2011-05-06

「都市とフィクション——ソール・ベローのシカゴ——」

日本ユダヤ系作家研究会第17回講演会報告

2011年3月26日(土)14時00分より
ノートルダム清心女子大学 中央棟10F 第二会議室にて


鈴木元子氏講演会

「都市とフィクション——ソール・ベローのシカゴ——」


 第17回講演会には、静岡文化芸術大学教授の鈴木元子先生をお迎えした。ソール・ベローを研究される傍ら、昨年夏に実際にシカゴで取材をし、最新
の情報を入手してきたとされる講演内容に、聴講者は興味をもって熱心に耳を傾けた。

 第一章:シカゴの誕生から形成・発展
 イリノイ州の州都で、全米3番目の人口を擁するがThe Second City(金融関係では二位)、Windy
Cityなどと呼ばれる。歴史は200年に満たない。1833年に200人からタウン・オブ・シカゴはスタートし、1871年にはThe Great
Fireを経験する。乾燥により焼き尽くされた町は、摩天楼のそびえる近代的な街へと変化する。1892年の万博には、日本も初出展し、そのときの日本庭
園は現存している。シカゴ大学はハイドパークに設立され、学生や教員の20%から25%がユダヤ系であり、多額の寄付を納める。

 第二章:ユダヤ人にとってのシカゴ(Jewish Chicago)
 ドイツからの行商人はダウンタウンに店を設け、シナゴーグを中心にした街を形成した。南北戦争でも北軍として出兵し、1860年までに4人ユダヤ
人が公職に就く。1930年までには、東欧出身者が80%を占めるようになり、その人たちとドイツ出身者の建てた建物など二分化する傾向にあった
が、寄付や援助によりそれも解消していく。自らの力でコミュニティを形成するユダヤの伝統の例である。

 第三章:ベローの自伝との絡みでのシカゴ
 Saul Bellowはカナダで生まれるが、9歳でシカゴに移住。1962年にはハイドパーク近くに居を定める。シカゴ大学に30年間勤務。1993年78歳で都
会のシカゴを離れ、バーモント州に移り、ボストン大学で週2回の講義を行う。2005年没。

 第四章:ソール・ベローの小説の舞台としてのシカゴ
 作品中にどう描出され、なぜシカゴでなければならないのかについて、主に6点挙げられる。
(1)幼年時代の思い出が詰まった都市シカゴ(特に貧しいユダヤ人地区):『フンボルトの贈り物』(1975)などに見られる郷愁。食肉加工業 (Meat
Packing)を主要産業とするシカゴ。ベローは自身を知るには、伝記作家の調べた些末な事柄よりも、シカゴの公園を眺めた方がよいとしている。
(2)ビジネスの都市シカゴ(Business Chicago):『オーギー・マーチの冒険』(1953)などに見られる商業の大都市としてのシカゴが描かれる。
(3)犯罪と腐敗の都市シカゴ:『フンボルトの贈り物』や『学生部長の12月』(1982)に描かれる。現在も朝刊などに事件多発の様子が見られ る。
(4)文化のない(Cultureless)都市シカゴを救いたい:現在は移民の都市として
エスニック文化の繁栄も見られるが、ベローの芸術への 志向が『フンボルトの贈り物』、書簡などに見られる。
(5)元彼女を取り戻すために戻ってくる都市シカゴ:『ザ・アクチュアル』では恋人との仲を取り持つシカゴのブリザードの記述がある。書簡集には
共同墓地を求婚の場とする記述があり、墓には�死と再生の場�死の接近により幼少期の輝きが増す�迫害の民の身近な避難所、安全の地などの象徴性
が見出される。
(6)書くために戻ってくる都市シカゴ:書簡集より
                                                   (要約 江原雅江)