2013-06-28

劇団俳協「ミレナ」



ミレナ

作 /斎藤 憐 
演出/伍堂 哲也

作家フランツ・カフカの愛人であったミレナは
ユダヤ人を匿ったという理由でナチスに逮捕され、
ラーヴェンスブリュック女子強制収容所に移送される。
極限の閉塞状況下においてミレナと女性たちは
何を求め、どのように生きるのか。


世界が変わった2001年の翌年、
鬼才・斎藤 憐が世に放った作品。
肥大化した自我の果てに、
わたしたちはなにをみる?
2013/05/29(水) 〜 2013/06/02(日)
 

5/29
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14:00

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:クリックすると予約ページが開きます ×:取扱終了

会場 TACCS1179(俳協ホール)
出演 今泉葉子、矢治美由紀、あさぎ野瑶子、木内亜希子、ほんだりんこ、山崎倫子、三角えり奈、里中海奈、寺澤美央、田尾匠子、浅川聡、奥山直久、霜田龍秋
脚本 斎藤憐
演出 伍堂哲也
料金 2,000円 〜 3,800円 

【発売日】2013/04/10

前売り3500円、当日3800円、高校生2000円

サイト http://www.jade.dti.ne.jp/~ghaikyo/ ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。
タイムテーブル 5月29日(水)19:00
5月30日(木)14:00/19:00
5月31日(金)19:00
6月1日(土)14:00
6月2日(日)14:00

説明 作家フランツ・カフカの愛人であったミレナは、ユダヤ人を匿ったという理由でナチスに逮捕され、ラーヴェンスブリュック女子強制収容所に移送される。
極限の閉塞状況下においてミレナと女性たちは何を求め、どのように生きるのか。

世界が変わった2001年の翌年、鬼才・斎藤 憐が世に放った作品。

肥大化した自我の果てに、わたしたちはなにをみる?
その他の注意事項など ※未就学児童のご入場はご遠慮頂いております。
※受付開始時間より入場整理券をお渡しします。
※開演後の入場は、お席にご案内出来ない場合がございます。

スタッフ 【美術】田代利之、【照明】荒川忠昭、【音響】:岸 智美、【舞台監督】青柿ひろし、【イラスト】こぺんなな、【制作】清家徳浩 土岐利臣、【企画製作】劇団俳協
ミレナイメージギャラリ
ミレナ本読み
ミレナ稽古初日
2013/3/18ミレナ(作・斎藤 憐)稽古開始。一般前売り2013/4/10よりスタート。
劇団俳協劇団俳協
主演の今泉、矢治による対談です。

出演


ミレナ
今泉葉子

マルガレーテ
矢治美由紀

ゲルダ
あさぎ野瑶子

ベスト
三角えり奈







女囚1
木内亜希子

女囚2
ほんだりんこ

女囚3
山崎倫子

女囚4
里中海奈

女囚5
田尾匠子

女囚6
寺澤美央







K
霜田龍秋

ハインツ
奥山直久

ゾンダーク
浅川聡

2013-06-27

発表2:奥田誠司(関西大学非常勤)題目:ふたたびフランツ・カフカの『変身』について

阪神ドイツ文学会第212回研究発表会のご案内
阪神ドイツ文学会会員以外の方のご参加も歓迎致します。
参加費は無料です。
日時: 2013年7月6日(土)13時30分より(土曜日開催です)
場所: 大阪商業大学4号館4510教室〒577-8505 大阪府東大阪市御厨栄町4丁目1-10 Tel (06)6781-0381(代)
近鉄奈良線(準急・区間準急・普通)「河内小阪」駅下車、北東へ徒歩約5分。
大学正門を入って左手の建物です。

発表2:奥田誠司(関西大学非常勤)題目:ふたたびフランツ・カフカの『変身』について
司会:宇佐美幸彦(関西大学)
発表要旨:カフカの『変身』が書かれて100年が経過した。1912年はカフカの創作活動にとって、決定的な転換点となった。この年の9月、『判決』によって自己の文学的可能性を発見したカフカは、およそ2か月後に『変身』の執筆にとりかかる。『判決』では「ロシアの友人」に代表される作家的存在に、『変身』では対照的に人間的過去への執着に重点が置かれており、この書くために必要な孤独への内的志向と、共同体にたいするやむことのない憧れとが、カフカの作品を貫く重要なライトモティーフを形成しているのである。
20年程前に初めて公にした拙論が、『変身』をテーマにしたものであった。カフカについての研究・評論はいまなお際限がない。そのような多義性がカフカ文学の魅力でもあるわけだが、どんな小品、断片にいたるまでも作者の生の姿を投影しているというのが、一貫した私の考えである。本発表ではふたたび『変身』を取りあげ、この物語に秘められた核心的主題を私なりに読み解いてみたい。

2013-06-19

 ◇現代にも通じるカフカ ストレス生々しく−−川島隆さん(36)=奈良市

湖国の人たち:滋賀大経済学部特任准教授(ドイツ文学)、川島隆さん /滋賀

毎日新聞 2013年06月08日 地方版
 ◇現代にも通じるカフカ ストレス生々しく−−川島隆さん(36)=奈良市

 小説「変身」などを書いたフランツ・カフカ(1883〜1924)の作品は「不条理」「実存主義」などの言葉で小難しく語られがちだ。「名前は知っているが、読んだことはない」という人も多いのでは。ドイツ文学研究者で滋賀大特任准教授の川島隆さん(36)は「カフカは陰鬱だというイメージを持たれがちだが、おもしろい」と語っている。カフカの楽しみ方を知りたくて大学を訪ねた。【北出昭】

 ◆カフカとの出会いは?

 高校時代、本なら何でも読むほど本好きでした。だから、「変身」も自然に手にしました。私自身、部屋で本ばかり読む「引きこもり」だったので、男が突然、巨大な虫になり、部屋から出られなくなるという内容に共感しました。

 ◆「変身」を新しい訳で読み直して、おもしろい小説だったんだ、と思いましたが、やはり何を訴えたいのか分かりません。

 何かを言いたくてあの小説を書いたとは思えません。メッセージはありませんし、読んでためになるということも一切ありません。それを解釈しようとするとおかしくなります。

 そもそも文学とは、主義主張を伝えるために書かれるとは限りません。カフカは自分が生きている状況を書かなくてはいられなくて書きました。その内容は、今の普通の人が読んで「自分のことが書かれている」と思えるものです。カフカの小説は「自分はこれからどうなるのか分からない」「生き方が分からない」「そもそも自分は社会に出られるのか」という気持ちで読めば、しっくりくるのではないでしょうか。

 ◆そのあたりが、100年前の作品でも、現代人に人気がある理由でしょうか。

 カフカを「現代を予言した作家」と呼ぶ人がいます。「変身」の主人公は虫になったことより、人間関係の変化や出張へ行けなくなったことの言い訳に思案しています。カフカ自身、半官半民の保険会社に勤める当時では珍しいサラリーマンでした。会社員をしながら小説を書いていました。今のサラリーマンが感じる「ストレス」をカフカも感じ、それを生々しく書きました。「ストレス」という言葉は使っていませんが、私たちには「ストレス」と読み取れるわけです。ただ、カフカは未来を予言的に書いてやろうと意識して書いた作家ではありません。

 ◆「変身」以外でお勧めは?


長編(「失踪者」「審判」「城」)が有名ですが、最初は少し敷居が高いかもしれません。一気に集中的に書くタイプの作家だったので、計画して長編を書くということは苦手でした。だからこそ、普通の小説とは違う独特の作品世界を作ることができたとも言えますが。短編には寓話(ぐうわ)のようなコンパクトに凝縮された作品が多く、かめばかむほど味が出てきます。

 ◆カフカはどんな人でしたか。

 手紙や日記を読むとおかしなこと、変わったことを書いています。結婚しなかった恋人に何百通もラブレターを出しています。「好きだけれど結婚したくない。なぜなら自分はダメな人間だから」とネガティブなことを繰り返し書いています。社会人としてはまっとうに生きているのですが、ある意味でダメ人間だったようでもあるので、精神的に「落ちこぼれ」ていたのかもしれません。それでも彼女には「付き合いたい」と言っているんです。今なら「メル友でいよう」ということなんでしょうね。

 ◆彼女はどう思っていたんでしょうね。

 そんな男に好かれたら迷惑ですよね。でも、カフカは彼女からの手紙を残さなかったので、彼女はカフカをどう思っていたのか分かりません。カフカが大きく評価されたのは死後かなりたってからのため、彼女の生の証言も残っていません。

 ◆東洋への関心はあったのでしょうか。

 中国に関することをよく書いています。ドイツ語訳で杜甫や李白の漢詩を読んでいました。また、安藤広重の絵を見ながら書いたのかもと思えるような描写もあります。当時のジャポニスムの影響を感じます。

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 ■人物略歴
 ◇かわしま・たかし

 1976年生まれ。京都府長岡京市出身。京都大大学院文学研究科博士後期博士課程修了。博士(文学)。専門はドイツ文学、ジェンダー論、メディア論。著書は「カフカの<中国>と同時代言説」(彩流社)、「コミュニティメディアの未来」(晃洋書房)、翻訳「ハイジの原点−−アルプスの少女アデライーデ」(郁文堂)など。

2013-06-12

http://museumoskarreinhart.ch/jp/

財団

オスカル・ラインハルトは1940年10月10日、「オスカル・ラインハルト財団」を設立しました。
この財団は、「コレクションが常に、できるだけ永続的に、ラインハルトの故郷ヴィンタートゥールに留まり続けてほしいという[途中略]願いと意思」から生まれました。
(財団憲章の説明文言) 財団は当初、「主に19世紀のスイス、ドイツ、オーストリアとその他の、フランスの巨匠を除く巨匠の絵画」のみを所持していました(財団憲章第3章)。
ラインハルトが亡くなるまでに、さらに多くの絵画や彫刻が到着し、その後は遺言書の指示に従い、スケッチ、水彩画、版画が追加されました。

財団の目的

財団の目的は、1940年10月10日の財団憲章第4章の中で定義されています。
それによると、1940年に財団に集まった芸術作品と、ラインハルトの亡くなった1965年に追加となった絵画、スケッチ、彫刻、版画作品はすべて、「永続的に、変わらない形で一緒に保管し、広い範囲の一般大衆が自由に鑑賞することができるようにし、これにより、良い芸術の精神を唱道する」ということです。
様々な例外規則を除き、財団の目的を実現するために、オスカル・ラインハルト財団のコレクションは、「永続的に、[途中略]ヴィンタートゥールの古いギムナジウムに置かれ」なければいけません。
(財団憲章第4章)

オスカル・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」

オスカル・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」

オスカル・ラインハルトの「アム・レマーホルツ」にあるヨーロッパの名作は、古代のものから20世紀初頭のものまでです。
重点が置かれているのは、フランスの絵画の中でも19世紀のもので、さらに古い芸術の重要な例により補完されています。
コレクションはオスカル・ラインハルトの私邸で保管されており、これは20世紀前半のプライベートコレクションの典型的な例で、ドイツとアメリカでは同じような方向性のものが確認されていました。
オスカル・ラインハルトは1958年に邸宅とコレクションを、遺言書でスイス連邦に譲り渡しました。 1965年の死後、この資産は、少量の改築を経て受け継がれました。

www.roemerholz.ch

コレクター

オスカル・ラインハルト(1885年-1965年)は、スイスの芸術品コレクターで、ヴィンタートゥールの貿易族の末裔でした。
彼の母リリー・ラインハルト・ヴォルカルト(1855年-1916年)は、祖父の会社で1851年創立のGebrüder
Volkart社を所有したまま結婚しました。
彼の父テオドール・ラインハルト(1849年-1919年)は同社を拡大し、インド・ヨーロッパ間の貿易の先鞭をつけ、成功を収めました。

オスカル・ラインハルトは職業訓練校時代の1907年に、古来のものから新しいものまでの印刷された絵を集め始め、父が亡くなった後、父の絵画コレクションを入手しました。
1924年までは勢い盛んでしたが、その後1939年までは、商社Gebrüder Volkartの静かな共同経営者でした。
こうして、兄のゲオルク(1877年-1955年)が1952年まで会社を切り盛りしている間、芸術品コレクションと、ゴットフリート・ケラー財団のような様々な委員会の活動に身を捧げました。
1924年、オスカル・ラインハルトは邸宅「アム・レマーホルツ」を獲得し、ここを終の棲家にするため改築し、選りすぐりの芸術作品を揃えました。

1936年、ラインハルトはミュンヘンの美術品商フリッツ・ナサンのスイスへの脱出を手伝いました。
1941年、フリッツ・ナサン、ヴァルター・ファイルヒェンフェルトと共に、マックス・リーバーマンの未亡人のスイス脱出が成功するよう尽力しました。
また、ナチスが完全に支配していた時代、提供元の怪しい芸術作品は購入しないように注意していました。
最終的にラインハルトは、警察関係の圧力下にありながら、1940年10月10日、ヴィンタートゥールで「オスカル・ラインハルト財団」を設立し、18世紀から20世紀初期までのドイツ、オーストリア、スイスの芸術家の作品を集めました。
戦争による混乱のせいで、財団のために美術館に移築された、Stadtgartenのギムナジウムが1951年にようやく開院した。
古ドイツ、オランダ、イギリス、イタリア、スペイン、フランスの絵画全品は、ラインハルトの私邸「アム・レマーホルツ」に残ったままでしたが、ラインハルトが亡くなった1965年にスイス連邦に渡り、版画コレクションは遺言により、「オスカル・ラインハルト財団」のものとなりました。

コレクション

オスカル・ラインハルト美術館は、18世末から20世紀中葉までの、ドイツ、オーストリア、スイスの約500の絵画と彫刻と、15世紀から20世紀までの版画作品と手書き作品7000点を所蔵しています。
19世紀のドイツ芸術の分野では、量でも質でも、世界の先を行く組織は、ドイツの外にあります。
コレクションに関して信頼できたのは、ユリウス・マイヤー=グレーフェ、フーゴ・フォン・チューディ、アルフレッド・リヒトヴァルクが1906年にベルリンの「世紀のドイツ芸術展示会」で適用した基準でした。
この展示会には、スイス及びオーストリアの芸術家の作品もありました。
この展示には重要な意義がありました。ドイツ絵画に新しい評価を下したのです。アカデミックなものや歴史的で気高いものはすべて排除され、代わりにロマン主義の詩的な絵画作品、写実主義の生き生きした自然感、ずば抜けた「真に迫ったもの」が登場しました。
同時に、この展示のおかげで、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ゲオルク・フリードリヒ・ケルスティング、カール・ブレッヒェンが忘却の彼方に追いやられ、その一方でハンス・フォン・マレー、ヴィルヘルム・ライブル、ハンス・トーマが初めて国を超えて紹介されましたのは意味のあることでした。
オスカル・ラインハルトはこの伝説的な「世紀の展示」を見ました。そして、生きている過程の中で、展示していた20を超える作品を、自分のコレクションにまとめました。その中には、アルノルト・ベックリン、ヴィルヘルム・ライブル、アンゼルム・フォイエルバッハの著名な絵画があります。

スイスの絵画
ドイツの絵画
オーストリアの絵画
版画コレクション

2013-06-11

本書は、ウェーバー、ベンヤミン、アドルノ、シュミット、ユンガー、ジンメル、トーマス・マンなどが次々と登場するドイツ思想史の入門書だが、彼ら一人ひとりの思想の概略は論じられない

A5判/上製/624頁
初版年月日:2013/08/20
ISBN:978-4-7664-2061-6
(4-7664-2061-6)
Cコード:C3010
税込価格:5,460円

著者:蔭山 宏(かげやま ひろし)
1946年生まれ。1968年 慶應義塾大学経済学部卒業。1974年
一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学法学部専任講師、助教授を経て、1987年より教授。2011年退任。慶應義塾大学名誉教授。

内容:本書は、ウェーバー、ベンヤミン、アドルノ、シュミット、ユンガー、ジンメル、トーマス・マンなどが次々と登場するドイツ思想史の入門書だが、彼ら一人ひとりの思想の概略は論じられない。本書の主題は人びとの経験であり、その崩壊である。19世紀末から20世紀半ばまで、現代の起点となるこの時代は、議会を中心とした領域を超えて政治が「拡散」したことに特徴がある。そのような時代において、彼ら思想家たちが、人びとの経験の崩壊、そして「崩壊の経験」という、現代にまでつながる問題とどのように向き合ったのかが論じられる。圧倒的なボリュームによる異色の入門書!



崩壊の経験(仮)
現代ドイツ政治思想史講義
目次
序論

第一部 市民層の社会意識—現代思想の前提
 第一章 「資本主義の精神」とルター派
 第二章 「文明化」と「文化」—市民層と貴族
 第三章 市民層の社交形式
 第四章 一九世紀ドイツにおけるブルジョアジーの思想
 第五章 保守主義とロマン主義

第二部 〈崩壊〉の始まり—世紀転換期から一九二〇年代へ
 第六章 「文明化」の挫折とウェーバーの宗教社会学
 第七章 社会の多様化—大衆の成立とブルジョアジーの政治化
 第八章 モダニズム、ファシズム、市民層の崩壊
 第九章 生と形式—経験の貧困化と大都市の精神状況
 第一〇章 ダダイズムから新即物主義の時代へ

第三部 ワイマール・崩壊の経験—ワイマール時代の「政治思想」
 第一一章 〈ポストロマン主義の世界〉と市民層—マン、ウェーバー、シュミット
 第一二章 ワイマール期の世代対立
 第一三章 政治思想の諸類型—現実像との関連
 第一四章 「複製論」とメディアの世界
 第一五章 政治イメージの両極化—政治の「点化」と「溶解」
 第一六章 ワイマール時代における「保守」と「革命」
 第一七章 保守革命論とナチス
 第一八章 ティリッヒの政治思想とナチ、保守革命
 第一九章 「真剣さ」の時代—シュトラウスとシュミットの「ニヒリズム」論

第四部 おわりに—崩壊のあとに
 第二〇章 教養と経験—レーヴィットとアドルノの「始まりの意識」
 第二一章 文化産業とテクノロジーの支配—アドルノとアンダース

あとがき
文献紹介
索引

2013-06-07

豊島重之

外延化する壁の音楽

外延化する壁の音楽
豊島重之

ベルリンの壁が崩壊しプラハの石畳が躁めいている。一九一〇年代、この二都に共鳴する微細な音に明澄な聴力を示したカフカ。そして、一九八九年、前衛作曲 家・高橋悠治がその耳と壁に挑んだ。「カフカ・プロツェス」(11月18日、23日。東京有楽町朝日ホール)。このコンサートを「国際カフカ・フェス」の 主催者である豊島重之氏に論じてもらった。

——片手のうごきを両手にわける。ふぞろいな、つまづく線ができる。(高橋悠治「カフカ/夜の時間」)

 ベルリンの壁が崩壊しはじめた。そのさまはまさに、“支那の長城”だ。プラハの路地が大きく蛇行し、ワツラフの石畳も一斉に内破しはじめた。ブルタヴァ にかかる“橋”さえ動転する勢いだ。壁と路地と長城と橋をもたらしたもうひとつの共鳴音とは、六百通もの手紙を時には日に四通もフェリーツェに書き継いだ 一九一〇年代のカフカと、壁が築かれて間もなくのベルリンで六八年の地殻変動を告知した二作を発表し、それを近年プラハの路地へと噴流させた新たな二作を 展開する高橋悠治、という実に示唆的な対置であろう。
 カフカにとって吊り橋のような小部屋のプラハの壁は、フェリーツェが微かな寝息を立てるベルリンの壁と少しも違わなかった。書けば書くほど狭まりを増す 手紙魔の独房にあっては、便箋も文字も余白もみるみる退縮していき、もはや手紙自体がペン先のように鋭くうねる路地と化す。そのことで逆に明澄さを増す夜 の夜をかいくぐって、寝返りの衣ずれやのど笛のかすれ、汗ばむ壁の軋みさえたぐり寄せることができる。あたかも晩年の短編「穴巣=バウ」で壁に頭打ちの苦 役を愉しむもぐら(モル)が、壁ごしに空耳ともつかず漂う微分子状(モレキュラー)の躁めきに戦慄と喚起をかきたてられる有様なのだ。あるいは電話の信号 に子供の喃語や間遠な歌声を、教会の鐘の音に別種の旋律を聴きつけてしまう「城」のK。さらには「家長の心配」の階段生物オドラデク、その木製のだんまり と枯葉でできた笑い。こうした病的なまでに明澄な聴力に満ちた作品群の基層には、壁にいくつもの隘路をうがつ手紙の一方性、二都の隔たりを一挙に蒸発させ てしまうゾンデの如き手紙の寄生性があったのではないか。
 高橋悠治もまた、微細な物音に魅かれるカフカの特異な耳に注目する。のみならず、手紙や日記、ノートやメモの類いのとりわけ小さな断片や放置、中断や反 復、罫線の引き方や“引っ掻き”といったカフカ独特の書く手と聴く耳を架橋する。こうした姿勢は既に壁沿いの二作、ピアノ曲「クロマモルフ II」とヴァ イオリン曲「六つの要素」に嗅ぎわけることができよう。句点と読点の強度と稼働、そして線分と破線の脈流と変位は、私には今なお鮮烈だ。それから二十年、 フロッピーディスクを用いたサンプリング・シンセサイザーによる「カフカ・フラグメンツ」と「ヨゼフィーネ」。そこでは「或る犬の探求」に登場する過剰な 身ぶりがそのまま静謐である音楽犬や、希薄な身ぶりが不貞の哲学を奏でる空中犬、掟の門番同然の猟師犬と断食犬の会話が発する圧倒的なコロラトゥーラ、そ れに咳やいびきやくしゃみに変位した鼠鳴きが、支那の築城法さながら寸断・放置されていて、確かに壁と耳の溶解・石畳と手の内破を心地よく兆すものだ。時 折り思い出したようにヒョイと指先を動かすだけの高橋の演奏に、私は「決意」と題されたカフカのアフォリズムを想起しないわけにはいかなかった。脱却の良 策とは全てを甘受すること、獣の視線をもつこと、一切の生を圧殺し、静謐のみを存立させること、そしてそのための動作とは、小指でそっと眉毛をなでること だという。
 この二作は八九年三月、八戸の「国際カフカ・フェス」でも演奏されたが、“カフカは演奏する”“鳴くひとカフカ”“実存者カフカから実験者カフカへ”と 銘打った我々の主催意図を、高橋悠治は図らずも実現してくれたように思う。その彼がジョン・ゾーン、三宅榛名と組んでカフカを全面展開したのが「カフカ・ プロツェス」、いわばカフカ工程・カフカ奏法と名づけられた“カフカの耳のための”コンサート(十一月末・朝日ホール)である。

——ただ、向うではちいさな事物があり、ここでは咆哮する物質の嵐がある。(W・ゴンブロヴィッチ「コスモス」工藤幸雄訳)

 私はカフカに反音楽とか沈黙の音楽、不条理や不可能性の音楽とかをふりあてるのは好まないし、どだいノイズ・ミュージックやミニマリズムとも全くの別物 だと思う。けれど、小ささや遠さ、薄さや細ぎれをカフカから方法化してみせる高橋の切り口は明快である。これまで、語る演劇ならぬ書く演劇、観られる演劇 ならぬ視る演劇、その平行性の演劇をかの二都でも試行しつつ、いくぶんかカフカの目とはなっていても耳になり損ねてきた私にとって、“紙の上に紙のように 書く”スリリングな二夜となった。三宅の研ぎ澄まされたリテラリズム、あるいは入れ子状の「寓意」、指の一本はここにいなくてはならない鍵盤の「夜」。 が、チャン・ジンリンのことらに美しい中国語と巻上公一の貧寒な日本語以外に、どんな異語や死語も演出してこなかったのは何故だろう。「カフカ・フェス」 にも来八・公演してくれた三原弟平京大助教授による“カフカにとって壁こそが音楽であった”という論及を、高橋が並行的にモジュレートしていく畳語法的な 営為もまたカフカと呼応するところだ。というのも、東西を分断してきた境界の消滅において露現するものは、宿望された内外の融合ではなく、むしろ内なき外 と外なき内という、さらに濃密化した平行性の事態なのだから。ゴンブロヴィッチの「コスモス」において、酷薄なまでに平行化してやまぬのは、カオスとコス モスではなく、ミクロカオスともう一つのミクロカオスなのだ。手紙のカフカがこのパラタクシスの方法の先駆であるのは断るまでもなかろう。
 ジョン・ゾーンは「訴訟=プロツェス」と「城=シュロス」という二大長編に取りくんだ。形態1・2と称する二夜の四作とも、風景がめまぐるしく変転する 前作「ゴダール」の手法と同じだ。細部まで過剰に視ることが聴くことを出来させるカフカは、ここでは見事に転倒されて、過剰に聴くことが視ることを乱立さ せることになる。違いがあるとすれば、ピアノ音を主調とした「訴訟」ではゾーン自身が登場して、三人の演奏家に最小限のサインを送ってサウンドスケープの 切断と転位を促す。コンダクターというよりプロンプター、影ゼリフというより即応者といった出でたちだ。それが不在の「城」では、ターンテーブル・スク ラッチ(クリッツェルン!)のC・マークレィと高橋・三宅が多彩な音色を駆使する一方、三人各様にゾーンの機能を強いられる。つまり一対三対応という点で は二作に変りはないが、それが内的に褶曲する点では「城」のほうが平行性の強度を増すわけである。このことは、まさしくカフカの両作にも翻って吃水すると ころであろう。果たして二夜の二十日鼠一族は、カフカの手たちに対してカフカの耳たちでありえたろうか。
 これが音楽の新しい動向か否かは判りようもないし、およそ現代音楽とかその突破口とか、高橋がカフカならこっちはキャロルだとか、私にはどうでもよいこ とだ。ただ、ひたすら手紙のように外延化し、どこまでも遠隔化していく長城的な思考だけが、その次元にはない静謐を召喚することができるのではあるまい か。

(初出「図書新聞」1989年12月9日(土)」
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CROSSING ——〈上演〉の記譜と測量をめぐって——(抜粋)

連載・ダンスの記譜法を求めて・7
CROSSING ——〈上演〉の記譜と測量をめぐって——(抜粋)
《Notation et Sondage de Theatre Absolu》
豊島重之 × 有森静 
TOSHIMA Shigeyuki × ARIMORI Sei



有森  今後のモレキュラーの展開は、カフカよりもルーセル、ヴィトカッツィということになるのですか?

豊島  いや、そうでもないでしょう。例えばこの92年3月にスタジオ錦糸町で上演する『ロクス・パラソルス』は、題名から明らかなよう に、確かにルーセルのテクストを下敷きにしたものではありますが、科白=セリフはほとんど総てカフカの「オットゥラへの手紙」の引用ですから。それと、 11月にやるのもほぼ同じ路線ですが『B-TALKIE-BITS(ビートーキービッツ)[*1]』という題名で、ヴィトカッツィの本名ヴィトキェーヴィ チを八戸弁で訛って言ったらこうなった、という(笑)。で、こっちのほうは一切カフカを使っていません。科白は基本的にヴィトカッツィの「肖像画商会の定 款(ていかん)」というテクストだけです。彼には「狂人と尼僧」とか「クイナ」とか有名な戯曲があって、邦訳されているにも関わらず、どうしてそんな妙ち きりんな、テクストとはとても言いがたい代物を敢えて使うのか。

有森  そこがモレキュラーであり、カフカなんだと・・・(笑)。

豊島  そう(笑)。カフカから〈書簡〉の形式を上演のフォルムとして抽出したように、ルーセルから〈推敲〉の形式を、ヴィトカッツィから 〈定款〉の形式を取り出したい。そういう非常に限定的なモチーフがあるからです。私にとっては書簡と推敲、推敲と定款というのは〈寄生的な事態〉をはっき りと示してくれるものです。そのことで、演劇の話法とか上演の書法といったものを根底的に〈測量〉[*2]し直したい気持ちがあるんでしょうね。ですか ら、やっぱりカフカですよ、原点というか特異点としては。カフカの書簡に遭遇することがなかったなら、ヴィトカッツィをいくら読みこんでも定款には注目し なかったでしょうから。
 へたをすれば職業柄、ドラッグの幻覚体験ルポのほうについ目が行っちゃう(笑)。何時何分、何事もなし、何時何分、グラッと来た、とかね。それをそのま ま演劇にしちゃおうとか、つい思っちゃう。だけども、定款、これは何なんだ、なんでヴィトカッツィがこんなものを書かなくてはならなかったのか。そう思っ た時にね、そこから逆に、あの幻覚ルポの書法[*3]でさえ、実は、この定款の変奏なんじゃないかと読み替えていくことだってできるわけなんです。私の言 う〈測量〉というのは、そういうことですね。

有森  つまり、上演のためのテクストの選択の問題じゃなくて、テクストのあり方それ自体を上演のフォルムとして提示する、ということですか。

豊島  テクストの言語とか文体については、よく云々される。そのわりには、上演の言語とか上演の書法ということが、ほとんど顧みられてい ないんじゃないか、そういう視点です。それはどうしてかって言うと、ひとつにはテクストの固有な解読なり、そのモチーフなりを上演がいかに適切に実現して みせたか、いかに他とは違った時空間を生起させたか、総てそうした出来ばえのレベルに回収されてしまうからでしょう。
 もうひとつには、テクストと上演の関係が、遠近法というものを、りちぎに形成してさえいればいいと。従って、テクストの言語と上演の言語をいかに統合す るか、身体の言語でもっていかに架橋するか、だけになってしまう。そこでは、身体の言語の豊かさが、豊かさといえば聞こえはいいけど、つまりは曖昧さが、 遠近法の自明化に臆面もなく均りあってしまう。そればかりか、身体の言語の曖昧さだけが総てを凌駕してしまって、上演の言語であれテクストとの遠近法であ れ、全部を曖昧にしてきたんじゃないか。というのが、この間の消息だと思うんですよ。

 そうした消息に対して、測量と言っているわけです。遠近法に対しても測量し直しが必要なんじゃないかとね。例えば戯曲の書法。ト書きがあって、役名ごと に台詞があって、という、あのステロタイプには私なんか、もう意気阻喪してしまう(笑)。そういうのはもういい、というか。どだいスピード感がない、〈思 考の測量感〉というものがないでしょう、あの書法には。じゃ、それに代わるもの、ということで、例えばハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」とか が取り沙汰される。ト書きや台詞が混融した全編モノローグ体のというか、ラジオドラマの書法というか。
 でもね、これをテクストの "形式革命" だなんて言ったら、アルトーはどうなるわけ? どういう神経してるんだ、おまえの神経の秤(はかり)は、ということになりませんか? だってアルトーは ミュラーのずっと前に『神の裁きにけりをつけるために』[*4]を出してるわけでしょう? あれこそまさにラジオドラマの書法だし、全編モノローグ体、し かもマニフェスト体だし、これこそ戯曲のひとつの極限型だと言ってもいい。その意味で「ハムレット・マシーン」は「神の裁き・・・」の悪しき縮小再生産に すぎない、と私は思います。でもまあ、アルトーを対置させるのは、何というか、行儀に反するかもしれませんが。そう言えば、アルトーの研究家でもある及川 廣信さんによると、ブレヒトにもその手のテクストがあるらしいんです。

 いずれにしろ、全編モノローグ体という戯曲を想定してみる時に、モレキュラーがカフカの書簡をテクストにして既に86年にやっている、そこはどうなの か、ということでしょう。勿論、まだミュラーなんか取り沙汰されてなかった時期にですよ。書簡の演劇化ではなく、"演劇の書簡化" だとか、それこそ "演劇マシーニック" [*5]だとか、既にその時点で言ってるんですね。言ったことの責任はとらなきゃいけない、ということで、今、駄弁を弄してることになるんでしょうが。そ のあとで、ミュラーのテクスト形式がどうのこうの言ったって、思考の測量感に欠けるとしか言いようがない。はっきり言って、モレキュラーのカフカで、ミュ ラーは「けりがついてる」。
 書簡の形式って言ったのは、そういう含意です。そして、その書簡をさらに測量していけば、ヴィトカッツィの定款の形式に行きあたるに違いないと。ですか ら私にとって、定款とは、アルトーとは違った意味で、もうひとつの戯曲の極限型とみなすことができる。のみならず、それがそのまま上演の書法ということに なるわけです。
 そこで忘れてはならないのがベケットですね。特に宇野邦一さんが訳して最近出たばかりの二作、「伴侶」と「見ちがい言いちがい」。モノローグと言えばモ ノローグだけど、小説でもなければ詩でもない。この書法は何なんだ、ということですよ。それを瀬尾育生さんは、役名ぬきのト書きだけで成立しているんじゃ ないか、と言ってましたが、まさに「ト書き文」としか言いようのない特殊なジャンル[*6]だと考えるべきなんですね。それこそ思考の速度感や測量感があ るし、"測量的な寂寥感" そのものだというか。

有森  その、書簡—推敲—定款という三ツ組、トリアッドというかトリプティーク(三幅対)について、もう少し解きほぐして言ったらどうなりますか?

豊島  書簡を徹底して推敲していくと定款になる、そう考えれば分かり易いでしょう。でも、実は、そこからの折り返しがあって、定款をさら に推敲していくとまた書簡ができちゃう、そこの処は少し分かりにくくなりますね。私は、ある種メビウス・リング的な無限反復とか、往還の二重性とか、そう いうことが言いたいのではないんです。つまり、書簡と定款、この二つのカン。有森さんも出席なさった90年の二つの「カンタータ/間TATAフェス [*7]」は、実はこの二つのカンに還流していた(笑)。いやすでに86年にカフカに取り組み始めた時から、私にはそういう測量感があったと言ってもいい くらいで。

 私は「絶対演劇第一宣言」の中で 〈観客とは冗語である〉と言ってますよね。観も客も同じ意味です。"観" する人という意味ではなく、"客" こそ "観" なんだと。観ることの只中にあって "観" が生じてこないと "客" とは呼べない。傲慢にも人にそれを要求しているんではなく、あくまで私が観る時の姿勢を言っているんだけど。観ること自体が〈観=客〉たることを要求して ると言えば、至極当然、何を今更と言われかねない。でも、本当はそこが、一番難しい処でしょう。
 例えば寺山修司はかつて、作品の半分は観る者がつくる、つまり上演側は作品を半分だけつくればいい、あとは観る側が完成させるんだ、というような、ある 種傲慢な姿勢を打ち出したことがあった。それに対して、荒川修作は、作品が観る者をつくる、つまり観る者がつくられる場、それが作品なんだ、というよう な、ある種退嬰的な姿勢を最近[*8]かいまみせている。その口車に乗った批評家も、今や、一時期とは異質な、新しい "環境芸術" が生まれつつある、などと口走ったりするわけです。
 確かにタブローのスペクタクル化と見えないことはない。それを見こして荒川自身が、精神のディズニーランドだと、これまた口走るわけですね。なんで退嬰 的と思ったかと言えば、ひとつには基本的に、見ることの場というのはタブローだからこそ出てくるし、タブローにおいてこそ思考しうるんであって。それを、 タブローの毛穴を手放しに開いていく方向は、弛緩した思考以外の何ものでもない。タブローの前に劇場をこさえているような、ああいう事態は、タブローなん か要らないと言っているようなものです。
 そうすると、荒川は初めっからそうだったのか、あの、線とか文字とか矢印とか空欄とかは、とどのつまりミニマリズムとか消滅絵画の亜型だったのか、とい うことになっちゃう。少なくとも私はそうは見てはいなかった、あのセマンティクスの線とか矢印をギリギリの肯定性というか、剣ケ峰の事実性というふうに捉 えていましたから。つまり、こっちの身体や場があの矢印とか空欄に吸いこまれているとか、それこそランドサットの視線を強いているというか。ところが、何 のことはない、タブローの前に劇場をこさえたかったのか、タブローを消滅させたかったのか、という。結局、荒川のタブローは、不可視の劇場のための設計図 とか投影図だった、てなことになると、私なんかもうガックリですね。

 もうひとつ致命的なのは、瞑目を持ち出してるころです。目をつむっちゃったら、どんなタブローもディズニーランドでしょうが。〈この〉タブローでなけれ ばダメなんだ、という線は吹っとんじゃう。作品が見る者をつくるとか、タブローのスペクタクル化なんてのも、当然言えないはずです。これはもう、弛緩どこ ろか退嬰としか考えようがないんじゃないか。斜面で見せる、まぁいいでしょう、斜面を動かして見せる、まぁ遊んで下さいと——荒川に言ってるんですよ (笑)。そこまではいい、でも瞑目してくれ、これは全然違う。
 どうしてそこまではいいか、見る身体をひとまず、静止させているからです。演劇というのは、ほとんど度しがたい代物だけど、たった一つ捨てがたいと思う のは、あの客席ですよ。見る身体を固定させられる、身体を不能化させられる、それとなく、というか、何の苦もなく、というか。座るということ、座ってみる ということ。これが私のギリギリの演劇との結節点ですし、そこが私にとっての剣ケ峰の事実性ですね。そこを取っぱらったら、演劇である必要はなくなるし、 演劇なんかやらないでしょう。それを制度と言うなら、制度はこう考えると言ってるんですよ、私は。そこが寺山修司の "観客席" と大きく違う処でしょうし、好意的にみれば、本当は寺山も私と同じことを考えてたんじゃないかな。

 ところが、荒川は瞑目を強いる。すると、どうなるか。ポーンとコズモロジーに行っちゃうか、束の間の知覚変容体験に一喜一憂するか、どっちにしろ、ディ ズニーランドに変りはない。子供たちがね、目を開ければ何てことはないのに、つむればこんなに面白いとキャピキャピしてるわけです。その点では教育的な意 味はあるでしょう。でも、そんなものならHMD(ヘッド・マウント・ディスプレィ)とかヴィデオ・ドロームとか、もっとマシなのがいくらでもある。となる と、今度は耳でもふさごうか、しまいには、タブローから身体を遠ざけて、来させなくすればよいと。つまり、私の言いたいのは、タブローを場として拡大する 方向も、目を閉ざす方向も、いずれも先が見えてるのではないかと。のみならず、見るとは、そういった知覚変容体験なんかではなくて、あくまでタブローとい う、まぎれもなく異様な形式、〈絶対形式〉とでも言うほかない、タブローのあり方に気づくということなんですよ。

 私の考えでは、見ることにおいて常に見ないことは顕在化しているんです。見ることは潜在的に見ないことを内包しているとか前提にしてるとか、どうも荒川 はそこいら止まりに思えてならないけど、もはやそういうことじゃない。見ることと見ないこととは、絶えず同時に共起していて、それを私は86年の〈演劇の 書簡化〉では、パラレリズムとか平行植物性とか言ってたんです。これを言えば長くなりそうなので、もうやめときますが、たった一言、目をつむればタブロー は見えない、そう言い切っておきましょう。
 ともかく、見る者がつくるんでも、見る者をつくるんでもなく、つまり寺山でも荒川でもない方向をモレキュラーはやろうとしてる、ということです。それ が、書簡と定款、この二つのカンを折り返す〈観=客〉という第三のカンなんです。そしてそれこそ真に推敲の内実なんですね。推(すい)も敲(こう)もまた 観客同様、冗語ですし、一方、荒川風のタブローのスペクタクル化と正反対の〈スペクタクルのタブロー化〉をそっくり言い当ててくれる用語ですし、さらに は、その文字の文字性、物質性の含意から言っても、書簡とであれ定款とであれ、すぐさま〈寄生体〉を成すだろうし、文字通り、測量度の高い思考が要請され るだろうと。私がカフカ・ルーセル・ヴィトカッツィから析出したのは、ひとまずその辺だということです。

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有森  ものすごく愚直に言って(笑)、「絶対演劇」には連接ではなく隣接、離接という重要な概念というかモチーフがあって、上演形態においてその差異というのは具体的にどのように顕在化されるとお考えでしょうか?
 繰り返しになりますが、その〈マテリアルなもの〉をどこに・何に見出せるのか、上演する側のリアリティは別として、見る側へのアプローチというか。つま り、書かれたもののレベルでなく、上演形態そのものにおいて展開されるべきだと、もっとその差異がね。そこでの具体的な差異がつぎの運動を導いてゆくので すから。そうでなければ〈差異の形而上学〉で終わってしまう。
 「絶対演劇」をめぐる現状というのは、圧倒的に理念系の優位ですよ、過剰に戦略的に深読みしている段階。現にそこが問われないとパパ・タラフマラなりダ ム・タイプなり、勅使河原三郎のダンスなりポストモダンな動きとたいして違わない。異なった価値への志向・傾きの違いだけがあって、例えばパパ・タラフマ ラに「パレード」という上演があって、それは本当に文字通りのパレードなんですよね。イマージュの断片の連続、好意的に言って不連続、アンチ・オイディプ ス的[*9]な毒は消し去って、つまり、メトニミーではなくメタファー、諸イマージュのパレードなんです、見事なくらいに。

豊島  転形劇場の『水の駅』へのオマージュということじゃないかな。

有森  ええ、確かにパレードですね、『水の駅』は、いま振りかえると。赤坂のアトリエでの初演を見たのですが、心底感動しながら、二度と この〈いま・ここ〉は共有したくない、というような決意を促されましたから(笑)。とはいえ、その場での違和感というのは、その後なかなか解らなかった。
 ぼくはモレキュラーでの豊島さんの試みで、いわばその思考のエッセンスというか、再帰接頭辞の <re-> と、<trans->〔を越えて・向こうへ・横切って・移行・変化等の含意〕、<para->〔側・副・準・病的異状・擬似・類 似等の含意〕との内在的な関係、その独自の思考の展開に興味があるというか面白いし、触発されるわけです。たぶん、このモレキュラーにおける三ツ組の〈同 時に〔du meme coup〕〉は即、"贈与の打撃" 的であってね。上演の場面で初めてそうした試みに出会った気がして、それは稀有なことだと思うんです。
 ヴィトカッツィとかルーセルとかいった1920年代の作家、アーティストに対する嗜好というのも、ある種の回帰だと思うのですが。もちろん、この場合の回帰は、〈回帰 - 革命〔recurrence - revolution〕〉的[*10]な性格のものです。

豊島  例えばカフカ、ルーセル、アルトー、ヴィトカッツィという線を引く。端的に線を引くわけですよ、私の場合ね。回帰というふうには考 えないで、同時代だと考える。カフカと同じ空気を吸っているのだし、ヴィトカッツィと同じ空気を吸っている。回帰というよりは同時代なのだという言い方を すれば、われわれの時代はダム・タイプとかパパ・タラフマラでもなければ、勅使河原でもないと。私にとっての同時代はカフカであり、ルーセルであり、ヴィ トカッツィであり、アルトーなんだと。そう語ること自体が〈回帰 - 革命〉的な事態であればいいと、私は考えてるんですね。

有森  その20年代への親和、親密さというのはベンヤミンの仕事、彼の同時代への関わり方を思い起こさせます。でも言わんとすることはよく判ります、ダム・タイプや勅使河原に触れられたので。

豊島  さっき指摘された <re> というのは、見るとかあるいはカラダとか、そういうことから来ているのじゃない? ダンスとの付き合いの中で。つねに再帰しつづけるしかないですかね、身体というのは。

有森  その三ツ組の内在的な関係でぼくが考えていることと言うのは、いま発話の場面で厳密に展開できる準備も能力もないのですが、やはり 〈表象〉批判の文脈で括ることができると思うんです。すでに上演の場面を対象にして何人かの人たちが断片的に発言されていますが、もっと厳密にまとまった 形で打ち出せたらと・・・。去年の春でしたか、その序で弁明までつけた形で「表象=ルプレザンタシオン」と銘打った雑誌が出たことに多少のショックをうけ たわけです。この人たちにとって結局、思想というのは概念の操作ないしは研究であって、率直に言ってある種の衰弱感を感じたわけです。
 豊島さんの場合は、<re-> の場所にズレをみておられるわけですよね。遅延の力というか、反復というのか。いわば <para-> や <trans-> はその形象化・具象化であって、オスト・オルガンの場合、まさに「空白に隣接するもの」となっていますが。豊島さんの書かれたものの中にも、あきらかに空 間の優位があると思うのですよ、思考の運動の痕跡として。その空間の優位がラディカリズムを保証している形になっている。個人を超えて世代的なものかも知 れないのですがね、ぼくなんかからみると。その <re> の空間性への嗜好というのは、いまだ具現化されていないのではないか。
 逆に砕氷船が分厚い氷海を切り拓いてゆく感じで、もっと骨太に〈上演 - 展開〉されていいのではないか。ある空白を前提としたうえでの <re> なんですよ、転換〔transformation〕にしろ翻訳〔traduction〕にしろ。限定性と回帰性との円環、その場所で空転しているのは、あ るいは理念系でなければいいんだがな、と[*11]。豊島さんの場合、転移〔transfert〕の問題も考えなけりゃいけないし。

豊島  演劇の身体とか、上演とか考えた時には空間性の優位は当然あるでしょう。私の場合、いかにも空間から入っていくかのように見えるん だけど、むしろ空間をねじ曲げてゆく作業とか、空間に裂け目を入れてゆく作業の時に、いままで潜在していた時間というものが露出してくる。つまり、空間と 時間を渾然一体のものとしてではなく、離接的に扱うということ。離接ということではっきりするのは、それがトートロジックな事態にほかならない、というこ とですね。
 <re> とか <para> はそのことをさしている。それを言表のレベルでは、他者性を欠いた戦慄的な遅延といったり、「絶対演劇宣言」では論旨の主たる部分にもなっているのだけれ ど、〈二度性の反復〉[*12]という、二度反復するものだと。無限反復とか、三度、四度、五度じゃないんだと。<re> の時間的な露出の仕方、空間を蹴破って露出してくる時の <para> のあり方を言ってるんです。これを最初からパースペクティヴに配合してやると、つまり、どっかに空白なり消尽点なりを置いてしまうと、たとえば連接的な演 劇とか無限反復的なダンスのスタイルというのが出来てしまうのじゃないか。

有森  その傾向というのは、モダンダンスの長い受容の歴史のなかでも、土方巽の舞踏の継承においても、上演の表われの領域で顕著ですね。 具体的な展開レベルでの思考力の弱さとか、結果的に理論の軽視、個有のメソッドのなさとか、たとえあってもマンネリズムに陥って人生論的、経験的な言説で お茶を濁して恥じない、という・・・。

豊島  絵を描くにしろ、描く動作を紡いでいくにしろ、イマージュのレベルで考えるんじゃなく、あくまでロジックのレベルに徹してみる、ということですね。

有森  その意味で、勅使河原にはイマージュの配合はあってもロジックの展開はまだ弱いというか、感銘をうけるまでには見えてこない。その才能とセンスのよさはいま一番だと思うのですが。どうしてですかね?

豊島  たぶんね、その時間と空間をズラしながらあるいは強度を保ちながら、うまく配合しているというのが身体表現の一番良質なものだろう と思うんです。勅使河原のダンスには、非常にバランスのとれた良質さ、しかも懐の深い説得力を感じますよ。でもそれは、決してヴィトカッツィが言っている 「チスタ・フォルマ=純粋形式」、アルトーが言っている「クリュオテ=残酷」とは違うレベルの良質さであってね。

有森  上演においても書かれたものにおいても大正モダニズム、デカダンスへの親和があって実際、一時の勅使河原にはその想起がすべてっていう感じがありましたからね。

豊島  その路線で宮沢賢治を素材にするとしたら全然、違うんですね。私から言えば宮沢賢治というのは、カフカとかアルトーの同時代人なんですよ。だから、宮沢賢治の残酷[*13]というふうに考えてゆくべきであって。

有森  起源や根源を求める表現というのは、その拠って立つ価値判断の起源も同時に問われるのでなければ力をもたない。現象学的な身体論だ けの人というのは概して容易ですよね。ひとつの憶断として、その辺の甘さが均質な空間、均質な時間の生成と繋がっているのではないかと。だから〈深さを標 榜する〉身体表現に対しては、ついこちらも斜(はす)に構えてしまう。どこか偽善的ないしは偽悪的な、そのどちらかのタイプの上演で、逆説的に深さを感じ ないんです。

豊島  まあ、上演の場面で、ある期待の地平に沿った濃密な空気をつくりだすっていう方向に行きますから。私はむしろ、その空気を薄くする 方向で考えているんですけどね。動かなければ動かないほうが空気が薄くなるのなら、身体は動かさない。だけど、ただ動かないだけで空気が薄くなるのであれ ば世話はないのであって、実際は動かさなければ空気は薄くなりませんから。場合によってはどんどん動く。そのためには動かないための表現論、技術論が必要 になってくる。そういう過程を抜きにしてオスト・オルガンがああいう試みをしているわけだから、私には面白いけど有森さんにはちょっともの足りなく感じ るっていうのは当然あると思うんです。でも、それはそういうレベルを問わないという視点でやられていて、そこからどういう言葉が喚起されるのか、その方向 になるわけです。

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有森  上演における、僕の側から言えば〈記譜〉、豊島さんの側からする〈測量〉、いわばそのマティエールをどこに見出すのか、この段階でもう少し考えてみたいのですが。

豊島  〈測量〉の仕方としては二つあると思うんです。ダンス批判であれ、演劇批判であれ、何かこう総論的な問題の立て方というものを疑っ てみることです。たとえば世界的な地殻変動にともなう知の変容というか、身体表現においてもポストモダンあるいはシミュレーショニズムの流れがあって、表 現態も当然変わってくるだろうと。なぜ、こうも無反省に演劇が産業化されてしまうのか。あるいは高度情報化にきちんと即応してしまう演劇表現とは、一体ど ういうことなのかという批評が発せられてそのまま流通してしまう。言ってみれば社会の変動、政治の変動、世界地図が更新される事態に踊らされているだけ じゃないのか。いま一番必要なのは、もっと丹念に身体の動きなり微細な思考なりを見つめてゆく作業だろうと。そういう問題の立て方さえも疑っていくわけで す。

 それと、子どものダンスを有森さんと一緒にみる機会があって、子どものダンスと大人のダンスというのは次元が違うと、みんな頭から思っている。しかし、 それは表現意識の問題として違うと思っているんで。じゃあ、逆に発達論的に成熟した表現意識とか、未熟な意識とかいうのは本当にあるんだろうか。あるい は、その鏡像段階で言語を学習した途端に、自我が主体として構造化される。その構造化される過程において、いろんな合力、斥力が働いて、さまざまなオプ セッション(強迫観念)を生じる。
 そのオプセッションが自己実現/他者承認の欲望であれ、その欲望の形態であれ、そういった多形倒錯的な力動に主体を搦(から)めとってゆく。つまり表現 意識というのは、実は鏡像段階のなせるわざだっていうトートロジーさえ成り立つわけで、そうした時の表現意識なんていうのは実にあやふやなものなんじゃな いのか。だから表現意識のレベルでね、大人のダンス、子どものダンスを腑分けできるはずがない。
 とすると、子どものダンスというのは何なのだろう。全然、違った世界なのか。ピナ・バウシュとかローザスとか土方巽だとか、そういうものを見た時の感動 の質と、無名・匿名の子どものダンスに触発される時のその匿名性とが、どこでどう、くい違ってしまうのか。どうして子どものダンスの批評家はいないのか。 真に〈基礎論〉[*14]として批評の胆力が問われるのは、そこいらの演劇とか大人のダンスでは駄目なんであって。むしろ子どものダンスを前にして何が言 えるのか、実は何も言えないんじゃないのか。

 そういう局面で、私は〈測量〉というのを考える。こういう普通、誰もが考えそうにない問題、それと有森さんのやっている身体の細部の思考力を見出してい こうという〈記譜〉的な批評の問題とは、どこかで結びつくと思うんですよ。なぜかというと、総論的な問題がもう決定不能であるっていう、これだけ思い知ら された時代にわれわれがいるからです。もはや、文化批判だの状況批判だのはほとんど愚にもつかない。そこまで、われわれはある根底的な〈さしかかり〉にい るんじゃないか、ということです。

有森  やっぱりマティエールですね。対象としてもマテリアルなものに出会っていない安易な領域で、文学的な言葉を紡いでしまうことが多いでしょうから。

豊島  有森さんが雑談のなかで言った話というのは典型的だと思うんですよ。あるダンサーが、身体性をめぐって哲学ではさまざまに問われる けれども、実は、踊っている時の内実っていうのは身体性は消去されているんだよと。それが踊り手の身体的なリアリティなんであって、これはいかんともしが たいのだ。その問題をどうしてくれるんだみたいな。
 それはちょっと違うんじゃないかと、私は思うんです。ひとつには、その消去とか空白のリアリティというのは、身体のフォルムの現前ゆえだからですね。そ のダンサーが言ってる実感こそ、〈空虚と現前の形而上学〉の所産にほかならない。やはり基本的にわれわれは世界の縁(へり)にいるのであり、そうであるな ら世界に内属しつつ、かつ世界から常に切片的に外在化しているわけであってね。
 身体のさまざまな切片がどういう微細な知覚と微細な言語を発動してくるかという、そこを批評は見るだろうし、上演の側もそういう〈切片的思考〉をマテリ アライズしようとするわけです。そのあとですね、上演とは何だったのか、なぜ上演されなければならないのかという〈白さの事態〉[*15]と、記譜・測量 の思考とが繋がっていくのは。

有森  批評の領域でどういうふうにアプローチして行ったらよいのか、いまも模索の段階なので、あと5年10年は覚悟しているんですが、豊 島さんのお話を聴いていて、精神分析理論との関わりでいえば〈部分欲動〉で言われることと、やっとすこし繋がってきた気がします。それが発話の場面であ れ、書くという作業の場面であれ、リニアル(線状的)なものの強要への嫌悪、ある種の明晰さへの嫌悪があって、たとえば普通の演劇なんかでは台詞や感情の やりとりだけでなく、演技や所作の次元でも気恥かしいくらいにリニアルなものが前提されています。
 ぼくの場合、〈同時に多く〉ということを考えてしまう——言語学でいうシンタグマとパラディグマ[*16]の二つの次元、あれを連想してくださればいい のですが——言語学に教えられる前に発話の場面で、現に志向してしまう感受性というものがあったとしたら、"どもら" ざるを得ないと思うんですよ。瞬間的に刻々がもうパフォーマンスですからね、あるテンションのもとでの。それはダンスという固有の上演形態への親和と密接 に繋がっていると思うんです。
 豊島さんの場合、そのロジックかイマージュかという区分をイデオロギー的に、つまり排他択一的に使っているわけではないですからね。ある近似値を得るた めのアプローチとして使われていて、言語運用の場面での構成主義的なアプローチの仕方っていうか、価値論的でもあるし、やはり精神分析的な使用だと思うん です。そうすると敢えて身体と言語とか、観客と上演とかのデコトミーで考えなくてもいいわけですし。イマージュの問題は経験的にある程度判ります。イマー ジュとロジックの関係はさっきの子どものダンスでいうとどうなりますか。

豊島  たぶんイマージュが失敗した時ってことでしょうね。そういう時に子どもにとってのロジックなるものが噴出してくると思うんですよ。 どこでどのようにロジックが表われてくるのか、観客は見逃さないことが出来るわけです。眉根のひそめ方、たたらの踏み方、次の動きの零点何秒かの遅れ、そ ういうかたちで具体的に表われる。それも、救いがたい事実性として顕れるのだと思うんですよ、ミスった時の子どもの表情、子どもが無惨にもつくってしまう 仕草とかね。

有森  そうするとその時のロジックっていうのは、コンセプトとどのような関係にあるとお考えですか。

豊島  だからたぶん、ロジックと呼ばずに〈非 - イマージュ〉と言ったほうがいいのかも知れない。とりあえず非 - イマージュと呼ぶべきものを私は敢えてロジックと言っている。というのは、さっきのダンサーの例でもはっきりあるのは、ロジックはないんだよという言い 方。ダンスはもっとリアリティのあるものだよと。モダンの人たちはみんなそうだし、舞踏の人たちもそう、ロジックなんか関係ないよって。それで終わってし まうところがある。しかし本当はそれこそ錯覚でしかないのであって。それが、子どものダンスというようなもっとナイーヴな地平において、それこそ無媒介な 戦慄の地平[*17]にこそ見出すことができるんではないかと。
 そこで一番大事なことは、コンセプトは前提とされるが、あくまでロジックは前提にできないということ。単に構築の失敗だとしても、そのことに切実なリア リティを持たない人が "脱構築" と言ったところで、それはもうどうしようもない。子どもらは別にロジックが言いたくてミスっているわけじゃない。できればイマージュのままでイマージュか らの緊張感を保ちながら、最初から最後まで "どもらずに" ゆくことを念じている。ところが  "どもらない" ことができない、イマージュ=身体というのはね。その事後性をどう考えるのかということですよ。

 まあ、子どもたちの内実を考えればイマージュなんかクソくらえだと思うんですね、本当をいえばね。でも踊っている何分何秒かのなかでは、たぶんイマー ジュをよすがにしているんだと思うし、それは観客でも同じだと思うんですよ。だからイマージュがどうしようもなく失敗した時に出てくる、身体のちょっとし た指先の震えであるとか足首のちょっとしたもたれぐあいとか、何かそういったものをロジックと呼ぼうと。実はそうした局面で私が考えているものは、ある種 〈究極のイマージュ〉なんです。つまり、そう言ってよければイマージュのイマージュですよ。イマージュというのはある対象、ある事態、ある現実の反映なわ けですよね。その不在に対して与えられたプロジェクション(投影)がイマージュだとしたら、そのイマージュのイマージュ。

有森  それはよく判るんです。ただ、そのイマージュのイマージュ、それから他者の他者性、否定の否定とか忘却の忘却でしたか。これは他の 芸術ジャンル、美術とかね、共約されてある問題でもあって、当然その「方法としてのトートロジー」というようなものが考えられてもいい、肯定的にね。でも ぼくの感触だと、そのトートロジーに陥って身動きがとれなくなっていったのが、その時代時代の前衛、前衛的な芸術の末路だったのであって、その辺はどうク リアないし回避されるおつもりですか。

豊島  もし仮にそうだったとすればね、トートロジーについてネガティヴにしか考えてこなかったのだと思いますよ。方法としてのトートロ ジーが前衛芸術の末路に直結すると今おっしゃったけど、まさにその末路を、演劇の往路として捉え返そうとしたのが「絶対演劇第一宣言」の意図するところ だった。私はむしろ、末路を肯定的に捉え返すには、逆説的にではなく、まさしく積極的に〈冗語反復=トートロジー〉によらなくてはならないと考えたわけで す。

 ただ、私は私である、他者は他者である、否定は否定であると、こういうトートロジーというのはある意味でいえば、日本的権力の構造とか天皇制の核心部を なしている、ある一つの空虚な、まさに無用の、無効の言説なんですよ。言説として何ら権能を発動しない、いわば最高の無機能、言葉がまったくサンスをもた なくなるノンサンスの領域[*18]。そこから、いや、ないことはないと言うのは実はあることなんじゃないのかと転倒させて、そういった言説のメカニズム が遂行されて強固な同心円が出来上がっていったあげく、それが共同体を形成し、かつ文化的、権力的なコンテクストをつくってきた。そこがトートロジーの最 もキナ臭い "負" の様態であって、それが芸術の領域においても抜きがたくあったのは確かでしょう。逆にいえば、そうした権力構造のキナ臭さを露呈させるべく、敢えてトート ロジーを行使するということです[*19]。

 それが肯定の肯定というトートロジーです。なぜなら否定の否定というトートロジーは、容易に肯定に反転しそうでしない、そのこと自体、陰湿な構えを隠さ ない〈日本的ポリティカル/カルチュラル〉であるような権力発動装置だからでしょう。それに反して、私の言う肯定の肯定は、忘却の忘却/禁止の禁止という 言い方と、ほとんど同義であるような用法なんです。その意味で、イマージュのイマージュという言い方も可能となります。
 そうではなく、何々のイマージュと言った場合には、その当の事物の不在を代補し、保証し、トートロジーの無効を肩代わりするものとなる。トートロジーが 権力の中枢を成すかぎり、イマージュとかメタファーは日本的文脈として絶大な権力をもつでしょう。ところが、例えばイマージュのイマージュと言った途端、 たちまち右往左往してしまう。日本的権力の構造はインフラ(下層)からイントラ(内層)まで、あたふたと動揺してしまうような事態になるんじゃないか。

有森  そこにイマージュのイマージュと言われることの戦略を見るんですね。

豊島  だって、その時のロジックというのは、私にとってヴィトカッツィ言うところの純粋形式ですよ。ある意味でアルトー言うところの残 酷、ルーセル言うところの非常にマシーニックな、ただただ数字と数字を並び替えて行った徒労の果てに、辛うじてつじつまが合ってしまう時のその数字の持ち だし方とかね。ほとんど日常のリアリティを一切持ちえない空虚な、方法論的にも孤独な作業のなかで営まれた、まったく世の中にとって無益な、無意味という しかない——毒にもならないわけですからね——この世の中になぜ数学とか形式論理学みたいなものがあるんだろうかと改めて思わせてしまうような、そういう ロジックです。

有森  即、それは言語の問題だし身体の問題でもあって、上演の場面で例えばアクションに対するリアクションを考えてみるような姿勢。反応 であり、反動であり、反省的なものの回帰であり、ルサンチマンであり、いまのお話のトートロジーのモチーフというのは、リアクションを回避することの方法 論的な徹底性というか、そういう流れを肯定的に捉え返そうとされている、同じことですよね。

豊島  どうですかね。アクションに対するリアクションと言った時には、アクションが懐疑されたってことにすぎない。つまり能動に対する受 動ですね。こういう能動と受動のデコトミーのなかでは、私のやろうとしていることはたぶん、成立しないし理解されないと思うんです。他者というのはリアク ションを持つものなんだと。その関係でいけばどこまでも、そのトートロジーを抽出するメカニズムのなかに回収されてしまうよと。私が、他者の拒否というの は、そういう文脈です。

有森  そうすると、言語のレベルでも上演のレベルでも、豊島さんは安易にメタレベルを認めないのだと、そういう括り方もできますか。

豊島  まあ、超越性は必ず空虚の匂いがしますからね。もっと具体的にいえば、有森さん旧知のダンサーが踊り手の内実、踊り手のリアリティ というのは、身体性なんかこれっぽっちもないんですよと。そうした言い方が可能なのは、超越性のスタンスに無自覚に立っているからではないかと、私なんか は思うわけです。[*20]

*******
(初出「ダンスと批評 et」No.7/1992年春/抜粋)

採録者註:
上記テクストは、まだ、筆者の一人有森氏から採録/再掲の承諾を得ておらず、もう一人の筆者豊島氏から転載承諾を得た部分のみ掲載しているものです。もし何か問題等がありましたら、採録者根本までご連絡をお願いします。

転載承諾者[註*]:

[*1] 「B級映画の細片」という1989年初演時タイトル。88年の前作『Blind Game』から察せられる通り「Bトーキー」にはブラインド映画の含意があり、それは「すべての映画は "盲人映画" だ」と語った、サイレント映画好きのカフカに由来する。しかし、この題名は92年シアターΧ(カイ)上演時には封印され、それに代わって『肖像画商会』 『顔の演劇』『Facade Firm=ファサード・ファーム』という呼称が96年アデレード芸術祭まで転々とした。ちなみに99年フランス5都市公演『Os-iris/ Oscillis』もそのヴァージョンである。

[*2] 「survey=サーヴェイ」には測量のみならず「監視」の意味もあるため、ここではゾンデを挿し入れる「測深」を意味するフランス語「sondage=ソンダージュ」を採用している。

[*3] ヴァルター・ベンヤミン『陶酔論』(飯吉光夫訳)のハシッシ幻覚実験ルポに匹敵する、スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチのペィヨー テ幻覚実験ルポは、95年シアターΧでのモレキュラー三部作公演の一作『口の演劇=Funnelled』に結実した。(八角聡仁氏によるこの公演評は、本 サイト掲載『HO-kori の培養・�』における〈L字形〉として散見されよう。)

[*4] アントナン・アルトー『神の裁きと訣別するため』宇野邦一訳・ペヨトル工房刊、参照。

[*5] 「symbiosis=共生」という在り方に対して、およそ劣位に、否定的に思われがちな「parasitism=寄生」(豊島『演劇のアポ トージス 第一章』参照)をむしろ肯定的に捉え返した演劇実践を、すでに86年以前から〈演劇マシーニック〉と名付けていた(このサイトのトップページ掲 載『f/F パラサイト』チラシ・ヘッドライン参照)。

[*6] サミュエル・ベケットには『芝居 下書き=rough』というテクストも数篇あって、その「ラフ」を豊島は、役名なき「ト書き文」と同様、特異 なジャンルとみなしている(現代詩手帖のエッセイ参照)。96年にモレキュラーが始動した新作群は、単に写真と演劇を連動・重奏させるのではなく、そこに 「下書き=ラフ」がマシーニックに組み込まれた「写真演劇=Theatre of photog-rough-y」であった。

[*7] 豊島の構想・提唱による「東北演劇祭=TOHOKU Arrival of Theatrical Articulation/TATA(タータ=多数多様体)」は1983・86・89年の三度、それぞれ〈場所〉〈非場所〉〈カフカ〉をテーマに八戸で開 催された。92年の四度目を想定して、90・91年「間奏的なカンタータ=交声楽」と銘打ったが、その実情はもはやタータとの連続性/不連続性を断ち、絶 対演劇に急転回していく動向だった。ともあれ、92年3月「絶対演劇フェスティバル」と11月「MORG=モルグ 92」(M=モレキュラー、O=オルガン、R=ルフ、G=ガトス)という演劇祭は実現し、さらに3年後の95年には、豊島と及川廣信氏の主導による「国際 パサージュ芸術祭」がシアターΧで開催されたことを追記しておきたい。

[*8] 竹橋の東京国立近代美術館での大規模な「荒川修作展」は、当時広汎な注目を浴びた。

■■
[*9] ドゥルーズ/ガタリ『アンチ・オイディプス』宇野邦一訳・河出文庫刊、参照。

[*10] ヴァルター・ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』今村仁司編・訳、参照。

[*11] 「絶対演劇」に対する有森批判が、(その標的として精神分析批判をも含む)批評的な概念操作/理念系の偏重に留まらず、そういう要素を〈上演 におけるマテリアル〉として切り出されていない点に求められている。本当に切り出されていなかったかどうかは大いに疑問だとしても、その批評的視点には敬 意を表しておこう。

[*12] 93年刊「ユリイカ/寺山修司特集号」所収の豊島『二度性の演劇——演劇史の「死後の生」』参照。

[*13] 例えば「雨ニモマケズ」の詩や「土神と狐」の童話が、同時代に「満州国建設=中国・アジア侵略」のスローガンに転用されてしまうといった一例 にみるように、賢治のユートピア志向/芸術的な無意識には、無残にも「七生報国/八紘一宇」めいた理念を、加速する暗面が確かにあった(豊島『流刑地の秘 書たち』参照)。

■■■
[*14] 有森批判の根底に〈基礎論〉を感受しきれず、応接しかねた臨場性が〈基礎論〉と、つい口を突いて出たと思われる。

[*15] ここで一見、唐突に〈白さ〉が言及されているのは、有森批判が空間と空白を積極的に混同している展開に対して、空白の白だけを切片化してみたものと解してはどうか。

[*16] 通時性と共時性、統辞法とその切断面、むしろ出来事の次元と、その事後的な解読の次元とを、さしている。

[*17] 前段の〈白さの事態〉を文字通り、具体的に言い換えたものである。

[*18] これまた〈白さの事態〉のリワーディング。ただし、サンス=意味・方向・知覚/ナンセンス=無意味・無方向・無知覚に対する、ノンサンス=非意味・非方向・非知覚が、肯否、両義的に駆使されている。

[*19] サイト転載にあたって全面的に加筆したが、とくにこの段は、読者向けに分かりやすく改訂した。

[*20] このあとも、同様の「絶対演劇批判」が繰り返された。けれども、当事者たる有森氏とは音信不通になったためもあり、サイト転載については切り上げざるを得なかった。

2013-06-06

『メディアとしての紙の文化史』


概要
印刷することもできれば、物を書くことも、破ることも折りたたむこともできる、白い魔術の顕現・・・紙。
電子ペーパーの時代を迎えた今、近代以降の礎となったアナログの世界、すなわち「グーテンベルクの時代」とそれを包括する「紙の時代」を新たに検証し、文学・史料の援用をまじえながら、物質/情報両面の媒体(メディア)たる紙を論じる。

目次
プロローグ

� ヨーロッパにおける紙の普及
第1章 サマルカンドからの紙片
第2章 高まるざわめき
第3章 普遍物質

� 版面の裏で
第4章 〈印刷されるもの〉と〈印刷されないもの〉
第5章 冒険者と紙
第6章 透明な活字

� 大規模な拡大
第7章 整紙機の悪魔
第8章 新聞用紙と、大衆紙の成立
第9章 照らし出された内面世界
第10章 近代の紙

エピロローグ/解説(原克)/参考文献/原注/索引
メディアとしての紙の文化史
メディアとしての紙の文化史

メディアとしての紙の文化史

著編者: ローター・ミュラー著
訳者: 三谷武司訳
ISBN: 9784887218130
価格(税込): \4,725
刊行: 2013年5月
分類: 人文社会
在庫: 在庫あり

2013-06-05

「ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか」

ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか

彫刻と呼ばれる、隠された場所
Et in Arcadia Ego, The Hidden Place Called "Sculpture"

ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか

会 期|
2013年5月20日(月)ー8月10日(土)
休館日|
日曜日(6/9(日)、7/15(祝)は特別開館日)
時 間|
10:00ー18:00(土曜、特別開館日は17:00閉館)
入館料|
無料
会 場|
武蔵野美術大学美術館 展示室1、2、アトリウム
主 催|
武蔵野美術大学 美術館・図書館
協 力|
武蔵野美術大学 彫刻学科研究室
助 成|
芸術文化振興基金

監 修|田中正之(武蔵野美術大学 造形文化・美学美術史 教授 /美術館・図書館館長)、武蔵野美術大学 彫刻学科研究室

現代の日本を代表する彫刻家7名の新作を含む大作を中心に展示。さらにコンセプト展示では「墓」という概念をテーマに古代イタリアから現代に至る本質を照らしだす多様な作品を展示することで、彫刻が担う今日的な課題を照らし出す。

Epic creations—including some new work—of seven renowned contemporary Japanese sculptors are mainly exhibited. As "tombs" as the theme, the conceptual exhibition sheds light on present issues of sculpting by displaying diverse works that display an essential element existing from ancient Italy to the present.

展覧会概要

本展では、「彫刻とは何か」という問題を「墓」という視点から読み解くことを試みます。「墓」は死者を埋葬した碑 である一方、その下に「隠されたもの」あるいは「もうひとつの世界」を暗示しています。そこに何かが「隠された場所」として彫刻を捉えることによって彫刻 のひとつの本質が見えてくるのではないか。そういう問題意識のもとに、本学彫刻学科の教員である作家たちの作品を展示し、合わせて古代エトルリアの墓碑彫 刻やジャコメッティ、イサム・ノグチなどの「隠された場所」をめぐる作品を同時に展示いたします。



ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか ─彫刻と呼ばれる、隠された場所
岡�乾二郎 (コンセプト展示・企画)

彫刻芸術の核心は感覚の及ばぬ=決して現実空間の延長として捉えることのできない別の場所、すなわち感覚されうる現実と切断された、感覚の侵入できぬ別の場所を匿うことにある。
 視覚や触覚などの感覚が捉えうるのは、彫刻の表面にすぎない。感覚(視覚や聴覚、触覚も)は距たりある対象を捉え、ゆえにわれわれの知りえる現実を拡張 する力をもつ。だが反対にいえば、よって感覚が捉えうるものは、その現実の境界面の現象にすぎない。絵画はその能力によってその境界をさらに拡張する。け れど彫刻はむしろその現実内に与えられた自らの領域の限界=形態に閉じこもるように現れる。
 彫刻芸術の逆理は墓のもつ二重性そのものと重なる。例えれば感覚が捉えることができる彫刻は墓標のようなものである。けれどいうまでもなく墓の本質は、 決して現世とは連続しえない、そして現世よりはるかに長く持続する時間と空間を墓室として保持し、そしてその場を現世のinterest(関心、利害)が 侵入しないように匿うことにある。
 cryptとは地下墓地であり、Cryptographyは暗号。すなわち彫刻は、感覚されることによって自らを隠す。現世という時空と不連続な空間、現世が拡張し侵入することが不可能な空間を隠し持つ、内包することにこそ本質があった。
 展示は、古代より存在論的に不可分だった墓と彫刻の関係を歴史的に通観し、彫刻が担う今日的な課題を照らし出す問題群として構成する。

見どころ

出品作品
ギャラリー

森� 戸谷成雄 2008年 撮影:山本 糾

第一部 「墓」をめぐるコンセプト展示

<出品作品>
古代エトルリア彫刻、アルベルト・ジャコメッティ、イサム・ノグチ、白井晟一、若林奮
彫刻、ドローイング、建築模型など (企画=岡�乾二郎)

「墓」という「隠された場所」をめぐって、古代彫刻から現代彫刻さらには建築やドローイングまで約30点を一つの問題群として展示を行ないます。彫刻表現 本来の豊かな姿を想起させる古代イタリアのエトルリア人の死生観から生まれた彫像や、近代から現代へと移りゆく中で墓標のように人間の在処を指し示してき た彫刻作品や建築など、時代あるいは社会の大きな流れを超えて彫刻深部に幽閉されてきた本質的な問いをめぐって作品を展示します。現代においては日常的に 隠されている、あるいは目の届かない場所に格納されてしまった問題、それらと彫刻とが本来的に共通して孕んでいる普遍的な問題について本展示を通して探っ ていきます。彫刻が抱えている今日的な課題を理解する上で一つの重要な手がかりとなります。
 さらに本展に合わせて、幻となったイサム・ノグチ「広島平和記念公園慰霊碑」、白井晟一「原爆堂」「ノア・ビル」についてその造形的特質を明らかにする新たな模型を制作する予定です。



第二部 7名の現代彫刻家による作品展示
<出品作家>
戸谷成雄、遠藤利克、黒川弘毅、伊藤 誠、岡�乾二郎、三沢厚彦、�柳恵里

武蔵野美術大学 彫刻学科研究室の教員7名が、共通の問題意識として「墓」という隠された場所をめぐって彫刻に纏わる様々な思考や表現を試みます。「墓」は、それ自体をモ チーフにこの7名が作品を制作・展示するのではなく、彼らの作品を読み解く上で通底するキーワードとなります。本展を通して昨今の多様化する芸術表現の中 で彫刻を単なる立体表現として相対的に解釈するのではなく、7名の作家の作品展示を通して本来的に彫刻が持つ核心部を再確認し、さらに彼らの視線の向こう にある次代の彫刻における新たな可能性を予見させる展示となります。
 展示場所は展示室だけでなくアトリウムや前庭など様々な場所へと拡張し、7名の作家による新作を含む約10点の大作を中心に展示します。様々な表現方法 からアプローチした彫刻作品は、巨大な構造物から精緻なインスタレーションまで多彩な表現が交錯するダイナミックな展示となります。

2013-06-03

失われた近代を求めて 1言文一致体の誕生、2自然主義と呼ばれたもの達

■失われた近代を求めて 1言文一致体の誕生

橋本 治

ISBN:9784022507334
定価:1890円(税込)
発売日:2010年4月20日
四六判上製 248ページ



 日本の小説は、どうしてダメになったのか?
田山花袋『蒲団』vs.二葉亭四迷『平凡』──近代文学の黎明期に誕生したふたつの「私小説」が、小説の未来に残した可能性と困難とは?
作家たちが格闘した120年を読み解く新たな文学史。ライフワーク第1弾!

≪目次: ≫
はじめに

第一章 そこへ行くために
「古典」という導入部から——文学史はなにを辿るのか
『徒然草』の時代——あるいは、芸能化と大衆化の中で
和漢混淆文と言文一致体——あるいは、文学史の断絶について
大僧正慈円の独白

第二章 新しい日本語文体の模索——二葉亭四迷と大僧正慈円
大僧正慈円と二つの日本語
慈円と二葉亭四迷
『愚管抄』とは、そもそもいかなる書物なのか?
「作者のあり方」と「作品のあり方」を考えさせる、日本で最初の発言


第三章 言文一致とはなんだったのか
二葉亭四迷とは「何者」か?
口語と文語——あるいは口語体と文語体、更にあるいは言文一致体の複雑
言文一致体は「なに」を語ったか
そして、言文一致体はどこへ行くのか


第四章 不器用な男達
哀しき『蒲団』
近代文学の本流争い
いたってオタクな田山花袋
どうして「他人」がいないのか
「もう一つの『蒲団』」の可能性
空回りする感情
「そういう時代だった」と言う前に


第五章 『平凡』という小説
改めて、言文一致体の持つ「意味」
『平凡』を書く二葉亭四迷
「言わないこと」の意味、「言えないこと」の重要さ
「言わないこと」のテクニック
連歌俳諧的な展開と論理
「隠されたテーマ」がやって来る



第六章 《、、、、》で終わる先
『平凡』がちゃんとした小説であればこそ——
「ポチの話」はどのように位置付けられるのか
尻切れトンボになることの真実
『浮雲』の不始末を完結させる『平凡』
「悪態小説」としての『浮雲』
分からないのは、「他人のこと」ではなくて、まず「自分のこと」である

■失われた近代を求めてII 自然主義と呼ばれたもの達

島崎藤村『破戒』、田山花袋『蒲団』から私小説へ。
日本の「自然主義」は「言えない秘密」を抱える男達の物語だった。
それがいつしか「事実」を告白する小説へと変貌する。
藤村の「自分語り」を通して、
自然主義の本質に迫る橋本流近代文学論。

【目次】失われた近代を求めてII 自然主義と呼ばれたもの達

第一章—「自然主義」とはなんなのか?
1.森鴎外と自然主義
2.自然主義の悪口はうまく言えない
3.「『性的人生記』と題される書物に関する尾物語」
4.なにが彼を翻弄するのか?
5.本家の自然主義と日本の自然主義
6.もう一人の「自然主義」の作家、島崎藤村の場合
7.果たして近代の日本に「自然主義の文学」は存在していたのか?

第二章—理屈はともかくてして、作家達は苦闘しなければならない
1.通過儀礼としての自然主義
2.理念もいいが、文体も——
3.言文一致体が口語体へ伝えたもの
4.言文一致体の「完成」
5.若くて新しい「老成の文学」
6.「自然主義」をやる田山花袋
7.様々な思い違い
8.「翻訳」について—あるいは、文体だけならもう出来ていた
9.田山花袋の道筋

第三章—「秘密」を抱える男達
1.田山花袋の恋愛小説
2.かなわぬ恋に泣く男
3.美文的小説
4.『わすれ水』—そのシュールな展開
5.「言えない」という主題
6.どうして『破戒』は「自然主義の小説」なのか?
7.そういうことかもしれない
8.「言えない」という主題PART2
9.瀬川丑松の不思議な苦悩
10.言えない言えない、ただ言えない

第四章—国木田独歩と「自然主義」
1.最も読まれない文豪
2.国木田独歩と自然主義
3.《白粉沢山》ではない文章
4.「自然主義」と錯覚されたもの
5.『武蔵野』が開いた地平

第五章—とめどなく「我が身」を語る島崎藤村
1.『春』—「岸本捨吉」の登場
2.「始まり」がない
3.岸本捨吉を書く島崎藤村
4.岸本捨吉の見出したもの
5.父を葬る

『マルセル・プルーストの誕生 新編プルースト論考』

(Valentin-Louis-Georges-Eugène-Marcel Proust, 1871年7月10日 - 1922年11月18日)


鈴木道彦(フランス文学者) 作者の全体像を求めて
2013.6.2 08:41産経新聞「翻訳机」欄
鈴木道彦氏

鈴木道彦氏

 いろいろな翻訳を手がけてきたが、最も時間をかけたのはやはりプルーストの作品である。

 彼の『失われた時を求めて』は、邦訳で1万枚にも及ぶ大作で、その全訳に挑戦するのはかなり勇気が要る。とくに優れた英訳を出したスコット=モンクリフがこれを完成できずに他界して以来、戦前には日本でも早世した訳者がいて、プルーストの翻訳は命取りになるという伝説さえ生まれた。

 だから私も最初に全訳を打診された40歳代には、容易に引き受ける決心がつかなかった。決断したのは50歳代半ば、実際に取り組んだのは60歳を過ぎてからである。読者のためにはあまり間隔をおかずに出すのが望ましいから、まず作品全体の構成を把握できる形に編集した2巻の抄訳を刊行し、ある程度準備を整えた後に、年3冊のペースで13巻の全訳をスタートさせた。完結したのは2001年。私は70歳を超えていた。

 しかもそれからさらに3巻の文庫版抄訳、13巻の文庫版全訳と続いたので、すべて完了した2007年には、最初の抄訳から15年が経過していた。かくて19歳で発見したこの小説は、私の一生を左右するものになったのである。

 これはプルーストが目指した唯一の作品とも言えるもので、19世紀末から第一次世界大戦後までを生きた自分の生涯を、形を変えて全面的に描き出そうと試みたものだ。喘息(ぜんそく)病みで、同性愛者で、足繁(しげ)く社交界に通うスノブで、母を通じて半分ユダヤ人だった彼は、またこの大作を書くために生涯を捧(ささ)げた人物でもあった。そうした彼の姿は、単に主人公だけではなく、多くの登場人物に投影されて、虚構の作品全体から浮かび上がってくる。

 そこから、このように壮大な自画像を描いた実在のプルーストはどんな人物か、という興味が湧くのは自然なことである。これまでに彼について数種類の分厚い伝記が書かれたのは、その関心の表れだった。私がかつて一連の論文で試みたのも、現実の作者がどのように想像の作品になり、想像の作品が現実の作者のどんな真実を照らしているかを探るもので、その主要な文章は、最近上梓(じょうし)した『マルセル・プルーストの誕生』(藤原書店)に収められている。いわば私はそのような形で、プルーストの全体像を模索していたのだ。

 しかし考えてみれば、『失われた時を求めて』は作者自身による生涯の全体化である。だから私が手探りで試みるよりも、まずは作者の目指した全体像を読めるようにするのが先決だろう。そう気づいた私は、当時まだ難解晦渋(かいじゅう)な作家と敬遠されていたプルーストを、できるだけ読みやすい日本語にしようと決断したのだった。

 スコット=モンクリフと違って、私は何とか完成できたが、これで私の翻訳人生が終わったわけではない。今は4人の共訳者と、サルトルの大作『家の馬鹿息子』に取り組んでいるところだ。

                   ◇

【プロフィル】鈴木道彦

 すずき・みちひこ 昭和4年、東京生まれ。東京大文学部仏文科卒業。一橋大、獨協大教授を経て、獨協大名誉教授。著書に『プルーストを読む』(集英社新書)、『マルセル・プルーストの誕生』(藤原書店)、訳書にサルトル『嘔吐(おうと)』(人文書院)など。プルースト『失われた時を求めて』全13巻の翻訳で2001年度の読売文学賞と日本翻訳文化賞受賞。同書の2巻本抄訳、3巻本抄訳、文庫版全訳もある(集英社)。

●鈴木道彦(すずき・みちひこ)
1929年東京で生まれる。東京大学文学部仏文科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。
著書に『サルトルの文学』(紀伊國屋書店)、『アンガージュマンの思想』(晶文社)、『異郷の季節』(みすず書房)、『越境の時』(集英社)、『プルーストを読む』(集英社)、『プルースト「失われた時を求めて」を読む』(NHK出版)など。
翻訳にニザン『陰謀』(晶文社)、サルトル『嘔吐』(人文書院)、『家の馬鹿息子』第1、2、3巻(共訳)(人文書院)など。
プルースト『失われた時を求めて』全13巻の個人全訳で、2001年度の読売文学賞と日本翻訳文化賞を受賞。この全訳はヘリテージ文庫に収められているほか、2巻本の抄訳、3巻本の文庫版抄訳もある(いずれも集英社)。

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2013/6/2日経新聞「読書」欄 【野崎歓氏】

■作家の全体像を探る論考

 高度な専門研究でありながら、文学に興味がある読者であればだれもが面白く読むことができ、そして得るところの大きい本だ。それは何よりも、人生および社会の「全体」に関わるものとして作品を読み、そこに人間にとって切実な意味の創造を見出そうとする著者の姿勢によるものである。

人間プルーストの全体像を探る探究に身を投じた。喘息もちのひ弱な少年が、いかにして巨大な作品の書き手となっていったか。その過程に働いた様々なメカニズムを解き明かす分析は説得力があり、人間論、社会文化論としての堂々たる骨格を備えている。他方、作品の翻訳可能性をめぐる、経験に即した議論も、実に興味深い。
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マルセル・プルーストの誕生
新編プルースト論考
鈴木道彦
四六上製 544ページ
ISBN-13: 9784894349094
刊行日: 2013/04
定価: 4,830円

『失われた時を求めて』個人全訳者によるプルースト論の決定版

◎『失われた時を求めて』発刊百周年記念
プルーストにおける「私」とは何か。個人全訳を成し遂げた著者が、20世紀最大の「アンガージュマン」作家としてのプルースト像を見事に描き出し、文学・芸術界におけるこの稀有な作家の「誕生」の意味を明かす。長大な作品の本質に迫り、読者が自らを発見する過程としての「読書」というスリリングな体験に誘う名著。

■序章より
振り返ると、若いときにプルーストに出会ったということは、私の一生の方向を決める大きな事件だった。だから私の人生は彼によって作られたのだという気さえするくらいである。しかもプルーストは『見出された時』のなかで、自分の本を読む読者は、実は読者自身を読んでいるのだということを、繰り返し述べている。最初に『失われた時を求めて』を通読した学生時代から、私はその言葉を信じて、彼のなかに自分を読みこんできた。したがって、私はプルーストによって作られながら、同時に自分のプルーストを作ってきたとも言えるだろう。


■目次

【口絵8頁】
序章 プルースト遍歴

I 『囚われの女』をめぐって
 無名の一人称
 コミックの誕生

II 実人生と作品
 イサクと父親
 ソドムを忌避するソドムの末裔
 不在の弟――「ロベールと仔山羊」をめぐって
 喘息の方舟
 あるユダヤ意識の形成

III 幼少期のプルースト
 マルセル・プルーストの誕生

IV 翻訳の可能性
 スノビスムの罠
 コンブレーの読書する少年
 翻訳の可能性――『失われた時を求めて』の全訳を終えて

 注/プルースト略年譜/人名索引