2012-12-15

カフカと安全ヘルメット(都市伝説・・)

心配性だったカフカは、工場現場への視察
    の際に、万一の事故を考えて軍用ヘルメットを着用していたという。経営学者
    ピーター・ドラッカー(1909年 〜 2005年)は、晩年の著書『ネクスト・ソサエティ』(上田
    惇生訳、ダイヤモンド社、2002年5月。原題は、Managing In The Next Society
    )で、世界に普及している安全ヘルメットの発明者は、カフカだと紹介している。
     また、1912年にはアメリカの安全協会からメダルから送られたと記載している。
      (同上書、P98)

     「ところで、フランツ・カフカという名前を知っておられるか? オーストリアの偉大な
    作家だ。実は 安全ヘルメットを発明したのが、そのカフカだった。彼は第1次大戦前に、
    ボヘミアとモラビア(当時オーストリア領、のちにチェコ)で労災補償関係の行政官
    だった。私(ドラッカー)の生家の近くに、クイッパーさんという同じように労災補償の
    権威が住んでいた。医師だったが、カフカを尊敬していた。カフカが咽頭結核で死の
    床にあったときには、五時起きで二時間かけて自転車で往診していた。カフカの死後、
    彼が作家だったことに一番驚いたのがこの人だった。
     たしか1912年に、カフカはアメリカの安全協会からゴールドメダルをもらったはずだ。
    彼の安全ヘルメットのおかげで、チェコ地方の製鉄所の労災死亡者が、初めて
    1000人当たり25人を割った。」

"Kafka got the gold medal of, I think, the
American Safety Congress for 1912 because as a result of his safety helmet,
the steel mills in what is [now] the Czech Republic for the first time
killed fewer than twenty-five workers per thousand a year" (ref: Drucker,
PF: Managing the Next Society, St. Martin's Press, 2002)


     P・F・ドラッカー(1909年11月19日 - 2005年11月11日)は、オーストリア・ウィーン生
    まれのユダヤ系オーストリア人、経営学者である。彼の父親は、大蔵省の役人を
    務めた後、第一次大戦(1914年〜1918年)頃、銀行の頭取を務めていたという。

     カフカの死亡時、ドラッカーは15歳である。また、カフカがメダルを授与されたとする
    時(1912年)は、カフカが29歳、就職して4年目、ドラッカーが3歳の時である。
     さらに、カフカの死亡時頃の主治医、クイッパーさんは、ドラッカーの父および幼少
    のドラッカーの近隣に住んでいて、カフカの話をドラッカーの父親に話したらしいと
    推測できる。さらに、クイッパーは、カフカの勤務した労災補償関係の権威であり、
    金融関係に勤務したドラッカーの父とともに、広義の金融関係のテクノクラートでも
    あった。また、ドラッカーはカフカと同様ユダヤ系である。

     カフカの自伝等には、上記エピソードは見当たらない。カフカが有能なテクノクラ—ト
    だったとの記載は多いから、その証拠として記載されても良いエピソードではある。
    が、記述は見当たらない。クイッパーは、カフカの死後、彼が作家だったことに驚いた
    と記述されているが、カフカ死亡当時は、著名な作家とは言い得なかったろう。1943年
    の、フランスのノーベル賞作家、アルベール・カミユが、『フランツ・カフカの作品に
    おける希望と不条理』と題するカフカ論を『シシュフォスの神話』の付録として掲載した
    以降に著名な作家となったといえる。

     こんな状況探索だけでは、上記エピソードの事実関係は解明できない。ドラッカーも
    逝去した現在、別途の証拠がなければ、不確かな話題としか言えない。
     脱線ついでに、ドラッカーがカフカを引用した文脈を記して見る。社会的変化の諸相
    の一つに、インターネット世界の爆発的発生がある。新産業の担い手は知的労働者
    である。彼らは、専門的知識教育で育てられる。旧世界の(肉体的)労働者とは
    育ち方や価値観が違う。また、医療産業も同様である。20年後の先進社会において、
    GNPの40%は医療と教育であろう。これらの産業の「知的労働者」の教育と成果評価
    は重要課題である。医療の分野で競争原理の導入が良いとも思えない。
     ところで、抗生物質の発明など医療分野の進歩はめざましい。が、平均寿命の伸び
    にはほとんど寄与していないというのが事実である。統計的には、平均寿命は、労働
    環境の改善によって伸びている、と示されている。100年前は、労働人口の95%が
    肉体労働に従事していた。危険で体力を消耗する労働だった。
      こんな文脈で、カフカの話題が登場する。

     ドラッカーが文学者であれば、カフカのこんな文章を追加して引用したかもしれない。

     「作業は、回避不可能な、絶えることのない危険を知りつつ行われる。最も注意力
    に富む労働者だけは、自分の指の一関節が作業中に機械で加工するものを飛び
    越さないことを知っている。しかし、危険は、この労働者の注意力さえ嘲り笑う。
     スリップして木材が投げ戻されるとき、最も注意力のある労働者の手は刃の間に
    飛び込まざるを得ない」 (論文「事故防止対策」から)

The job involved investigating personal injury to industrial workers,
and assessing compensation. Management professor Peter Drucker credits
Kafka with developing the first civilian hard hat while he was
employed at the Worker's Accident Insurance Institute, but this is not
supported by any document from his employer.


Drucker, Peter. Managing in the Next Society. See: Franz Kafka,
Amtliche Schriften. Eds. K. Hermsdorf & B. Wagner (2004) (Engl.
transl.: The Office Writings. Eds. S. Corngold, J. Greenberg & B.
Wagner. Transl. E. Patton with R. Hein (2008)); cf. H.-G. Koch & K.
Wagenbach (eds.), Kafkas Fabriken (2002).