口頭発表:文学1(10:00~11:55) C会場(E310講義室)
司会:吉田 徹也,川合 増太郎
1.書かない主人公―フランツ・カフカの三長編小説における権力関係と「書くこと」
下薗 りさ
「書くこと」はカフカ文学に通底するテーマのひとつである。この問題を伝記的、実証的そして詩学的側面から多面的に扱ってきたこれまでの先行研究は、一言でまとめると、「書くこと」について書くというカフカ文学の特徴を導き出した。カフカ自身の書く行為に焦点を当てたこの特徴は、作品そのものにも当てはまるだろう。作品における「書くこと」は、ひとつには作中に描かれる書く行為そして書かれたものとして理解しうる。だが、このような「書くこと」は、第一に権力の問題である。『流刑地にて』(1914)における記述する処刑機械と記述される身体の関係だけでなく、例えば『判決』(1912)においても、中心となる主人公と父親の対立が手紙というメディアをめぐる対立となっていることをキットラーが指摘している。
「書くこと」が持つ権力としての側面は、三長編小説『失踪者〔アメリカ〕』(1912-14)、『訴訟〔審判〕』(1914)、『城』(1922)においてますます強く現われる。個人対社会という長編に共通する対立構造が、書かない主人公たちと書く官僚機構との対立という、「書くこと」をめぐる対立となっているのだ。本発表では、カフカの三長編小説における対立関係を「書くこと」という観点から分析し、作家としてのカフカの行為が、「書くこと」を通して「書くこと」を否定する試みを描き出すという、一種の反転を孕んでいることを明らかにする。
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2.世界の〈破れ目〉と回帰する身体―フロイトとカフカ
山尾 涼
デカルトから始まる理性論の哲学は、キリスト教的な二項対立に基づく思考法を基盤として、精神と身体を区別して捉えた。身体は精神の道具であり、理性によってコントロール可能なものとして措定されたが、その精神の身体に対する優位性を崩れさせたのが、フロイトの意識と無意識の発見であり、これが現在の人間像の成立に多大な影響を与えている。フロイトと同時代に生きたカフカは、文学という見地から、人間の心的装置を捉えようとした作家である。「抑圧されたものの回帰」について、忘却された身体を場として描き出すカフカの視点は、フロイトが人間の心的装置を知覚可能な前景と、無意識的な後景へと分けたことと一致している。彼らは自分自身の身体を、自我にとって「もっとも疎遠なもの」、つまり他者性を秘めた客体として捉えている点で共通し
ているのである。 その際に彼らの洞察のキーワードとして挙がるのは、彼ら自身の「病んだ」身体である。彼ら自身の抱えていた「病い」は、他者性をもって主体に回帰する。いわば内在的な他者ともいえる「病い」へとまなざしを向けるとき、病んだ〈身体〉は他者および身体の洞察のツールとして、どのように機能するのか。人間の精神と身体を無定形の複合体と捉えるに至ったフロイトとカフカの思索の源を巡り、フロイトはそれをどのように証明するか、またカフカはいかに文学として描出したかを探る。
3.カフカのテクストにおける虚構の死―フロイトの「死の欲動」との関連から 須藤 勲
フロイトは第一次世界大戦という時代状況を経験することによって、「死の欲動」の理論を生み出すことになる。それは、彼がそれまでに構築してきた理論では説明できない事象に対処するためであった。カフカもフロイトと同じように戦争の時代を経験しているが、その中でも「自己保存のための戦い」としての文学活動を続けようとしていた。文学によって「内面の生」の描写を求めたカフカにとって、外部の出来事への関心は薄いものであったかもしれないが、外的な状況から自由でいられたわけではない。大戦の進行とともにカフカをとりまく状況は変化しており、またこの頃は社会的な面だけでなく、婚約とその破棄など私的な面でも彼にとって大きな変動の時期であった。そのような状況の変化がカフカの内面の変化につながり、それが彼とテクストとの関わり方の変化に現れていると推測される。特にそれはカフカのテクストにおける「死」の扱われ方に現れているように見える。 本発表では、フロイトの理論を参照しながら、カフカのテクストと「死」の関係について見ていく。ここでの死とは、作中人物の「死」であるとともに、作者によってテクストに与えられる「死」でもある。テクストにおいて「死」がどのような意味を持つのか、『判決』や『訴訟』、『失踪者』などいくつかのテクストを取り上げ、考察を行う。
2.世界の〈破れ目〉と回帰する身体―フロイトとカフカ
山尾 涼
デカルトから始まる理性論の哲学は、キリスト教的な二項対立に基づく思考法を基盤として、精神と身体を区別して捉えた。身体は精神の道具であり、理性によってコントロール可能なものとして措定されたが、その精神の身体に対する優位性を崩れさせたのが、フロイトの意識と無意識の発見であり、これが現在の人間像の成立に多大な影響を与えている。フロイトと同時代に生きたカフカは、文学という見地から、人間の心的装置を捉えようとした作家である。「抑圧されたものの回帰」について、忘却された身体を場として描き出すカフカの視点は、フロイトが人間の心的装置を知覚可能な前景と、無意識的な後景へと分けたことと一致している。彼らは自分自身の身体を、自我にとって「もっとも疎遠なもの」、つまり他者性を秘めた客体として捉えている点で共通し
ているのである。 その際に彼らの洞察のキーワードとして挙がるのは、彼ら自身の「病んだ」身体である。彼ら自身の抱えていた「病い」は、他者性をもって主体に回帰する。いわば内在的な他者ともいえる「病い」へとまなざしを向けるとき、病んだ〈身体〉は他者および身体の洞察のツールとして、どのように機能するのか。人間の精神と身体を無定形の複合体と捉えるに至ったフロイトとカフカの思索の源を巡り、フロイトはそれをどのように証明するか、またカフカはいかに文学として描出したかを探る。
3.カフカのテクストにおける虚構の死―フロイトの「死の欲動」との関連から 須藤 勲
フロイトは第一次世界大戦という時代状況を経験することによって、「死の欲動」の理論を生み出すことになる。それは、彼がそれまでに構築してきた理論では説明できない事象に対処するためであった。カフカもフロイトと同じように戦争の時代を経験しているが、その中でも「自己保存のための戦い」としての文学活動を続けようとしていた。文学によって「内面の生」の描写を求めたカフカにとって、外部の出来事への関心は薄いものであったかもしれないが、外的な状況から自由でいられたわけではない。大戦の進行とともにカフカをとりまく状況は変化しており、またこの頃は社会的な面だけでなく、婚約とその破棄など私的な面でも彼にとって大きな変動の時期であった。そのような状況の変化がカフカの内面の変化につながり、それが彼とテクストとの関わり方の変化に現れていると推測される。特にそれはカフカのテクストにおける「死」の扱われ方に現れているように見える。 本発表では、フロイトの理論を参照しながら、カフカのテクストと「死」の関係について見ていく。ここでの死とは、作中人物の「死」であるとともに、作者によってテクストに与えられる「死」でもある。テクストにおいて「死」がどのような意味を持つのか、『判決』や『訴訟』、『失踪者』などいくつかのテクストを取り上げ、考察を行う。
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口頭発表:文化・社会(10:00~12:35) E会場(E201講義室)
司会:高橋 吉文,瀬川 修二
3. ユダヤ・ナショナルの自衛―『自衛―独立ユダヤ週刊新聞』
中村 寿
『自衛―独立ユダヤ週刊新聞 (Selbstwehr Unabhängige jüdische Wochenschrift) 』は、1907年3月、オーストリア帝国ボヘミア王国のプラハで創刊され、ボヘミア王国、その後のチェコスロヴァキア共和国に在住するドイツ系ユダヤ人を主たる読者対象として、1938年まで継続的に発行されたユダヤ・シオニズム系の週刊新聞である。
ドイツ文学史記述において、『自衛』は、カフカの『律法の門前 (Vor dem Gesetz) 』(Selbstwehr. 9 Jahrgang, 1915, Nr. 34. 7. September) を初出掲載した雑誌として知られていた。『自衛』をめぐる研究状況としては、近年のドイツでは、ユダヤ系定期刊行物のデジタルアーカイブ化 (www.compactmemory.de.) が進められつつあり、同じシオニズム系新聞の『世界 (Die Welt) 』、あるいは、ユダヤ・リベラル系の諸雑誌との対照により、シオニズム系新聞としての『自衛』の特徴を検討する作業が可能になっている。
『自衛』の創刊号において、その執筆者フランツ・シュタイナー (Franz Steiner 1857-1942) は、綱領として、「ユダヤ教におけるありとあらゆる脆さと中途半端さ、腐敗に対する抗議と宣戦布告」 (SW. 1, 1907, Nr. 1. 1. März) を挙げている。このような語句から読み取られるのは、伝統的なユダヤ教に対する抗議・批判というユダヤ・ナショナルの姿勢である。本発表では、ユダヤ人同胞によるシオニズム批判に対するユダヤ・ナショナルの「自衛」という観点から、ユダヤの自己同一性をめぐるユダヤ教の世論の内部における『自衛』の位置・役割について言及したい。
司会:吉田 徹也,川合 増太郎
1.書かない主人公―フランツ・カフカの三長編小説における権力関係と「書くこと」
下薗 りさ
「書くこと」はカフカ文学に通底するテーマのひとつである。この問題を伝記的、実証的そして詩学的側面から多面的に扱ってきたこれまでの先行研究は、一言でまとめると、「書くこと」について書くというカフカ文学の特徴を導き出した。カフカ自身の書く行為に焦点を当てたこの特徴は、作品そのものにも当てはまるだろう。作品における「書くこと」は、ひとつには作中に描かれる書く行為そして書かれたものとして理解しうる。だが、このような「書くこと」は、第一に権力の問題である。『流刑地にて』(1914)における記述する処刑機械と記述される身体の関係だけでなく、例えば『判決』(1912)においても、中心となる主人公と父親の対立が手紙というメディアをめぐる対立となっていることをキットラーが指摘している。
「書くこと」が持つ権力としての側面は、三長編小説『失踪者〔アメリカ〕』(1912-14)、『訴訟〔審判〕』(1914)、『城』(1922)においてますます強く現われる。個人対社会という長編に共通する対立構造が、書かない主人公たちと書く官僚機構との対立という、「書くこと」をめぐる対立となっているのだ。本発表では、カフカの三長編小説における対立関係を「書くこと」という観点から分析し、作家としてのカフカの行為が、「書くこと」を通して「書くこと」を否定する試みを描き出すという、一種の反転を孕んでいることを明らかにする。
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2.世界の〈破れ目〉と回帰する身体―フロイトとカフカ
山尾 涼
デカルトから始まる理性論の哲学は、キリスト教的な二項対立に基づく思考法を基盤として、精神と身体を区別して捉えた。身体は精神の道具であり、理性によってコントロール可能なものとして措定されたが、その精神の身体に対する優位性を崩れさせたのが、フロイトの意識と無意識の発見であり、これが現在の人間像の成立に多大な影響を与えている。フロイトと同時代に生きたカフカは、文学という見地から、人間の心的装置を捉えようとした作家である。「抑圧されたものの回帰」について、忘却された身体を場として描き出すカフカの視点は、フロイトが人間の心的装置を知覚可能な前景と、無意識的な後景へと分けたことと一致している。彼らは自分自身の身体を、自我にとって「もっとも疎遠なもの」、つまり他者性を秘めた客体として捉えている点で共通し
ているのである。 その際に彼らの洞察のキーワードとして挙がるのは、彼ら自身の「病んだ」身体である。彼ら自身の抱えていた「病い」は、他者性をもって主体に回帰する。いわば内在的な他者ともいえる「病い」へとまなざしを向けるとき、病んだ〈身体〉は他者および身体の洞察のツールとして、どのように機能するのか。人間の精神と身体を無定形の複合体と捉えるに至ったフロイトとカフカの思索の源を巡り、フロイトはそれをどのように証明するか、またカフカはいかに文学として描出したかを探る。
3.カフカのテクストにおける虚構の死―フロイトの「死の欲動」との関連から 須藤 勲
フロイトは第一次世界大戦という時代状況を経験することによって、「死の欲動」の理論を生み出すことになる。それは、彼がそれまでに構築してきた理論では説明できない事象に対処するためであった。カフカもフロイトと同じように戦争の時代を経験しているが、その中でも「自己保存のための戦い」としての文学活動を続けようとしていた。文学によって「内面の生」の描写を求めたカフカにとって、外部の出来事への関心は薄いものであったかもしれないが、外的な状況から自由でいられたわけではない。大戦の進行とともにカフカをとりまく状況は変化しており、またこの頃は社会的な面だけでなく、婚約とその破棄など私的な面でも彼にとって大きな変動の時期であった。そのような状況の変化がカフカの内面の変化につながり、それが彼とテクストとの関わり方の変化に現れていると推測される。特にそれはカフカのテクストにおける「死」の扱われ方に現れているように見える。 本発表では、フロイトの理論を参照しながら、カフカのテクストと「死」の関係について見ていく。ここでの死とは、作中人物の「死」であるとともに、作者によってテクストに与えられる「死」でもある。テクストにおいて「死」がどのような意味を持つのか、『判決』や『訴訟』、『失踪者』などいくつかのテクストを取り上げ、考察を行う。
2.世界の〈破れ目〉と回帰する身体―フロイトとカフカ
山尾 涼
デカルトから始まる理性論の哲学は、キリスト教的な二項対立に基づく思考法を基盤として、精神と身体を区別して捉えた。身体は精神の道具であり、理性によってコントロール可能なものとして措定されたが、その精神の身体に対する優位性を崩れさせたのが、フロイトの意識と無意識の発見であり、これが現在の人間像の成立に多大な影響を与えている。フロイトと同時代に生きたカフカは、文学という見地から、人間の心的装置を捉えようとした作家である。「抑圧されたものの回帰」について、忘却された身体を場として描き出すカフカの視点は、フロイトが人間の心的装置を知覚可能な前景と、無意識的な後景へと分けたことと一致している。彼らは自分自身の身体を、自我にとって「もっとも疎遠なもの」、つまり他者性を秘めた客体として捉えている点で共通し
ているのである。 その際に彼らの洞察のキーワードとして挙がるのは、彼ら自身の「病んだ」身体である。彼ら自身の抱えていた「病い」は、他者性をもって主体に回帰する。いわば内在的な他者ともいえる「病い」へとまなざしを向けるとき、病んだ〈身体〉は他者および身体の洞察のツールとして、どのように機能するのか。人間の精神と身体を無定形の複合体と捉えるに至ったフロイトとカフカの思索の源を巡り、フロイトはそれをどのように証明するか、またカフカはいかに文学として描出したかを探る。
3.カフカのテクストにおける虚構の死―フロイトの「死の欲動」との関連から 須藤 勲
フロイトは第一次世界大戦という時代状況を経験することによって、「死の欲動」の理論を生み出すことになる。それは、彼がそれまでに構築してきた理論では説明できない事象に対処するためであった。カフカもフロイトと同じように戦争の時代を経験しているが、その中でも「自己保存のための戦い」としての文学活動を続けようとしていた。文学によって「内面の生」の描写を求めたカフカにとって、外部の出来事への関心は薄いものであったかもしれないが、外的な状況から自由でいられたわけではない。大戦の進行とともにカフカをとりまく状況は変化しており、またこの頃は社会的な面だけでなく、婚約とその破棄など私的な面でも彼にとって大きな変動の時期であった。そのような状況の変化がカフカの内面の変化につながり、それが彼とテクストとの関わり方の変化に現れていると推測される。特にそれはカフカのテクストにおける「死」の扱われ方に現れているように見える。 本発表では、フロイトの理論を参照しながら、カフカのテクストと「死」の関係について見ていく。ここでの死とは、作中人物の「死」であるとともに、作者によってテクストに与えられる「死」でもある。テクストにおいて「死」がどのような意味を持つのか、『判決』や『訴訟』、『失踪者』などいくつかのテクストを取り上げ、考察を行う。
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口頭発表:文化・社会(10:00~12:35) E会場(E201講義室)
司会:高橋 吉文,瀬川 修二
3. ユダヤ・ナショナルの自衛―『自衛―独立ユダヤ週刊新聞』
中村 寿
『自衛―独立ユダヤ週刊新聞 (Selbstwehr Unabhängige jüdische Wochenschrift) 』は、1907年3月、オーストリア帝国ボヘミア王国のプラハで創刊され、ボヘミア王国、その後のチェコスロヴァキア共和国に在住するドイツ系ユダヤ人を主たる読者対象として、1938年まで継続的に発行されたユダヤ・シオニズム系の週刊新聞である。
ドイツ文学史記述において、『自衛』は、カフカの『律法の門前 (Vor dem Gesetz) 』(Selbstwehr. 9 Jahrgang, 1915, Nr. 34. 7. September) を初出掲載した雑誌として知られていた。『自衛』をめぐる研究状況としては、近年のドイツでは、ユダヤ系定期刊行物のデジタルアーカイブ化 (www.compactmemory.de.) が進められつつあり、同じシオニズム系新聞の『世界 (Die Welt) 』、あるいは、ユダヤ・リベラル系の諸雑誌との対照により、シオニズム系新聞としての『自衛』の特徴を検討する作業が可能になっている。
『自衛』の創刊号において、その執筆者フランツ・シュタイナー (Franz Steiner 1857-1942) は、綱領として、「ユダヤ教におけるありとあらゆる脆さと中途半端さ、腐敗に対する抗議と宣戦布告」 (SW. 1, 1907, Nr. 1. 1. März) を挙げている。このような語句から読み取られるのは、伝統的なユダヤ教に対する抗議・批判というユダヤ・ナショナルの姿勢である。本発表では、ユダヤ人同胞によるシオニズム批判に対するユダヤ・ナショナルの「自衛」という観点から、ユダヤの自己同一性をめぐるユダヤ教の世論の内部における『自衛』の位置・役割について言及したい。