原作:フランツ・カフカ
構成・演出:松本修
MODE カフカ・プロジェクト2013
「カフカ作品の舞台化」の集大成
「失踪者」「審判」「城」 三部作連続上演!!
- 原作:フランツ・カフカ
- 構成・演出:松本 修プロフィール詳細
- 音楽:斎藤ネコプロフィール詳細
- 振付:井手茂太プロフィール詳細
- 美術:伊藤雅子 照明:大野道乃 音響:市来邦比古 衣裳:福田千亜紀
- 舞台監督:大津留千博 演出助手:村野玲子 宣伝美術:大久保篤
- 舞台写真:宮内 勝/益永 葉 アシスタントプロデューサー:綿貫 凜(オフィス コットーネ)
- 制作:オフィス コットーネ 票券:ぷれいす 企画・製作:MODE
- 提携:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
- 後援:杉並区
- 協力:FMG/演劇実験室万有引力/Queen B/ジェイ.クリップ/スターダス・21/ティーファクトリー
- ディアクロス・エンタテインメント/トランスバレンチ/ノックアウト/長谷川事務所/文学座
- ラ・ヴァンス/流山児★事務所/ワンダープロ
- 原作:フランツ・カフカ
- 構成・演出:松本 修プロフィール詳細
- 音楽:斎藤ネコプロフィール詳細
- 振付:井手茂太プロフィール詳細
- 美術:伊藤雅子 照明:大野道乃 音響:市来邦比古 衣裳:福田千亜紀
- 舞台監督:大津留千博 演出助手:村野玲子 宣伝美術:大久保篤
- 舞台写真:宮内 勝/益永 葉 アシスタントプロデューサー:綿貫 凜(オフィス コットーネ)
- 制作:オフィス コットーネ 票券:ぷれいす 企画・製作:MODE
- 提携:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
- 後援:杉並区
- 協力:FMG/演劇実験室万有引力/Queen B/ジェイ.クリップ/スターダス・21/ティーファクトリー
- ディアクロス・エンタテインメント/トランスバレンチ/ノックアウト/長谷川事務所/文学座
- ラ・ヴァンス/流山児★事務所/ワンダープロ
- 【料金(全席指定・税金)】
- 一般4,500円 | 65歳以上4,000円 | 25歳以下3,000円
- 65歳以上・25歳以下はぷれいすのみ取り扱い
- ★三作品セット券★(ぷれいすのみ取り扱い)
- 一般12,000円 | 65歳以上11,000円 | 25歳以下8,000円
- ※開演後のご入場の際は本来のお席にご案内出来ない場合があります。ご了承ください。
- ※未就学児の入場はご遠慮下さい。
- ※座・高円寺の劇場回数券「なみちけ」もご利用いただけます。
- なみちけ1シート=4ステージ分をチケット引換券:
- 一般12,000円 | 割引(学生・22歳以下・65歳以上)10,000円
- 【チケット取り扱い】
- ぷれいす
- 03-5468-8113(平日11:00〜18:00)
- http://place-net.co.jp/mode.html
- イープラス
- http://place-net.co.jp/mode.htmlパソコン&携帯
- チケットぴあ
- 0570-02-9999(Pコード:431-474)
- http://t.pia.jp/パソコン&携帯
- 座・高円寺チケットボックス
- 03-3223-7300(月曜定休|TEL10:00〜18:00|窓口10:00〜19:00)
- http://za-koenji.jpパソコン&携帯
- 〈下記3点に関するお申し込み・お問い合わせは座・高円寺チケットボックス|TEL03-3223-7300まで〉
- ※車椅子スペースをご利用の方は、観劇日の前日までにお申し込み下さい。
- ※障害者手帳をお持ちの方は、座・高円寺チケットボックスでのご予約に限り1割引になります。
- ※託児サービスをご利用の方は観劇日の1週間前までにお申し込み下さい。
(定員あり|対象年齢1歳〜未就学児|要予約|料金:1,000円)
- 【お問い合わせ】
- ぷれいす 03-5468-8113(平日11:00〜18:00)
『失踪者』
故郷のドイツで年上の女中に誘惑され、子供まで宿してしまった17歳の少年カール・ロスマンは両親の手でアメリカへ追い払われた。
ニューヨーク港へ汽船が到着し、上院議員の伯父が引き取ることになった。
裕福な伯父の下で、ロスマンは何不自由ない暮らしに浸っていたが、またしても
伯父の不興を買い追い出されてしまう。
ロスマンは安宿で、文無しのアイルランド人のロビンソンとフランス人のドラマルシュと知り合う。二人は言葉巧みにロスマンに奢らせる。
やがてロスマンは二人を見捨てて高級ホテルのエレベーターボーイになる。
1ヵ月半ほどが経ったとき、酒に酔ったロビンソンがやってきて金をせびり、そのことでロスマンは持ち場を離れ、またしてもホテルをクビになってしまう。
その後ロスマンはドラマルシュの同棲相手の下男として生活していたが、オクラホマの野外劇場の募集広告を見て有り金をはたき劇団にもぐりこむのだった・・・。
ある日電話がかかってきて、Kの事件の審理が行われることが通告される。指定された場所へ出かけてみると、そこは古い長屋でKには裁 判の実態さえわからない。Kはもちろんこの奇妙な法廷で無罪を主張するが、何の効果もない。ついにKは判事をののしって、この法廷をとび出してしまう。
彼 の生活は、破壊されてゆく。いぜんとして彼の法廷闘争は何の効果もあらわさない。伯父の紹介で、Kは弁護士フルトを訪ねるが、弁護士の秘書レーニと関係を 持ってしまい、この訪問さえも台なしにしてしまう。怪しい画家ティトレリもKを助けようとするが、結局Kを救うことはできない。
ある日、寺院のうす暗い中で、ひとりの僧侶に会う。僧侶はKに、「掟」についての伝説を語る。逮捕の宣言以来1年を経た誕生日の前夜、Kはフロックコートにシルクハットを着けた二人の男に連れ出され、刑場である石切り場に引き立てられるのであった・・・。
現 代人の諸問題、特に罪や掟をテーマとしたカフカの作品は、非現実的で不条理な事件を、簡潔・平易な文章で日常の事件のように淡々と描くことによって、それ らの事件に異様な現実感を与えている。はっきりした罪なくして逮捕されるKの物語は、万人が犯しながら気づかないでいる現代人の原罪を追求したもので、カ フカの「罪」に対する思想をよくあらわしている。
『城』
ある村に到着したKという男が、その村を支配する城に辿りつこうとして様々に働きかけるが、村人たちに振り回されるばかりでどうしても果たせない。
城の存在はずっと謎めいたままで、Kが城にこだわる理由も定かではない。その点ではまさしく不条理小説なのだが、ドラマを構成する場面、場面では、カフカの特徴である奇妙で真面目でコミカルな人間模様が展開する。
それは社会制度から発するトラブルや悲哀だったり、男女のままならぬ関係だったりで、そこでの登場人物の言動は卑近で、ときには笑いを誘う。
K をめぐる村人たちのキャラクターも「城」の面白さの一つだ。そっくりな外見で機械仕掛けのように動く2人の助手、Kをいいくるめようとするいかがわしい村 長、仕事に一所懸命だが頼りない伝令の青年などなど。特に魅力的なのがKをめぐる女性陣で、城の官僚の愛人だったフリーダをはじめ、年増の貫録をみせる酒 場の女将から野心に燃える小娘の女中まで、多彩なタイプがそろっている。フリーダには、カフカが「城」を書き始める少し前まで付き合っていた人妻ミレナが 投影されているといわれている。
2013-11-05
Karl Kraus und die Pragerdeutsche Literatur
2013-10-22
国立国会図書館月報631号(2013年10月)23-29頁「本の森を歩く 第11回 中央集権と地方分権の歴史に関する12冊(後編)」
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8321812_po_geppo1310.pdf?contentNo=1
「 だが、帝都北京それ自体が村人にとっては彼岸よりももっと見知らないところである7」
カフカ「万里の長城」1931 年
カフカの作品は多様な解釈を許します。冒頭の言葉のように、帝都
は長城建設という大事業を続ける国家の中心でありながら、村人に
とっては彼岸よりも遠い存在です。両者の間には、広大な空間、中央
の意図を伝達するための複雑で入れ子のような手続、そして官僚機構
が横たわっています。カフカの他の作品でも、村を見下ろす山上にあっ
てどうしてもたどり着けない城や(『城』)、理由の分からないまま逮
捕された主人公が審理される裁判所に(『審判』)、国家や官僚機構の
イメージが重なることがあります8。2006年5月4日付け『朝日新聞』は、
フランス政府が同年秋から「お役所仕事」の非能率さを数値化し、「カ
フカ指数」と命名して公表すると報じています9。
一方、ドイツの社会学者ウェーバーによれば、完全な発展を遂げた
官僚機構は、ちょうど機械が機械によらない生産方式に対するように、
従来の身分的・人格的な関係に基づく組織形態に対し、精確性、迅速
性、継続性などの面で純技術的な優秀さを示すといいます10。カフカ
はボヘミア王国プラハ労働者傷害保険協会に官吏として勤務し、勤務
を通じてさまざまな産業機械に通じていました11。カフカの『流刑地
にて』という小説には奇妙な機械が出てきます。将校が下した判決を
囚人の体に針で書き込みながら処刑する機械で、そうした処刑方法の
正当性をやっきになって証明しようとした将校は自ら機械に入って刺
し殺されてしまいます。この小説が書かれて20年あまりのち、ナチス・
ドイツという独裁国家が誕生し、極端なまでに組織化された管理体制
が敷かれたことに触れた解説もあります12。
7 フランツ・カフカ 著、池内紀 訳『万里の長
城 ノート1』(白水Uブックス 158)白水
社 2006 215 p. <請求記号 KS412-H26>
pp. 182-183. 執筆は1917 年と推定されていま
す。カフカの死後、1931年に出版されました。
8 池内紀・若林恵 著『カフカ事典』三省堂
2003 235 p. <請求記号 KS362-H3 > pp.
107, 110.
9 この指標はOECD 編、山本哲三 訳『世界
の行政簡素化政策 レッド・テープを切れ』
日本経済評論社 2008 22, 251 p. <請求
記号 A311-J44 > p.39 において「複合指標」
として言及されているものと思われます。
10 マックス・ウェーバー 著、世良晃志郎 訳
『支配の社会学 1』(経済と社会 第2部 第
9 章1 節-4 節) 創文社 1960 286 p. (「国
立国会図書館デジタル化資料」のご利用
になります。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/
pid/3447996(館内限定公開)) p. 91.
11 池内・若林 前掲注(8)p. 35.
12 池内紀「「流刑地にて」の読者のために」フ
ランツ・カフカ 著、池内紀 訳『流刑地にて』(白
水Uブックス 156) 白水社 2006 184 p.
<請求記号 KS412-H22 > pp. 181-182.
2013-10-20
(訂正)『カフカからカフカへ』
孤高の文芸批評家ブランショが唯一単独の作家論集として刊行した書。 ブランショ理解の鍵とされる長篇論考 「文学と死への権利」 を収録。 広く読まれるカフカの文学を通してブランショの特異な文学理論が開かれる。
訳者 山邑久仁子
書名 カフカからカフカへ
刊行形態 四六判上製 320p 本体価格3600円(税別)
刊行日 2013年10月20日
ISBN 978-4-906917-18-1 C0098
- 単行本: 320ページ
- 出版社: 書肆心水 (2013/10/30)
- 言語 日本語
- ISBN-10: 4906917186
- ISBN-13: 978-4906917181
- 発売日: 2013/10/30
●著者紹介
モーリス・ブランショ
1907年9月22日、フランス、ソーヌ・エ・ロワール県のキャンに生まれる。1941年、最初の小説『謎の男トマ』を出版、同年より『ジュルナル・デ・デバ』紙で文芸時評の連載を開始。評論集『文学はいかにして可能か』(1942)、『踏みはずし』(1943)、『火の境界』(1949)、『文学空間』(1955)、『来たるべき書物』(1959)などにおいて、文学と言語、死を考察する比類なき文学理念を構築するいっぽう小説の創作も行ない、『アミナダブ』(1942)、『至高者』(1948)、『死の宣告』(1948)、『謎の男トマ(新版)』(1950)、『望みのときに』(1951)、『永遠の繰言』(1951)、『私についてこなかった男』(1953)、『最後の人』(1957)、『期待・忘却』(1962)などを出版。
後期の著作に、『終わりなき対話』(1969)、『友愛』(1971)、『彼方へ一歩も』(1973)、『災厄のエクリチュール』(1980)、『明かしえぬ共同体』(1983)など。2003年2月20日死去。
●訳者紹介
山邑久仁子 (やまむら・くにこ)
上智大学外国語学部フランス語学科卒業。同大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士後期課程満期退学。現在、上智大学、桐朋学園大学他非常勤講師。訳書に『言語と文学』(ブランショ著「文学はいかにして可能か」他二篇)(共訳、書肆心水、2004年)、『ケルト神話の世界』(ブレキリアン著、共訳、中央公論社、1998年)など。
●目 次
文学と死への権利
カフカを読む
カフカと文学
カフカと作品の要請
自足した死
カフカとブロート
ミレナの挫折
語りの声 (「彼」、中性的なもの)
木の橋 (反復、中性的なもの)
最後の言葉
究極の最後の言葉
『カフカからカフカへ』
孤高の文芸批評家ブランショが唯一単独の作家論集として刊行した書。 ブランショ理解の鍵とされる長篇論考 「文学と死への権利」 を収録。 広く読まれるカフカの文学を通してブランショの特異な文学理論が開かれる。
訳者 山邑久仁子
書名 カフカからカフカへ
刊行形態 四六判上製 320p 本体価格3600円(税別)
刊行日 2010年10月20日
ISBN 978-4-906917-18-1 C0098
●著者紹介
モーリス・ブランショ
1907年9月22日、フランス、ソーヌ・エ・ロワール県のキャンに生まれる。1941年、最初の小説『謎の男トマ』を出版、同年より『ジュルナル・デ・デバ』紙で文芸時評の連載を開始。評論集『文学はいかにして可能か』(1942)、『踏みはずし』(1943)、『火の境界』(1949)、『文学空間』(1955)、『来たるべき書物』(1959)などにおいて、文学と言語、死を考察する比類なき文学理念を構築するいっぽう小説の創作も行ない、『アミナダブ』(1942)、『至高者』(1948)、『死の宣告』(1948)、『謎の男トマ(新版)』(1950)、『望みのときに』(1951)、『永遠の繰言』(1951)、『私についてこなかった男』(1953)、『最後の人』(1957)、『期待・忘却』(1962)などを出版。
後期の著作に、『終わりなき対話』(1969)、『友愛』(1971)、『彼方へ一歩も』(1973)、『災厄のエクリチュール』(1980)、『明かしえぬ共同体』(1983)など。2003年2月20日死去。
●訳者紹介
山邑久仁子 (やまむら・くにこ)
上智大学外国語学部フランス語学科卒業。同大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士後期課程満期退学。現在、上智大学、桐朋学園大学他非常勤講師。訳書に『言語と文学』(ブランショ著「文学はいかにして可能か」他二篇)(共訳、書肆心水、2004年)、『ケルト神話の世界』(ブレキリアン著、共訳、中央公論社、1998年)など。
●目 次
文学と死への権利
カフカを読む
カフカと文学
カフカと作品の要請
自足した死
カフカとブロート
ミレナの挫折
語りの声 (「彼」、中性的なもの)
木の橋 (反復、中性的なもの)
最後の言葉
究極の最後の言葉
2013-09-26
エリアス・カネッティ伝記
エリアス・カネッティ伝記 上巻
編著者名 | SUP上智大学出版/発行 (株)ぎょうせい/発売 スヴェン・ハヌシェク/著 北島玲子/黒田晴之/宍戸節太郎/須藤温子/古矢晋一/訳 | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
判型 | A5 | ||||||||||||||||
体裁 | 単行本 | ||||||||||||||||
定価(価格) | 3,675円(税込み) | ||||||||||||||||
本体 | 3,500円 | ||||||||||||||||
ISBN | 978-4-324-09211-8 | ||||||||||||||||
図書コード | 3300019-01-001 | ||||||||||||||||
発行年月日 | 2013年06月15日エリアス・カネッティ伝記 下巻
|
20世紀ドイツ文学を代表する作家、
エリアス・カネッティ初の本格的伝記
本書はノーベル文学賞作家エリアス・カネッティ生誕100年にあたる2005年に出版されたスヴェン・ハヌシェクによるElias Canetti Biographie(ドイツ・ハンザー社)の全訳であり、カネッティ初の本格的な伝記です。
1981年度ノーベル文学賞を受賞したカネッティは、多言語・多文化の横断者であり、文化の多様性とグローバル化の共存という現代の文化状況を考える上で重要な役割を担っている人物です。その作品は大半が日本語に翻訳され、国内でもその重要性が知られています。
ドイツ語圏作家としては、現在、最も広範な影響力を持つ一人といえます。
その伝記自体も、20世紀ヨーロッパの知的交流史としても資料価値が高いものとなっています。
【上巻】
プロローグ「人間は変身する動物である」
一章 伝記嫌い カネッティの反伝記への情熱
二章 「すべてはルスチュクですでに一度起きたことだった」 幼年期(1905−1911年)
三章 どこに行っても模範生
マンチェスター、ウィーン、チューリヒ、フランクフルトでの学校時代(1911−1924年)
四章 「自分の過去の絶え間ない変転」
自伝の根本原則
五章 「おおお、母さんの背中からぼくは厳しい世界に飛び出す」ウィーンでの大学生時代。カール・クラウスという傷(1924−1929年)
六章 一九二七年七月一五日
七章 カネッティは同志か?
ベルリン間奏曲(1928年)
八章 カネッティの主要大量テキスト 断想
九章 「三ページと書かない日はない」
ウィーン時代の交友関係�(1929−1935年)
一〇章 『眩暈』
一一章 不能の享楽家たち
ウィーン時代の交友関係�(1935−1938年)
一二章 「彼はファヌスのように正直だ」
亡命までの非市民的絆
一三章 『結婚式』、『虚栄の喜劇』
一四章 「わたしは芸術家ではないのかもしれない」
イギリスでの亡命生活(1939−1945年)
【下巻】
一五章 一九四五年
一六章 「もはや悪しき本を書かない者は、悪しき世界を周囲につくる」ハムステッドの導師(グル)�
一七章 光り輝く姿と憎しみの偶像
ハムステッドの導師(グル)�
一八章 「わたしは多くの小説のなかで同時に生きる」
ハムステッドの導師(グル)�
一九章 『群集と権力』
二〇章 「わたしは壊れ、燃え尽き、ひとにぎりの灰に」
ヴェーザとの最後の日々。喪の作業
二一章 「自分の本のもとでまどろむことに、彼は飽きた」ついに世間の注目を浴びる(1960年代)
二二章 『マラケシュの声』(1968年)
二三章 ようやく社会に適応
夫にして一家の父(1970年代)
二四章 『耳証人』(1976年)
二五章 チューリヒのノーベル賞受賞者
二六章 死の敵対者
二七章 最晩年(1989−1994年)エピローグ
--------------------------------------
訳者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)
【著者】
スヴェン・ハヌシェク/上智大学文学部教授(アメリカ文学専攻)
1964年生まれ。ミュンヒェン大学で教鞭をとるかたわら、エリアス・カネッティ、ウーヴェ・ヨーンゾン、ハイナール・キップハルトなど主として20世紀のドイツ語圏作家を対象に著書、論文を多数執筆。本書のほか、伝記としては『エーリヒ・ケストナー——謎を秘めた啓蒙家の生涯』(藤川芳朗訳 白水社 2010年)がある。
北島玲子…きたじま・れいこ/上智大学教授
黒田晴之…くろだ・はるゆき/松山大学教授
宍戸節太郎…ししど・せつたろう/國學院大學助教
須藤温子…すとう・はるこ/日本大学芸術学部准教授
古矢晋一…ふるや・しんいち/慶應義塾大学文学部非常勤講師
2013-09-24
柴田元幸氏責任編集の年刊文芸誌「モンキービジネス」英語版にカフカ作品日本語漫画の英訳あり
書籍名 | Monkey Business: New Writing from Japan, 第 1 巻、第 2011 巻 Monkey business 第 第 1 巻 巻, ISSN 2159-7138 |
著者 | Motoyuki Shibata |
出版社 | A Public Space Literary Projects, 2011 |
ISBN | 0021597138, 9780021597130 |
ページ数 | 167 ページ |
Issue 1 Table of Contents
A Country Doctor: a manga by the Brother and Sister Nishioka, based on the story by Franz Kafka
translated by J. A. Underwood
http://www.apublicspace.org/pre-order_monkey_business.html
Issue 2 Table of Contents
A Fasting-Artist: a manga by the Brother and Sister Nishioka, based on the story by Franz Kafka
translated by J. A. Underwood
http://www.apublicspace.org/monkey_b.html
Volume 03 | 2013
THE METAMORPHOSIS - a manga by the Brother and Sister Nishioka, based on the short story by Franz Kafka, translated by Motoyuki Shibata and Ted Goossen, based on the Japanese translation by Osamu Ikeuchi
http://monkeybusinessmag.tumblr.com/issue3
2013-09-03
日本独文学会2013年秋季研究発表会発表要旨
司会:吉田 徹也,川合 増太郎
1.書かない主人公―フランツ・カフカの三長編小説における権力関係と「書くこと」
下薗 りさ
「書くこと」はカフカ文学に通底するテーマのひとつである。この問題を伝記的、実証的そして詩学的側面から多面的に扱ってきたこれまでの先行研究は、一言でまとめると、「書くこと」について書くというカフカ文学の特徴を導き出した。カフカ自身の書く行為に焦点を当てたこの特徴は、作品そのものにも当てはまるだろう。作品における「書くこと」は、ひとつには作中に描かれる書く行為そして書かれたものとして理解しうる。だが、このような「書くこと」は、第一に権力の問題である。『流刑地にて』(1914)における記述する処刑機械と記述される身体の関係だけでなく、例えば『判決』(1912)においても、中心となる主人公と父親の対立が手紙というメディアをめぐる対立となっていることをキットラーが指摘している。
「書くこと」が持つ権力としての側面は、三長編小説『失踪者〔アメリカ〕』(1912-14)、『訴訟〔審判〕』(1914)、『城』(1922)においてますます強く現われる。個人対社会という長編に共通する対立構造が、書かない主人公たちと書く官僚機構との対立という、「書くこと」をめぐる対立となっているのだ。本発表では、カフカの三長編小説における対立関係を「書くこと」という観点から分析し、作家としてのカフカの行為が、「書くこと」を通して「書くこと」を否定する試みを描き出すという、一種の反転を孕んでいることを明らかにする。
::::::::::::::::::::
2.世界の〈破れ目〉と回帰する身体―フロイトとカフカ
山尾 涼
デカルトから始まる理性論の哲学は、キリスト教的な二項対立に基づく思考法を基盤として、精神と身体を区別して捉えた。身体は精神の道具であり、理性によってコントロール可能なものとして措定されたが、その精神の身体に対する優位性を崩れさせたのが、フロイトの意識と無意識の発見であり、これが現在の人間像の成立に多大な影響を与えている。フロイトと同時代に生きたカフカは、文学という見地から、人間の心的装置を捉えようとした作家である。「抑圧されたものの回帰」について、忘却された身体を場として描き出すカフカの視点は、フロイトが人間の心的装置を知覚可能な前景と、無意識的な後景へと分けたことと一致している。彼らは自分自身の身体を、自我にとって「もっとも疎遠なもの」、つまり他者性を秘めた客体として捉えている点で共通し
ているのである。 その際に彼らの洞察のキーワードとして挙がるのは、彼ら自身の「病んだ」身体である。彼ら自身の抱えていた「病い」は、他者性をもって主体に回帰する。いわば内在的な他者ともいえる「病い」へとまなざしを向けるとき、病んだ〈身体〉は他者および身体の洞察のツールとして、どのように機能するのか。人間の精神と身体を無定形の複合体と捉えるに至ったフロイトとカフカの思索の源を巡り、フロイトはそれをどのように証明するか、またカフカはいかに文学として描出したかを探る。
3.カフカのテクストにおける虚構の死―フロイトの「死の欲動」との関連から 須藤 勲
フロイトは第一次世界大戦という時代状況を経験することによって、「死の欲動」の理論を生み出すことになる。それは、彼がそれまでに構築してきた理論では説明できない事象に対処するためであった。カフカもフロイトと同じように戦争の時代を経験しているが、その中でも「自己保存のための戦い」としての文学活動を続けようとしていた。文学によって「内面の生」の描写を求めたカフカにとって、外部の出来事への関心は薄いものであったかもしれないが、外的な状況から自由でいられたわけではない。大戦の進行とともにカフカをとりまく状況は変化しており、またこの頃は社会的な面だけでなく、婚約とその破棄など私的な面でも彼にとって大きな変動の時期であった。そのような状況の変化がカフカの内面の変化につながり、それが彼とテクストとの関わり方の変化に現れていると推測される。特にそれはカフカのテクストにおける「死」の扱われ方に現れているように見える。 本発表では、フロイトの理論を参照しながら、カフカのテクストと「死」の関係について見ていく。ここでの死とは、作中人物の「死」であるとともに、作者によってテクストに与えられる「死」でもある。テクストにおいて「死」がどのような意味を持つのか、『判決』や『訴訟』、『失踪者』などいくつかのテクストを取り上げ、考察を行う。
2.世界の〈破れ目〉と回帰する身体―フロイトとカフカ
山尾 涼
デカルトから始まる理性論の哲学は、キリスト教的な二項対立に基づく思考法を基盤として、精神と身体を区別して捉えた。身体は精神の道具であり、理性によってコントロール可能なものとして措定されたが、その精神の身体に対する優位性を崩れさせたのが、フロイトの意識と無意識の発見であり、これが現在の人間像の成立に多大な影響を与えている。フロイトと同時代に生きたカフカは、文学という見地から、人間の心的装置を捉えようとした作家である。「抑圧されたものの回帰」について、忘却された身体を場として描き出すカフカの視点は、フロイトが人間の心的装置を知覚可能な前景と、無意識的な後景へと分けたことと一致している。彼らは自分自身の身体を、自我にとって「もっとも疎遠なもの」、つまり他者性を秘めた客体として捉えている点で共通し
ているのである。 その際に彼らの洞察のキーワードとして挙がるのは、彼ら自身の「病んだ」身体である。彼ら自身の抱えていた「病い」は、他者性をもって主体に回帰する。いわば内在的な他者ともいえる「病い」へとまなざしを向けるとき、病んだ〈身体〉は他者および身体の洞察のツールとして、どのように機能するのか。人間の精神と身体を無定形の複合体と捉えるに至ったフロイトとカフカの思索の源を巡り、フロイトはそれをどのように証明するか、またカフカはいかに文学として描出したかを探る。
3.カフカのテクストにおける虚構の死―フロイトの「死の欲動」との関連から 須藤 勲
フロイトは第一次世界大戦という時代状況を経験することによって、「死の欲動」の理論を生み出すことになる。それは、彼がそれまでに構築してきた理論では説明できない事象に対処するためであった。カフカもフロイトと同じように戦争の時代を経験しているが、その中でも「自己保存のための戦い」としての文学活動を続けようとしていた。文学によって「内面の生」の描写を求めたカフカにとって、外部の出来事への関心は薄いものであったかもしれないが、外的な状況から自由でいられたわけではない。大戦の進行とともにカフカをとりまく状況は変化しており、またこの頃は社会的な面だけでなく、婚約とその破棄など私的な面でも彼にとって大きな変動の時期であった。そのような状況の変化がカフカの内面の変化につながり、それが彼とテクストとの関わり方の変化に現れていると推測される。特にそれはカフカのテクストにおける「死」の扱われ方に現れているように見える。 本発表では、フロイトの理論を参照しながら、カフカのテクストと「死」の関係について見ていく。ここでの死とは、作中人物の「死」であるとともに、作者によってテクストに与えられる「死」でもある。テクストにおいて「死」がどのような意味を持つのか、『判決』や『訴訟』、『失踪者』などいくつかのテクストを取り上げ、考察を行う。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
口頭発表:文化・社会(10:00~12:35) E会場(E201講義室)
司会:高橋 吉文,瀬川 修二
3. ユダヤ・ナショナルの自衛―『自衛―独立ユダヤ週刊新聞』
中村 寿
『自衛―独立ユダヤ週刊新聞 (Selbstwehr Unabhängige jüdische Wochenschrift) 』は、1907年3月、オーストリア帝国ボヘミア王国のプラハで創刊され、ボヘミア王国、その後のチェコスロヴァキア共和国に在住するドイツ系ユダヤ人を主たる読者対象として、1938年まで継続的に発行されたユダヤ・シオニズム系の週刊新聞である。
ドイツ文学史記述において、『自衛』は、カフカの『律法の門前 (Vor dem Gesetz) 』(Selbstwehr. 9 Jahrgang, 1915, Nr. 34. 7. September) を初出掲載した雑誌として知られていた。『自衛』をめぐる研究状況としては、近年のドイツでは、ユダヤ系定期刊行物のデジタルアーカイブ化 (www.compactmemory.de.) が進められつつあり、同じシオニズム系新聞の『世界 (Die Welt) 』、あるいは、ユダヤ・リベラル系の諸雑誌との対照により、シオニズム系新聞としての『自衛』の特徴を検討する作業が可能になっている。
『自衛』の創刊号において、その執筆者フランツ・シュタイナー (Franz Steiner 1857-1942) は、綱領として、「ユダヤ教におけるありとあらゆる脆さと中途半端さ、腐敗に対する抗議と宣戦布告」 (SW. 1, 1907, Nr. 1. 1. März) を挙げている。このような語句から読み取られるのは、伝統的なユダヤ教に対する抗議・批判というユダヤ・ナショナルの姿勢である。本発表では、ユダヤ人同胞によるシオニズム批判に対するユダヤ・ナショナルの「自衛」という観点から、ユダヤの自己同一性をめぐるユダヤ教の世論の内部における『自衛』の位置・役割について言及したい。
2013-08-15
文学出版社のズールカンプ社が倒産
文学出版社のズールカンプ社が倒産
株式会社化でdtvなどが出資に関心
文学書籍の出版社として知られるズールカンプ社が支払い不能に陥り、6日にベルリン・シャルロッテンブルク区裁判所に破産申請を行った。ヴェルト紙が伝えた。
同社は1950年にペーター・ズールカンプ氏が創業し、その後ジークフリート・ウンゼルト氏が経営を引き継いだ。ドイツ語圏の文学出版社としては代表的な存在で、ベルトルト・ブレヒトやヘルマン・ヘッセ、クリスタ・ヴォルフなど著名な作家の作品を数多く扱ってきた。
同社は破産により、合資会社から株式会社への転換を図って出資者を募る計画。すでにdtvやC.H.ベック社、カール・ハンザー出版社などが関心を示しているという。
2013-08-09
カフカの同時代人:カール・ポランニーとB・マリノフスキー
ぽらんにー
Karl Polanyi
[1886—1964]
ハンガリー生まれの経済学者。主としてアメリカで活躍。ブダペスト大学その他で哲学と法学を学び、第一次世界大戦後ウィーンで雑誌の編集に従事。ナチスに追われてイギリスに移り、オックスフォード大学の課外活動常任委員会の講師その他を経てコロンビア大学客員教授となり、経済史を講義。物資の交換形態として、互酬性、再分配、(市場)交換の3様式を摘出し、交換形態の分析により、近代の市場経済社会と、その他の非市場社会とを同時に扱うのを可能にした。近代西欧の市場経済が人類史上、特殊であることを示し、経済人類学の発展に多大の貢献をした。主著として『大転換』(1944)、『ダホメと奴隷貿易』(1966/邦訳名『経済と文明』)などがある。なお、物理化学者、社会科学者のミヒャエル・ポランニーは弟、化学者のジョン・ポランニー(1986年ノーベル化学賞受賞)は甥(おい)である。
[豊田由貴夫]
参考文献・音響映像資料:
栗本慎一郎・端信行訳『経済と文明』(1975・サイマル出版会)
吉成英成・野口建彦訳『大転換——市場社会の形成と崩壊』(1975・東洋経済新報社)
玉野井芳郎・栗本慎一郎・中野忠訳『人間の経済』〓・〓(1998・岩波書店)
:::::::::::::::::::::::::::::::::
マリノフスキー
まりのふすきー
Bronislaw Kasper Malinowski
[1884—1942]
ポーランド生まれの社会人類学者。クラクフ大学で物理学と数学を学んだが、フレーザーの『金枝篇(へん)』を読んで感動し人類学を志した。1910年にイギリスに渡り、セリグマンCharles
Gabriel Seligman(1873—1940)の指導を受けた。1914年から1918年にかけてニューギニア東端北部にあるトロブリアンド島において、参与観察法に基づく集中的な調査を行い、今日の人類学の基礎ともいえるフィールドワークの方法を確立した。1927年にロンドン大学の人類学主任教授となり、エバンズ・プリチャード、フォーテス、ファース、リーチなどその後のイギリス社会人類学を担う学者を数多く指導した。
彼の学問上の功績は、当時の進化論や伝播(でんぱ)論といった歴史主義的な思考方法から脱却し、「文化」と社会の現象を現在的視点にたった調査によって経験的に把握、機能的に説明し、「文化」を構造として理解したことと、機能主義人類学を創始したことである。マリノフスキーの場合、「文化」とは、物質的、行動的、精神的な要素が有機的に関連しあった統合体であり、文化は閉じられた体系なのである。そのことから異文化間の比較が可能になり、本来の目的である文化の普遍的理解を試みようとした。彼の文化的制度が機能的に個々人の生理学的な欲求を充足させるという考え方には、生理学と心理学の影響が強く認められる。この点が、同時代の機能主義者で人類学を社会の規範の研究に限定したラドクリフ・ブラウンと異なっている。ラドクリフ・ブラウンの、自然科学の方法に倣った社会理解が社会人類学の主流を占めるようになり、マリノフスキーが文化の深層にかかわる人間研究を行ったことは、一時期看過されるようになってしまった。彼の文化理解における一般化は、欲求の充足をおもな根拠としているが、それは単純でありすぎるとし、またトロブリアンド島の文化を一般化しすぎると批判されることも多かった。しかしながら、詳細な民族誌的研究は、人類学研究の一つの成果であり、また彼の示した個人と文化の問題は今後いっそう展開されるべき学問的課題といえよう。
[熊野 健]
B・マリノフスキー著、姫岡勤・上子武次訳『文化の科学的理論』(1958・岩波書店)
マリノフスキー著、藤井正雄訳『文化変化の動態』(1963・理想社)
寺田和夫・増田義郎訳『西太平洋の遠洋航海者』(『世界の名著59 マリノフスキー、レヴィ=ストロース』所収・1967・中央公論社)
マリノウスキー著、泉靖一・蒲生正男・島澄訳『未開人の性生活(抄訳)』(1971/新装版・1999・新泉社)
未開社会における犯罪と慣習
みかいしゃかいにおけるはんざいとかんしゅう
Crime and Custom in Savage Society
B・マリノフスキーの初期の主要著作の一つ。1926年ロンドンで刊行された。彼がニューギニア北方のトロブリアンド島に約3年間居住し、原住民の社会規範を現地調査し、分析した成果である。マリノフスキーは、法は権利・義務の対抗を基礎とした行為規範であって、これらの行為規範の遵守は刑罰で強制されるからではなく、互酬性、公然性という拘束力をもつ社会機構によって担保されていることを明らかにした。本書において、刑法、民法の区別を用いた点などは評価しえないが、彼が法を社会統制の一つとして位置づけたことは法社会学という新学問を創設することに寄与した。日本における初訳は1942年(昭和17)に改造社から出版された。
[有地 亨]
西太平洋の遠洋航海者
にしたいへいようのえんようこうかいしゃ
Argonauts of the Western Pacific
「社会人類学の父」とよばれるB・マリノフスキーの主著の一つ。「メラネシアのニューギニア群島における、原住民の事業と冒険の報告」という副題をもつ。トロブリアンド諸島の現地調査に基づいて、人々が近隣諸島民との間で行う儀礼交換を叙述する。クラとよばれるこの制度は、ニューギニア島の東に位置し、文化も言語も互いに異なるいくつかの小島を円環状に結ぶ交換システムで、このために島民は死を賭(と)した大航海を遂行するのである。マルセル・モースが『贈与論』(1925)中で引用して以来、人類学以外の分野でも広く知られるようになった。1922年の初版以来、現地調査という新しい方法論を開いた書として、また経済的必要性から物の交換がなされるとする経済学の常識に対する挑戦として多くの読者を得、版を重ねている。
[山本真鳥]
2013-08-02
批判版 Briefe 4. 1918 - 1920
本文
ハードカバー: 1056ページ
出版社: Fischer, S. (2013/7/25)
言語 ドイツ語, ドイツ語, ドイツ語
ISBN-10: 3100381629
ISBN-13: 978-3100381620
発売日: 2013/7/25
注釈
ハードカバー: 816ページ
出版社: Fischer, S. (2013/7/25)
言語 ドイツ語, ドイツ語, ドイツ語
ISBN-10: 310038167X
ISBN-13: 978-3100381675
発売日: 2013/7/25
2013-08-01
オーストリア国立図書館のプレスリリースにカフカ書簡が引用さる
An Grete Bloch
14.II.14
(略)Viel mag Wien schuld sein, trotzdem Sie es jetzt wieder loben. Ein solches Sichabfinden ist nicht immer das Beste. In Berlin könnte ich mir Sie nicht so traurig denken, Sie waren es dort auch gewiß nicht. Hier werden, möchte man manchmal glauben, die Lustigen traurig und die Traurigen noch trauriger. Ich weiß keine Erklärung und es ist auch nicht nötig, denn es ist gar nicht wahr und zeigt nur, wie urteilslos die Traurigkeit ist. Nach Wien möchte ich für meinen Teil ( nicht, auch nicht im Mai. Es war für mich gar zu häßlich dort, ich wollte um keinen Preis wieder die Wege ins Parlament machen, die Kärntnerstraße, den Stephansplatz sehn, im Kafe Beethoven oder Museum oder gar im Ratskeller sitzen und nicht einmal wieder an einem etwas kühlen aber sehr sonnigen Vormittag allein im Garten von Schönbrunn herumgehn. Das alles und noch viel mehr will ich nicht wieder erleben, das ist schon ein für allemal abgebüßt. Nur das Grillparzerzimmer im Rathaus möchte ich gern sehn, das habe ich anzusehn versäumt, ich habe zu spät davon erfahren. Kennen Sie den "armen Spielmann" von Grillparzer? dass sich In Wien ordentlich leiden läßt, das hat Grillparzer bewiesen. (略)
::::::::::::
Österreichische Nationalbibliothek errichtet modernes Literaturmuseum in denkmalgeschütztem Ambiente
Pressemeldung last update 01.08.2013
Die Generalsanierung des ehemaligen k.k. Hofkammerarchivs in der Wiener Johannesgasse schreitet voran: An diesem Ort wird ab 2015 das Literaturmuseum der Österreichischen Nationalbibliothek die österreichische Literatur in ihrer Vielfalt erstmals umfassend präsentieren. Aus dem Architekturwettbewerb für die Einrichtung des Museums ging die Arbeitsgemeinschaft BWM Architekten mit PLANET ARCHITECTS als Sieger hervor. Für die Sanierung des Hauses und die Realisierung dieses innovativen Museumsprojekts stehen insgesamt 5,4 Millionen Euro zur Verfügung.
Das Haus
Das Literaturmuseum der Österreichischen Nationalbibliothek entsteht im denkmalgeschützten, ehemaligen k.k. Hofkammerarchiv. Die zentrale Lage in der Johannesgasse 6 im ersten Wiener Bezirk gewinnt zusätzliche Attraktivität durch die Öffnung des Winterpalais des Prinzen Eugen und das neugestaltete Metro-Kino, die sich beide in unmittelbarer Nähe befinden.
Das Gebäude wurde im Revolutionsjahr 1848 als Finanzbehörde der Habsburgermonarchie errichtet und bis 2006 vom Österreichischen Staatsarchiv genutzt. Hier amtierte der österreichische Dramatiker Franz Grillparzer bis 1856 als Direktor des k.k. Hofkammerarchivs. Sein Arbeitszimmer ist bis heute im Originalzustand erhalten und integraler Bestandteil des Hauses, das auch aus diesem Grund ab 2015 Grillparzerhaus heißen wird.
Die Architektur
Aus dem Architekturwettbewerb für die Einrichtung des Museums ging die Wiener Arbeitsgemeinschaft BWM Architekten mit PLANET ARCHITECTS als Sieger hervor. Beide Büros haben sich bereits mit zahlreichen Kulturprojekten und Ausstellungsgestaltungen einen Namen gemacht. Ihr Entwurf überzeugt durch innovative Ideen und dem Respekt vor den denkmalgeschützten Räumen mit ihren historischen Archivregalen. Ihr Konzept erlaubt es, das Potenzial des einzigartigen Bestandes zu erhalten und ermöglicht zugleich ein abwechslungsreiches Gesamterlebnis. So stehen konzentrierte Informationsaufnahme, kurzweilige Einblicke und überraschende Auseinandersetzungen in entspannter Form nebeneinander. Charakteristika ihres umfassenden Konzeptes sind:
- Der Archivcharakter bleibt sichtbar und ist strukturbildend, trotzdem gewinnt das Gebäude durch die Gestaltung eine neue öffentliche Funktion.
- Die vorhandene, geschlossene Regalstruktur wird geöffnet, es entstehen Räume für Gruppen, Lese- und Studierzonen.
- Die Regale werden durch eine modulare Mischung aus Vitrinen und Grafikelementen sehr abwechslungsreich gestaltet, eigene Buchobjekte dienen als Träger von Zitaten, Fotos und als Ausgangspunkte für multimediale Zusatzangebote.
- Das Gesamtbild vermittelt Ruhe – betont durch die Linearität der Regale – und Offenheit – als eine der Haupteigenschaften von Literatur.
Das Museum
Auf zwei Ebenen findet sich eine abwechslungsreiche Präsentation der österreichischen Literatur vom 18. Jahrhundert bis in die Gegenwart. Eine dritte Ebene steht für Wechselausstellungen zur Verfügung.
Das Museum wird AutorInnen und Phänomene des literarischen Lebens thematisieren, die innerhalb der jeweiligen Grenzen Österreichs Relevanz hatten. Die Einrichtung eines österreichischen Literaturmuseums ist dabei nicht nur ein österreichisches sondern zugleich ein europäisches Projekt. Die historischen Bruchlinien werden an der österreichischen Literatur besonders gut sichtbar aufgrund ihrer multiethnischen und mehrsprachigen Geschichte und aufgrund jenes „habsburgischen Mythos", der bis heute in verschiedenen Ausformungen nachwirkt.
Dabei kommen die zentralen Fragen der österreichischen Identität und Geschichte ins Blickfeld: der Gegensatz von Provinz und Zentrum, die Spannung zwischen politischer Enthaltsamkeit und Engagement, der Umgang mit dem großen deutschen Nachbarn. Das Museum will die ästhetischen Qualitäten der österreichischen Literatur wie ihre Nähe zur Musik und bildenden Kunst zeigen, ein besonderer Schwerpunkt liegt aber auch auf der Sozialgeschichte: Wie leben AutorInnen? Welche ihrer Werke werden in den Kanon aufgenommen, welche fallen heraus? Wie funktioniert der Literaturbetrieb?
Die Verbindung aus thematischen und chronologischen Kapiteln führt zu den wichtigen historischen Meilensteinen und Zäsuren – von der Aufklärung und dem Biedermeier über die Ringstraßenzeit, die zwei Weltkriege, Zwischenkriegszeit, Exil und Kalter Krieg bis in die Gegenwart.
Die ausgestellten Objekte stammen aus den reichhaltigen Sammlungen der Österreichischen Nationalbibliothek und anderen wichtigen Institutionen. Neben Büchern, Manuskripten, Briefen, Zeichnungen und Fotos werden auch optisch und kulturhistorisch interessante Gegenstände ihren Platz finden. Darunter etwa jene Perücke, die Egon Friedell bei seinem berühmten Goethe-Sketch aufhatte, die Wanderstöcke von Peter Handke oder ein Wecker, der wichtiges Requisit bei einem der legendären Cabarets der Wiener Gruppe war.
Das berühmte Grillparzer-Zimmer im 2. Stock, im Originalzustand aus dem Jahr 1856 erhalten, ist integraler Bestandteil des Museums: Hier amtierte Franz Grillparzer als Direktor des k.k. Hofkammerarchivs, einige seiner Werke entstanden auf dem Schreibpult in diesem Zimmer. Zerrissen zwischen den Pflichten eines Finanzbeamten und seiner schriftstellerischen Mission, inspirierte er Franz Kafka zu dem schönen Satz: „Daß sich in Wien ordentlich leiden läßt, das hat Grillparzer bewiesen."
Die Vermittlung
Das Literaturmuseum der Österreichischen Nationalbibliothek richtet sich als Ort der Vermittlung gleichermaßen an KennerInnen und interessierte Laien und ist somit auch eine ideale Ergänzung für den Literaturunterricht an Schulen.
Die Wechselausstellungen auf der dritten Ebene bieten die Möglichkeit, besondere Aspekte der Literatur herauszugreifen. Gemeinsam mit den zwei Ebenen für die Dauerausstellung stehen somit insgesamt ca. 730 m2 zur Verfügung. Hinzu kommen Räume für Lesungen und Workshops im Erdgeschoß und im vierten Stock.
Für Jugendliche, aber auch für andere Besuchergruppen werden spezielle Vermittlungsmodule entwickelt. Sie bieten vertiefende Informationen und Materialien an, die zum einen zu bestimmten Exponaten in der Dauerausstellung führen, zum anderen aber auch ganz allgemein durch Text-, Bild-, Ton- und Filmeinspielungen ins literarische Feld leiten.
Weltliteratur aus Österreich
„In Österreich wird Weltliteratur verfasst. Dennoch gibt es bislang kein zentrales Museum, das der Bedeutung der österreichischen Literatur für das kulturelle Leben Europas gerecht wird. Für die Kulturnation Österreich ist dies eine große Lücke, die die Österreichische Nationalbibliothek mit ihrem Literaturmuseum schließt", betonte Generaldirektorin Dr. Johanna Rachinger.
Bundesministerin Dr. Claudia Schmied: „Ich freue mich, dass Österreich als Land der Dichter und Literaten nun ein Museum bekommt, das ganz der Kunst des geschriebenen Wortes gewidmet ist. Die Finanzierung dieses wichtigen Projektes ist durch 2,6 Millionen Euro aus meinem Ministerium gesichert. Das neue Literaturmuseum wird ein Ort, der Vergangenheit und Gegenwart des österreichischen literarischen Schaffens erlebbar macht. Es fügt sich hervorragend in die lebendige Landschaft an Bildungs- und Kultureinrichtungen in Österreich."
Die Finanzierung
Das in der Verwaltung der Burghauptmannschaft stehende Gebäude wird durch das Bundesministerium für Wirtschaft, Familie und Jugend mit 2,8 Millionen Euro saniert. Die Einrichtung des Museums finanziert das Bundesministerium für Unterricht, Kunst und Kultur mit 2,6 Millionen Euro.
Pressefoto 1: Siegerentwurf für die Gestaltung des Literaturmuseums
© Arbeitsgemeinschaft BWM Architekten mit PLANET ARCHITECTS / Österreichische Nationalbibliothek
Pressefoto 2: Morgenmantel von Heimito von Doderer
© Österreichische Nationalbibliothek
Pressefoto 3: Regiestuhl von Ernst Jandl
© Österreichische Nationalbibliothek
Pressefoto 4: Goethe-Perücke von Egon Friedell
© Österreichische Nationalbibliothek
Pressefoto 5: Wanderstöcke von Peter Handke
© Österreichische Nationalbibliothek
Pressefoto 6: Wecker der „Wiener Gruppe"
© Österreichische Nationalbibliothek
2013-07-30
歌声に優るセイレーンの武器は沈黙であるというカフカの言葉が腑に落ちる。
ポジターノの沖合に浮かぶ小群島「リ・ガッリ」は「セイレーンの島々」と呼ばれ、かつてこの魔物たちが棲んだと信じられた。そこに上陸したことはないけれど、カプリ島のマラパルテ邸附近の景観を眼にすると、歌声に優るセイレーンの武器は沈黙であるというカフカの言葉が腑に落ちる。
2013年7月30日 午前3:31
2013-07-26
株式会社ロッテのキャンディ「カフカ」
株式会社ロッテ(代表取締役会長・重光武雄)のキャンディ「カフカ」のプロモーション動画「ふかふかかふかのうた」が、世界最大級の規模を誇る国際広告 賞「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」のサイバー部門にて、銅賞を2013年6月に受賞いたしました。
【受賞作品】 泣きやみ動画「ふかふかかふかのうた」
◆受賞内容 サイバー部門・銅賞
◆広告主 株式会社ロッテ
◆受賞作品名 DIGITAL LULLABY
◆エージェンシー SIX Inc., 博報堂
◆担当者コメント(株式会社 ロッテ 広報・宣伝部 水野 路可)
このような賞をいただき、担当者一同、大変うれしく思います。ありがとうございます。
これは、お子さまのグズリ泣きに悩む、お母さんのための動画です。お母さんのお役に立てたことが 評価されたのではないかと思います。今後もお客様に喜んでいただける商品開発、プロモーション企画を行っていきます。
◆「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」について
今年60周年を迎えた、世界最大級の規模を誇る国際広告賞。「カンヌ国際広告祭」という名称で親しまれ、 2011年に現在の名称に変更。
今年は6月16日〜22日まで開催。応募は全16部門、95ヶ国から35,765作品。サイバー部門には、2,627作品がエントリーし、そのうち受賞した作品は93作品。多くの作品の中から、受賞できるだけでも、栄誉あるものといわれています。
泣きやみ動画『ふかふかかふかのうた』
◆泣きやみ動画とは( http://lotte-cafca.jp/movie/index.html /)
・2012年10月から発売している、ソフトキャンディ「カフカ」のプロモーション動画
・商品ターゲットの30〜40代女性は、家事や育児に忙しいので、子育てに便利な泣きやみ動画を開発。
・日本音響研究所の監修を受け、科学的根拠に基づいて制作。
・0〜3歳児52名に動画を見せたところ、96.2%の子どもが泣きやむ(※)、という調査結果がでた。
・海外のWEBメディアでも紹介された
・動画の再生回数は、550万回を超えた(7/25現在)
(※)一時的な泣きやみも含む
【コンテンツ概要】
●タイトル:「ふかふかかふかのうた」
●音楽プロデュース : 福井洋介
●Web配信日 : 2012年9月18日(火)
●監修:日本音響研究所
●映像監督 : 富永まい
●配信サイト: You Tube
◆日本音響研究所 代表 鈴木 創氏のコメント
小さな子どもは、大人にくらべて、さまざまなことに強い好奇心を持って います。この動画には研究を元にした、小さな子どもの興味を喚起させる 音がバリエーション豊かに盛り込まれています。子どもが「ぐずり泣き」で困った時などにぜひ見せてみてください。
※「おなかがすいた」「どこかがいたい」など生理的要因によって泣いている場合は、効果はありません。
【カフカ商品概要】
・商品名 : カフカ(袋)〈極うまミルク味〉・〈キャラメル味〉
・商品ジャンル: キャンディ
・発売地区 : 全国
・内容量 : 63g(個包装込み)
・価格 : オープン価格(想定小売価格198円前後(税込))
・商品特徴 : 噛むほどに、ミルクのコクと旨みが楽しめる、ふかふか不思議食感のソフトキャンディ。
歯につきにくい品質で、安心して食べられる商品設計。