男漱石を女が読む
著者: 渡邊 澄子
ISBN-13: 9784790715917
発売日: 2013-04-02
価格: ¥ 4,200(税込)
法的には男女平等社会となって久しいが、現在に至ってもなお女性差別が現前することを思い合わせると、夏目漱石の新しさが際立つ。女性の人権確立を切望する著者が
漱石文学を女の視点からジェンダー論として読み、漱石の平等主義を検証する。
単行本: 412ページ
出版社: 世界思想社 (2013/4/2)
ISBN-10: 4790715914
ISBN-13: 978-4790715917
発売日: 2013/4/2
女々しい漱石、雄々しい鴎外
渡辺澄子 著, 世界思想社, 1996.1, 255p
フェミニズムの視点から、日本文学史上に屹立する二人の作家を中心に、近代文学を読み直す。漱石の女性嫌悪の情は具体的に作品のどんなところから読みとれるのか。鴎外の女性観は…。時代と人間性を明らかにする。
目次
漱石の読みなおし
鴎外の読みなおし
現代作家を読む
夏目漱石を江戸から読む—新しい女と古い男 (中公新書)(小谷野 敦)
初版発行日1995/3/25
判型新書判
ページ数248ページ
定価777円(本体740円)
ISBNコードISBN978-4-12-101233-3
近代日本文学を代表する作家で、英文学者でもあった漱石。その作品は、英米文学の受容とともに論じられることが多かった。本書は漱石作品を、人形浄瑠璃や歌舞伎、浮世草子、人情本、読本のような江戸期の文学と西洋文学との交点に生まれたものとして捉え、比較文学の手法を用いて分析、・坊つちやん・の武士的精神が・虞美人草・以降、恋愛の世界と交錯し、同性関係と異性関係の絡み合いとして・こゝろ・が生まれる過程を考察する。
2013-03-28
2013-03-27
高橋悠治「巣穴、塔、小舟」
磯崎新建築論集
四六判・上製カバー・平均300頁・月報付
装丁:桂川 潤
岩波書店
■構成 全8巻
半世紀にわたり建築界をリードし,現在なお国際的な場で活躍し続ける磯崎新.その巨大な存在感はどこから来るのか.建築家であると同時に,芸術家,批評家,思想家として活躍する磯崎新の,思想のエッセンスを分かりやすい形で凝縮する集大成的著作論集.次代を担う中堅気鋭の建築家,建築史家の協力を得て,常に新鮮な問題提起で挑発し続ける著者の思想の核心と魅力の秘密を浮き彫りにする.十数編の意欲的書下ろし論考と著者自身による各巻解題を収録.未来に継承さるべき,わが国建築界の思想的財産.
■ 全巻構成
第1巻 散種されたモダニズム
——「日本」という問題構制
(第2回/3月26日発売)
『磯崎新建築論集』月報2
田中純「《建築》へのノスタルジア」
伊東豊雄さ「磯崎新にとっての1969」
高橋悠治「巣穴、塔、小舟」
第2巻 記号の海に浮かぶ〈しま〉
——見えない都市
第3巻 手法論の射程
——形式の自動生成
第4巻 〈建築〉という基体
——デミウルゴモルフィスム
第5巻 「わ」の所在
——列島に交錯する他者の視線
第6巻 ユートピアはどこへ
——社会的制度としての建築家
第7巻 建築のキュレーションへ
——網目状権力と決定
第8巻 制作の現場
——プロジェクトの位相
四六判・上製カバー・平均300頁・月報付
装丁:桂川 潤
岩波書店
■構成 全8巻
半世紀にわたり建築界をリードし,現在なお国際的な場で活躍し続ける磯崎新.その巨大な存在感はどこから来るのか.建築家であると同時に,芸術家,批評家,思想家として活躍する磯崎新の,思想のエッセンスを分かりやすい形で凝縮する集大成的著作論集.次代を担う中堅気鋭の建築家,建築史家の協力を得て,常に新鮮な問題提起で挑発し続ける著者の思想の核心と魅力の秘密を浮き彫りにする.十数編の意欲的書下ろし論考と著者自身による各巻解題を収録.未来に継承さるべき,わが国建築界の思想的財産.
■ 全巻構成
第1巻 散種されたモダニズム
——「日本」という問題構制
(第2回/3月26日発売)
『磯崎新建築論集』月報2
田中純「《建築》へのノスタルジア」
伊東豊雄さ「磯崎新にとっての1969」
高橋悠治「巣穴、塔、小舟」
第2巻 記号の海に浮かぶ〈しま〉
——見えない都市
第3巻 手法論の射程
——形式の自動生成
第4巻 〈建築〉という基体
——デミウルゴモルフィスム
第5巻 「わ」の所在
——列島に交錯する他者の視線
第6巻 ユートピアはどこへ
——社会的制度としての建築家
第7巻 建築のキュレーションへ
——網目状権力と決定
第8巻 制作の現場
——プロジェクトの位相
2013-03-25
『〈女〉で読むドイツ文学』
〈女〉で読むドイツ文学
三浦淳 著
[目次]
第1章 エミーリアはなぜ死んだのか-レッシングの『エミーリア・ガロッティ』
第2章 ロッテは聖女か悪女か-ゲーテの『若きウェルテルの悩み』
第3章 叔母と甥との微妙な関係-リルケの『マルテの手記』
第4章 見えないヒロイン-ヨーゼフ・ロートの『酔いどれ聖者の伝説』
タイトル 〈女〉で読むドイツ文学
著者 三浦淳 著
著者標目 三浦, 淳, 1952-
著者標目 新潟大学大学院現代社会文化研究科
シリーズ名 ブックレット新潟大学 ; 18
出版地(国名コード) JP
出版地 新潟
出版社 新潟日報事業社
出版年 2003
大きさ、容量等 70p ; 21cm
ISBN 4888629889
価格 1000円
JP番号 20531715
シリーズ著者 新潟大学大学院現代社会文化研究科ブックレット新潟大学編集委員会 編
出版年月日等 2003.8
件名(キーワード) ドイツ文学--歴史--近代
件名(キーワード) 女性--文学上
NDLC KS334
NDC(9版) 940.26 : ドイツ文学
対象利用者 一般
資料の種別 図書
資料の種別 政府刊行物
資料の種別 官公庁刊行物
言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語
三浦淳 著
[目次]
第1章 エミーリアはなぜ死んだのか-レッシングの『エミーリア・ガロッティ』
第2章 ロッテは聖女か悪女か-ゲーテの『若きウェルテルの悩み』
第3章 叔母と甥との微妙な関係-リルケの『マルテの手記』
第4章 見えないヒロイン-ヨーゼフ・ロートの『酔いどれ聖者の伝説』
タイトル 〈女〉で読むドイツ文学
著者 三浦淳 著
著者標目 三浦, 淳, 1952-
著者標目 新潟大学大学院現代社会文化研究科
シリーズ名 ブックレット新潟大学 ; 18
出版地(国名コード) JP
出版地 新潟
出版社 新潟日報事業社
出版年 2003
大きさ、容量等 70p ; 21cm
ISBN 4888629889
価格 1000円
JP番号 20531715
シリーズ著者 新潟大学大学院現代社会文化研究科ブックレット新潟大学編集委員会 編
出版年月日等 2003.8
件名(キーワード) ドイツ文学--歴史--近代
件名(キーワード) 女性--文学上
NDLC KS334
NDC(9版) 940.26 : ドイツ文学
対象利用者 一般
資料の種別 図書
資料の種別 政府刊行物
資料の種別 官公庁刊行物
言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語
2013-03-22
『セイレーンとしてのイゾルデ』
Isolde als Sirene セイレーンとしてのイゾルデ
キットラーの未刊行論文と彼による『トリスタン佯狂』のドイツ語訳にグンブレヒトの解説を付した書物。
Isolde als Sirene: Tristans Narrheit als Wahrheitsereignis. Mit einer
Übersetzung der "Folie Tristan" aus dem Altfranzösischen von Friedrich
Kittler
Friedrich Kittler (著, 翻訳), Hans Ulrich Gumbrecht (著)
Perfect: 107ページ
出版社: Fink Wilhelm Gmbh + Co.Kg (2012/10/4)
言語 ドイツ語, ドイツ語, ドイツ語
ISBN-10: 3770554469
ISBN-13: 978-3770554461
発売日: 2012/10/4
商品の寸法: 21.4 x 13.6 x 1.2 cm
Language Note: Prefatory matter and commentaries in German; text of
the poem in Old French with translation into German on opposite pages
Related Subjects:(6)
Tristan (Legendary character) -- Romances.
Tristan (Legendary character) in literature.
Iseult (Legendary character) in literature.
Arthurian romances -- History and criticism.
Folie Tristan d'Oxford -- Translations into Germa.
French language -- To 1300.
キットラーの未刊行論文と彼による『トリスタン佯狂』のドイツ語訳にグンブレヒトの解説を付した書物。
Isolde als Sirene: Tristans Narrheit als Wahrheitsereignis. Mit einer
Übersetzung der "Folie Tristan" aus dem Altfranzösischen von Friedrich
Kittler
Friedrich Kittler (著, 翻訳), Hans Ulrich Gumbrecht (著)
Perfect: 107ページ
出版社: Fink Wilhelm Gmbh + Co.Kg (2012/10/4)
言語 ドイツ語, ドイツ語, ドイツ語
ISBN-10: 3770554469
ISBN-13: 978-3770554461
発売日: 2012/10/4
商品の寸法: 21.4 x 13.6 x 1.2 cm
Language Note: Prefatory matter and commentaries in German; text of
the poem in Old French with translation into German on opposite pages
Related Subjects:(6)
Tristan (Legendary character) -- Romances.
Tristan (Legendary character) in literature.
Iseult (Legendary character) in literature.
Arthurian romances -- History and criticism.
Folie Tristan d'Oxford -- Translations into Germa.
French language -- To 1300.
『冥府の建築家 = Gilbert Clavel:Architekt des Chthonischen : ジルベール・クラヴェル伝』
冥府の建築家 = Gilbert Clavel:Architekt des Chthonischen : ジルベール・クラヴェル伝
田中純 [著] みすず書房 2012
「わたしがいつかもはやこの世にいなくなったとき、わたしの霊は自分が一生涯のあいだ崇拝し、探し求めて、そのために自分のすべての信仰を捧げてきたもののうちに入り込んでゆく。朝はわたしとともに夕暮れとなり、暗闇は新しい一日の再生となるだろう。わたしは下げ潮となって深海を探索し、満ち潮の再来のためにひとつの波になろう」(1922年の草稿「変容」より)。
ジルベール・クラヴェル(1883-1927)。幼少期の結核が元で宿痾をかかえたジルベールは、イタリア未来派の演劇活動、『自殺協会』と題された幻想小説、そして南イタリアはポジターノの岩礁を爆破し穿孔して建てた洞窟住居と、セイレーンの歌声が響く神話の古層を求めて、44年の短い生涯を駆けぬけた。
「エジプト旅行によって古典古代よりもさらに古い古代に触れ、バレエ・リュスや未来派の経験を経て芸術の前衛を知ったクラヴェルは、塔を拠点に岩窟住居を造りつづけることにより、ポジターノの岩壁に暴力的に介入しながら、風雨に晒される、自然の四大との緊密な交感の場こそを切り開こうとした。(…)頽廃の美を食い破って〈岩石妄想〉が噴出したのである。そこには通底する〈もの狂い〉があった。クラヴェルの建築は、クラヴェルの魂であり霊であるような"もの"を包み込んでいる」。
バーゼル、マッジャ、ローマ、ポジターノなど、スイスとイタリアの各地に分散した遺稿や資料を可能なかぎりすべて調査して、この知られざる特異な作家/建築家の生涯と妄執を辿り直した、世界でも初めての評伝である。
■田中純
たなか・じゅん
1960年、宮城県仙台市に生まれる。1991年、東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻)修士課程修了。2001年、東京大学より博士(学術)の学位授与。専門は思想史・表象文化論。東京大学教授。著書に『残像のなかの建築──モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、1995)『都市表象分析I』(INAX出版、2000)『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』(彰国社、2000)『アビ・ヴァールブルク
記憶の迷宮』(青土社、2001、第24回サントリー学芸賞)『死者たちの都市へ』(青土社、2004)『都市の詩学──場所の記憶と徴候』(東京大学出版会、2007、第58回芸術選奨文部科学大臣新人賞)『政治の美学──権力と表象』(東京大学出版会、2008、第63回毎日出版文化賞)『イメージの自然史──天使から貝殻まで』(羽鳥書店、2010)『建築のエロティシズム──世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命』(平凡社、2011)『ムネモシュネ・アトラス』(共著、ありな書房、2012)ほか。2010年、第32回フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞。
■目次
序
I メタモルフォーゼ
第一章 死の舞踏(1902-07年)
骸(むくろ)としての肉体
「教会開基祭における死」
「死の表現に関するノート」
『中欧月刊誌』の創刊と挫折
イタリアへ
第二章 放蕩者たちの島(1907-11年)
カプリ島滞在の開始
フェルセン伯爵とヴィラ・リュシス
ミトラス教の祭儀
アフリカ、アーシア
アーシア断章──日記と手紙から…
第三章 オリエントへ(1911-14年)
病の哲学、ポンペイ、そして、エジプトへ
エジプト旅行
「わが領土」への帰還
エジプト再訪 1
エジプト再訪 2
II アヴァンギャルド
第四章 エキセントリック(1914-17年)
世界大戦下イタリアのアウトサイダー
『自殺協会』
第五章 未来派(1917-18年)
バレエ・リュスの衝撃、デペロとの出会い
イタリア語版『自殺協会』
「造形的バレエ」の上演
第六章 メタフィジカ(1918-20年)
『造形的価値』への寄稿 1──「ピカソとキュビスム」
ロベルト・ロンギによる展評
『造形的価値』への寄稿 2──「造形的演劇」
『造形的価値』への寄稿 3──「エジプトの表現」
III ミステリウム
第七章 塔と洞窟(1920-23年)
セイレーンの群島
「欠けたピラミッド」の改修
カプリ島景観会議
洞窟住居の着工
洞窟住居の拡張
第八章 友と敵(1923-25年)
フェルセンの死
家宅捜索の顛末
大地の暴力のもとで
「世界で最も奇妙な家」
友人たちの来訪
第九章 睾丸と卵(1925-27年)
巨大洞窟の発見
「岩石妄想」
ダイモーンに駆られて
肉体と建築の複視
最後の手紙
卵母セイレーン
半陰陽の空間
死シテノチ(postmortem)
二つの鍵
註
ジルベール・クラヴェル略年譜
跋
「幻視のスイス」展カタログ所収の書簡一覧
書誌
図版一覧
人名/神名/作品名 索引
■編集者からひとこと
——すべてはハラルト・ゼーマンhttp://en.wikipedia.org/wiki/Harald_Szeemannによる「幻視のスイス」展(1992年、デュッセルドルフ)に始まります。
その当時ドイツに留学していた田中純さんは、「ドクメンタ」や「総合芸術作品への志向」展などで知られるユニークなキュレーターであったゼーマンに惹かれて、この展覧会に足を運びました。それから20年、あたかも2005年に亡くなったゼーマンの妄執(オブセッション)が田中さんに憑依したかのように、本書の企図はゆっくりと醸成されていったのです。
「幻視のスイス」展のカタログを見てみると、アルノルト・ベックリンやパウル・クレーのような著名な画家から、ジルベール・クラヴェルのような無名の作家まで、総勢55名のスイスにゆかりのあるアーティストが取り上げられていたことがわかります。それにしても、出展者55名の簡単な紹介にくらべて、巻末の30ページにもおよぶ「ジルベール・クラヴェル
手紙でたどるその人生の軌跡」という章の構成が異様です。実際の展覧会がどうであったかはともかく、少なくともこのカタログは、まるでクラヴェルその人を世に知らしめるために作られたかのようです。
さて、そのクラヴェルとは何者か。なぜクラヴェルなのか。そんな本書の企図については、田中純さんが本書に先行して『SITE ZERO/ZERO
SITE』3号(2010年)に発表した、ほとんど本書のイントロダクションとも言える以下の論考をご覧ください。
http://before-and-afterimages.jp/news2009/SirenTanaka01.pdf
この世界初の評伝を編集し終えて、思うことが二つあります。ひとつは、生前に『自殺協会』1冊を自費出版したにすぎない無名作家、そして洞窟住居とはいえあくまで私邸をセルフ・ビルドしたにすぎない素人建築家の、日記や手紙や遺稿までが、公文書館や財団図書室にきちんと保管されているという、ヨーロッパのアーカイヴの底知れぬ豊かさ。
もうひとつは、クラヴェルのたゆまぬ創作を突き動かしたイメージの原型です。44年という短い人生のほぼ後半生を、岩壁に通路を穿ち、居室を刳りぬくことに費やしたとなれば、やはりこの人はどうみても奇人変人でしょう。33年をかけてたった一人で理想の宮殿を建てた郵便配達夫フェルディナン・シュヴァルや、誰にも知られることなく『非現実の王国で』と呼ばれる物語や絵を書きつづけたヘンリー・ダーガーが思い浮かびます。ではクラヴェルは、シュヴァルやダーガーのようないわゆるアウトサイダーなのでしょうか。『自殺協会』や洞窟住居はひとつの症例で、病跡学の対象となりうるものなのでしょうか。
どうもそうではない気がします。クラヴェルを捉えた神話的なオブセッションは、あくまで個人のうちに完結した徴候というよりは、はるか古代から人類が受け継いできた、精神のかたちのように思われるのです。本書を通読したあと、あなたにもクラヴェルのオブセッションが憑依するとしたら……、さああなたはつぎに何をするのでしょうか。
田中純 [著] みすず書房 2012
「わたしがいつかもはやこの世にいなくなったとき、わたしの霊は自分が一生涯のあいだ崇拝し、探し求めて、そのために自分のすべての信仰を捧げてきたもののうちに入り込んでゆく。朝はわたしとともに夕暮れとなり、暗闇は新しい一日の再生となるだろう。わたしは下げ潮となって深海を探索し、満ち潮の再来のためにひとつの波になろう」(1922年の草稿「変容」より)。
ジルベール・クラヴェル(1883-1927)。幼少期の結核が元で宿痾をかかえたジルベールは、イタリア未来派の演劇活動、『自殺協会』と題された幻想小説、そして南イタリアはポジターノの岩礁を爆破し穿孔して建てた洞窟住居と、セイレーンの歌声が響く神話の古層を求めて、44年の短い生涯を駆けぬけた。
「エジプト旅行によって古典古代よりもさらに古い古代に触れ、バレエ・リュスや未来派の経験を経て芸術の前衛を知ったクラヴェルは、塔を拠点に岩窟住居を造りつづけることにより、ポジターノの岩壁に暴力的に介入しながら、風雨に晒される、自然の四大との緊密な交感の場こそを切り開こうとした。(…)頽廃の美を食い破って〈岩石妄想〉が噴出したのである。そこには通底する〈もの狂い〉があった。クラヴェルの建築は、クラヴェルの魂であり霊であるような"もの"を包み込んでいる」。
バーゼル、マッジャ、ローマ、ポジターノなど、スイスとイタリアの各地に分散した遺稿や資料を可能なかぎりすべて調査して、この知られざる特異な作家/建築家の生涯と妄執を辿り直した、世界でも初めての評伝である。
■田中純
たなか・じゅん
1960年、宮城県仙台市に生まれる。1991年、東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻)修士課程修了。2001年、東京大学より博士(学術)の学位授与。専門は思想史・表象文化論。東京大学教授。著書に『残像のなかの建築──モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、1995)『都市表象分析I』(INAX出版、2000)『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』(彰国社、2000)『アビ・ヴァールブルク
記憶の迷宮』(青土社、2001、第24回サントリー学芸賞)『死者たちの都市へ』(青土社、2004)『都市の詩学──場所の記憶と徴候』(東京大学出版会、2007、第58回芸術選奨文部科学大臣新人賞)『政治の美学──権力と表象』(東京大学出版会、2008、第63回毎日出版文化賞)『イメージの自然史──天使から貝殻まで』(羽鳥書店、2010)『建築のエロティシズム──世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命』(平凡社、2011)『ムネモシュネ・アトラス』(共著、ありな書房、2012)ほか。2010年、第32回フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞。
■目次
序
I メタモルフォーゼ
第一章 死の舞踏(1902-07年)
骸(むくろ)としての肉体
「教会開基祭における死」
「死の表現に関するノート」
『中欧月刊誌』の創刊と挫折
イタリアへ
第二章 放蕩者たちの島(1907-11年)
カプリ島滞在の開始
フェルセン伯爵とヴィラ・リュシス
ミトラス教の祭儀
アフリカ、アーシア
アーシア断章──日記と手紙から…
第三章 オリエントへ(1911-14年)
病の哲学、ポンペイ、そして、エジプトへ
エジプト旅行
「わが領土」への帰還
エジプト再訪 1
エジプト再訪 2
II アヴァンギャルド
第四章 エキセントリック(1914-17年)
世界大戦下イタリアのアウトサイダー
『自殺協会』
第五章 未来派(1917-18年)
バレエ・リュスの衝撃、デペロとの出会い
イタリア語版『自殺協会』
「造形的バレエ」の上演
第六章 メタフィジカ(1918-20年)
『造形的価値』への寄稿 1──「ピカソとキュビスム」
ロベルト・ロンギによる展評
『造形的価値』への寄稿 2──「造形的演劇」
『造形的価値』への寄稿 3──「エジプトの表現」
III ミステリウム
第七章 塔と洞窟(1920-23年)
セイレーンの群島
「欠けたピラミッド」の改修
カプリ島景観会議
洞窟住居の着工
洞窟住居の拡張
第八章 友と敵(1923-25年)
フェルセンの死
家宅捜索の顛末
大地の暴力のもとで
「世界で最も奇妙な家」
友人たちの来訪
第九章 睾丸と卵(1925-27年)
巨大洞窟の発見
「岩石妄想」
ダイモーンに駆られて
肉体と建築の複視
最後の手紙
卵母セイレーン
半陰陽の空間
死シテノチ(postmortem)
二つの鍵
註
ジルベール・クラヴェル略年譜
跋
「幻視のスイス」展カタログ所収の書簡一覧
書誌
図版一覧
人名/神名/作品名 索引
■編集者からひとこと
——すべてはハラルト・ゼーマンhttp://en.wikipedia.org/wiki/Harald_Szeemannによる「幻視のスイス」展(1992年、デュッセルドルフ)に始まります。
その当時ドイツに留学していた田中純さんは、「ドクメンタ」や「総合芸術作品への志向」展などで知られるユニークなキュレーターであったゼーマンに惹かれて、この展覧会に足を運びました。それから20年、あたかも2005年に亡くなったゼーマンの妄執(オブセッション)が田中さんに憑依したかのように、本書の企図はゆっくりと醸成されていったのです。
「幻視のスイス」展のカタログを見てみると、アルノルト・ベックリンやパウル・クレーのような著名な画家から、ジルベール・クラヴェルのような無名の作家まで、総勢55名のスイスにゆかりのあるアーティストが取り上げられていたことがわかります。それにしても、出展者55名の簡単な紹介にくらべて、巻末の30ページにもおよぶ「ジルベール・クラヴェル
手紙でたどるその人生の軌跡」という章の構成が異様です。実際の展覧会がどうであったかはともかく、少なくともこのカタログは、まるでクラヴェルその人を世に知らしめるために作られたかのようです。
さて、そのクラヴェルとは何者か。なぜクラヴェルなのか。そんな本書の企図については、田中純さんが本書に先行して『SITE ZERO/ZERO
SITE』3号(2010年)に発表した、ほとんど本書のイントロダクションとも言える以下の論考をご覧ください。
http://before-and-afterimages.jp/news2009/SirenTanaka01.pdf
この世界初の評伝を編集し終えて、思うことが二つあります。ひとつは、生前に『自殺協会』1冊を自費出版したにすぎない無名作家、そして洞窟住居とはいえあくまで私邸をセルフ・ビルドしたにすぎない素人建築家の、日記や手紙や遺稿までが、公文書館や財団図書室にきちんと保管されているという、ヨーロッパのアーカイヴの底知れぬ豊かさ。
もうひとつは、クラヴェルのたゆまぬ創作を突き動かしたイメージの原型です。44年という短い人生のほぼ後半生を、岩壁に通路を穿ち、居室を刳りぬくことに費やしたとなれば、やはりこの人はどうみても奇人変人でしょう。33年をかけてたった一人で理想の宮殿を建てた郵便配達夫フェルディナン・シュヴァルや、誰にも知られることなく『非現実の王国で』と呼ばれる物語や絵を書きつづけたヘンリー・ダーガーが思い浮かびます。ではクラヴェルは、シュヴァルやダーガーのようないわゆるアウトサイダーなのでしょうか。『自殺協会』や洞窟住居はひとつの症例で、病跡学の対象となりうるものなのでしょうか。
どうもそうではない気がします。クラヴェルを捉えた神話的なオブセッションは、あくまで個人のうちに完結した徴候というよりは、はるか古代から人類が受け継いできた、精神のかたちのように思われるのです。本書を通読したあと、あなたにもクラヴェルのオブセッションが憑依するとしたら……、さああなたはつぎに何をするのでしょうか。
2013-03-21
ジルベール・クラヴェルとカフカの通底性by田中純
クラヴェルはカフカやリルケのような独自の文体をもった作家ではなくて異文化のコミュニケーターのような人物、といった指摘もあって、後段についてはそうだろうと思う。
ただ、クラヴェルについては、『自殺協会』のような刊行されたテクストよりも、日記や手紙のほうが大事。さらに言えば、洞窟住居の建造などと一体化したテクスト・身体・建築との相互作用こそが。この点でのカフカとの通底性については拙著(冥府の建築家
= Gilbert Clavel:Architekt des Chthonischen : ジルベール・クラヴェル伝
田中純 [著] みすず書房 2012 )にも書いた。
Renatus Zürcher氏の映像作品※では不鮮明で暗示的な映像とともに『自殺協会』のテクスト(ドイツ語版)が朗読されていた。「テクストに力があるので、それを聴いてイメージを膨らませてほしい」とは作者の弁。映像は解説ではなく、そのきっかけであると。
※Renatus Zürcher氏の「8つ川(Achterstrom)」という作品を見に行く。クラヴェルの小説『自殺協会』を元にしたもの。アーティスト本人からの解説も。クラヴェルの洞窟を海から撮影した映像が無気味で良かった。
クラヴェルの先駆的な研究で知られる人物や発行元の社主でもある美術史家とアーティストの3人による企画としてクラヴェルの著作集が企画されている由。2017年までの刊行を目指すとか。
Renatus Zürcher氏の展覧会に際して発行されたアーティストブックは、ほとんど白紙の分厚い小冊子のところどころにテクストが差し挟まれているという変わった造り。これは将来予定している、クラヴェルの一巻本著作集(全集?)を先取りした形態らしい。すでに手紙や日記などの調査を始めているとか。
クラカウアーのクラヴェル論を読んでも感じるのは、根本的な関心対象が彼の城に宿るある種の無気味さ、黄泉の国の風のようなものであること。
ただ、クラヴェルについては、『自殺協会』のような刊行されたテクストよりも、日記や手紙のほうが大事。さらに言えば、洞窟住居の建造などと一体化したテクスト・身体・建築との相互作用こそが。この点でのカフカとの通底性については拙著(冥府の建築家
= Gilbert Clavel:Architekt des Chthonischen : ジルベール・クラヴェル伝
田中純 [著] みすず書房 2012 )にも書いた。
Renatus Zürcher氏の映像作品※では不鮮明で暗示的な映像とともに『自殺協会』のテクスト(ドイツ語版)が朗読されていた。「テクストに力があるので、それを聴いてイメージを膨らませてほしい」とは作者の弁。映像は解説ではなく、そのきっかけであると。
※Renatus Zürcher氏の「8つ川(Achterstrom)」という作品を見に行く。クラヴェルの小説『自殺協会』を元にしたもの。アーティスト本人からの解説も。クラヴェルの洞窟を海から撮影した映像が無気味で良かった。
クラヴェルの先駆的な研究で知られる人物や発行元の社主でもある美術史家とアーティストの3人による企画としてクラヴェルの著作集が企画されている由。2017年までの刊行を目指すとか。
Renatus Zürcher氏の展覧会に際して発行されたアーティストブックは、ほとんど白紙の分厚い小冊子のところどころにテクストが差し挟まれているという変わった造り。これは将来予定している、クラヴェルの一巻本著作集(全集?)を先取りした形態らしい。すでに手紙や日記などの調査を始めているとか。
クラカウアーのクラヴェル論を読んでも感じるのは、根本的な関心対象が彼の城に宿るある種の無気味さ、黄泉の国の風のようなものであること。
2013-03-19
「入院手続きは本来、担当医が入院申し込みの書類をファイルにとじて、書類を別の医師が見て入院手続きを始めるが、このケースは書類が残っていなかった」
名古屋大病院(名古屋市)は2013年3月13日、二〇〇八年に口の中にがんが見つかった愛知県の三十代患者に対し、手術が必要なのに三年以上放置し、その後に死亡したことを明らかにした。外部専門家らでつくる調査委員会は「予定通り手術が行われれば完治した可能性が高い」と指摘した。
病院によると、患者は〇八年三月に受診し、がんの疑いが高いと診断された。担当医は手術の必要性を説明し、患者は入院と手術を申し込んだ。病院は「入院日が決まったら連絡する」と伝えていたが、院内で入院申込書を紛失し、その後患者に連絡はなかった。
患者自身は、自覚症状がなかったことなどから、ただちに手術が必要ではないと受け止め、再受診することはなかった。一一年四月に痛みが悪化して再受診。この時に初めて、手術が行われていないことが発覚した。
病院はただちに手術などをしたが、同年八月に肺への転移が拡大し、昨年四月に呼吸不全で死亡した。
調査委は「連絡体制や、情報管理体制の不備による事務手続きのミスが原因」と指摘。病院はその後、入院予約システムの電子化と複数の部署で共有する仕組みをつくった。病院は患者の遺族に謝罪し、和解している。
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名古屋大学医学部付属病院で、がんの手術が必要な患者に入院予定日の連絡をしないまま3年間放置し、患者が死亡していたことがわかった。
名大病院によると、死亡した愛知県内の30代の患者は、2008年3月、口腔(こうくう)内にがんの疑いがあると診断され、入院・手術の手続きに入ったものの、その後、病院側が患者に入院予定日などを一切連絡しなかった。
2011年に患者が病院に訪れた際に、放置していたことが発覚し、すぐに手術が行われたが、患者は2012年4月に死亡した。
病院内の連絡態勢に不備があったことが原因で、早期の手術で治っていた可能性が極めて高かったという。
名大病院は、「申し訳ない気持ちでいっぱい」だとコメントしている。
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名古屋大病院(名古屋市)は2013年3月13日、外来で口腔内のがんの疑いと診断し、手術が決まっていた愛知県の30代患者に2008年から約3年間、入院の連絡をしないまま放置していたことを明らかにした。患者はその後手術を受けたが、がんが肺に転移し、翌年に呼吸不全で死亡した。
名大病院は同日、連絡をしなかった原因に関し、第三者の調査委員会の検証結果に基づき、外来の担当医が連絡に必要な書類を紛失した可能性が高いと発表。調査委は、手術が当初の予定通り行われていれば、がんは完治していた可能性が高いと指摘した。
松尾清一院長は記者会見で「患者と家族には謝罪した。申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と話した。遺族とは示談が成立したという。
名大病院によると、患者は08年3月、歯科口腔外科で外来受診し、患部の部分切除が必要との説明を受けた。検査で初期のがんの疑いが濃かったものの、担当医は「グレーゾーン」などと説明。
患者は手術が必要とは受け取らず、連絡もなかったことから、名大病院を受診する前に通院していた別のクリニックでの治療を続けた。しかし口の中の痛みが悪化し、11年4月に名大病院を訪れて放置が発覚した。
病院はすぐに手術を実施。患者は経過が良好で同年6月に一時退院したが、約2カ月後に肺への転移が見つかり、12年4月に死亡した。
名大病院は入院予定の患者を電子カルテで把握するなど、再発防止策をとったという。
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名古屋大病院(名古屋市)は2013年3月13日、口腔(こうくう)内がんの疑いと診断し、手術が必要とされた愛知県の30代患者を入院手続きのミスで約3年間放置した結果、がんが肺へ転移し呼吸不全で死亡したと発表した。初診時は初期がんだったため、予定通りに手術していれば根治していた可能性がある。
松尾清一病院長は記者会見し、「亡くなられた患者さんには心から哀悼の意を表します」と謝罪。遺族には賠償金を支払うという。
名大によると、患者は2008年3月、かかりつけ医の紹介で同病院を受診した。担当医はがんの疑いがあると診断。手術の必要性も説明し、「入院日が決まったらまた連絡する」と話したが、連絡していなかった。入院手続き書類の一部を担当医が紛失し、患者のことを失念していた可能性が高いという。
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名古屋大病院:がん3年放置 30代患者、肺に転移し死亡
毎日新聞 2013年03月13日 12時22分(最終更新 03月13日 18時03分)
名古屋大病院(名古屋市昭和区)は13日、口腔(こうくう)内のがんと診断して手術をすると決めていた愛知県の30代患者に、08年から3年間入院の連絡をしないまま放置し、患者が死亡したと発表した。病院が賠償金を支払うことで遺族と示談が成立しており、記者会見した松尾清一病院長は「ご遺族に心より謝罪する。病院全体のシステムを見直す」と話した。
病院によると、患者は初期のがんで、予定通り手術をしていれば完治していたという。
患者は08年3月にかかりつけ医からの紹介で名大病院を受診。担当医はがんの疑いと診断し、手術をすることを説明して「入院日が決まったら連絡する」と伝えたが、その後連絡していなかった。
患者は連絡がないまま、かかりつけ医で治療を受けたが、病状が悪化したため、11年4月に名大病院を再び受診した。その際に入院手続きがとられていないことが発覚し、翌月に手術を受けた。だが、がんの肺転移による呼吸不全のため12年4月に死亡した。
入院手続きは本来、担当医が入院申し込みの書類をファイルにとじて、書類を別の医師が見て入院手続きを始めるが、このケースは書類が残っていなかったという。担当医は当時の経緯について病院に「記憶にない」と話しているという。【岡村恵子】
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病院によると、患者は〇八年三月に受診し、がんの疑いが高いと診断された。担当医は手術の必要性を説明し、患者は入院と手術を申し込んだ。病院は「入院日が決まったら連絡する」と伝えていたが、院内で入院申込書を紛失し、その後患者に連絡はなかった。
患者自身は、自覚症状がなかったことなどから、ただちに手術が必要ではないと受け止め、再受診することはなかった。一一年四月に痛みが悪化して再受診。この時に初めて、手術が行われていないことが発覚した。
病院はただちに手術などをしたが、同年八月に肺への転移が拡大し、昨年四月に呼吸不全で死亡した。
調査委は「連絡体制や、情報管理体制の不備による事務手続きのミスが原因」と指摘。病院はその後、入院予約システムの電子化と複数の部署で共有する仕組みをつくった。病院は患者の遺族に謝罪し、和解している。
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名古屋大学医学部付属病院で、がんの手術が必要な患者に入院予定日の連絡をしないまま3年間放置し、患者が死亡していたことがわかった。
名大病院によると、死亡した愛知県内の30代の患者は、2008年3月、口腔(こうくう)内にがんの疑いがあると診断され、入院・手術の手続きに入ったものの、その後、病院側が患者に入院予定日などを一切連絡しなかった。
2011年に患者が病院に訪れた際に、放置していたことが発覚し、すぐに手術が行われたが、患者は2012年4月に死亡した。
病院内の連絡態勢に不備があったことが原因で、早期の手術で治っていた可能性が極めて高かったという。
名大病院は、「申し訳ない気持ちでいっぱい」だとコメントしている。
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名古屋大病院(名古屋市)は2013年3月13日、外来で口腔内のがんの疑いと診断し、手術が決まっていた愛知県の30代患者に2008年から約3年間、入院の連絡をしないまま放置していたことを明らかにした。患者はその後手術を受けたが、がんが肺に転移し、翌年に呼吸不全で死亡した。
名大病院は同日、連絡をしなかった原因に関し、第三者の調査委員会の検証結果に基づき、外来の担当医が連絡に必要な書類を紛失した可能性が高いと発表。調査委は、手術が当初の予定通り行われていれば、がんは完治していた可能性が高いと指摘した。
松尾清一院長は記者会見で「患者と家族には謝罪した。申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と話した。遺族とは示談が成立したという。
名大病院によると、患者は08年3月、歯科口腔外科で外来受診し、患部の部分切除が必要との説明を受けた。検査で初期のがんの疑いが濃かったものの、担当医は「グレーゾーン」などと説明。
患者は手術が必要とは受け取らず、連絡もなかったことから、名大病院を受診する前に通院していた別のクリニックでの治療を続けた。しかし口の中の痛みが悪化し、11年4月に名大病院を訪れて放置が発覚した。
病院はすぐに手術を実施。患者は経過が良好で同年6月に一時退院したが、約2カ月後に肺への転移が見つかり、12年4月に死亡した。
名大病院は入院予定の患者を電子カルテで把握するなど、再発防止策をとったという。
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名古屋大病院(名古屋市)は2013年3月13日、口腔(こうくう)内がんの疑いと診断し、手術が必要とされた愛知県の30代患者を入院手続きのミスで約3年間放置した結果、がんが肺へ転移し呼吸不全で死亡したと発表した。初診時は初期がんだったため、予定通りに手術していれば根治していた可能性がある。
松尾清一病院長は記者会見し、「亡くなられた患者さんには心から哀悼の意を表します」と謝罪。遺族には賠償金を支払うという。
名大によると、患者は2008年3月、かかりつけ医の紹介で同病院を受診した。担当医はがんの疑いがあると診断。手術の必要性も説明し、「入院日が決まったらまた連絡する」と話したが、連絡していなかった。入院手続き書類の一部を担当医が紛失し、患者のことを失念していた可能性が高いという。
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名古屋大病院:がん3年放置 30代患者、肺に転移し死亡
毎日新聞 2013年03月13日 12時22分(最終更新 03月13日 18時03分)
名古屋大病院(名古屋市昭和区)は13日、口腔(こうくう)内のがんと診断して手術をすると決めていた愛知県の30代患者に、08年から3年間入院の連絡をしないまま放置し、患者が死亡したと発表した。病院が賠償金を支払うことで遺族と示談が成立しており、記者会見した松尾清一病院長は「ご遺族に心より謝罪する。病院全体のシステムを見直す」と話した。
病院によると、患者は初期のがんで、予定通り手術をしていれば完治していたという。
患者は08年3月にかかりつけ医からの紹介で名大病院を受診。担当医はがんの疑いと診断し、手術をすることを説明して「入院日が決まったら連絡する」と伝えたが、その後連絡していなかった。
患者は連絡がないまま、かかりつけ医で治療を受けたが、病状が悪化したため、11年4月に名大病院を再び受診した。その際に入院手続きがとられていないことが発覚し、翌月に手術を受けた。だが、がんの肺転移による呼吸不全のため12年4月に死亡した。
入院手続きは本来、担当医が入院申し込みの書類をファイルにとじて、書類を別の医師が見て入院手続きを始めるが、このケースは書類が残っていなかったという。担当医は当時の経緯について病院に「記憶にない」と話しているという。【岡村恵子】
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2013-03-11
ペーター=アンドレ・アルト著/瀬川 裕司 訳『カフカと映画』
ペーター=アンドレ・アルト著/瀬川 裕司 訳
カフカと映画
税込価格 : 3570円 (本体価格3400円)
ISBN : 978-4-560-08274-4
ジャンル : 海外文学
体裁 : 四六判 上製 254頁
刊行年月 : 2013-03
内容 : 映画がなければカフカは生まれなかった
カフカは映画が好きだった。「イメージが動く」などの手法が彼の作品に応用されている。『城』と《吸血鬼ノスフェラトゥ》の共通点など、表現をめぐる刺激的な関係が明らかになる。
Kafka und der Film Über kinematographisches Erzählen
Peter-André Alt
ハードカバー: 237ページ
出版社: Beck C. H. (2009/03)
言語 ドイツ語, ドイツ語, ドイツ語
ISBN-10: 3406587488
ISBN-13: 978-3406587481
発売日: 2009/03
目次
Vorspann
Ästhetik dynamischer Bilder
Einübung des Kino-Blicks
(Betrachtung)
Verkehr und Film
(Kinder auf der Landstraße,
Der Verschollene, Das Urteil)
Verfolgungsjagden
(Der Verschollene)
Doppelgänger
(Der Proceß)
Das Lichtspieltheater der Gebärden
(Ein Brudermord)
Stereoskopisches Sehen
(Der Jäger Gracchus)
Ein Landvermesser in Transsylvanien
(Das Schloß)
Abspann
Anmerkungen
Bildquellen
Personenregister
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
カフカ、映画に行く
KAFKA GEHT INS KINO
ハンス・ツィシュラー [著] ; 瀬川裕司 訳, みすず書房, 1998.7, 201p
A5変型判 タテ200mm×ヨコ148mm/208頁
定価 2,625円(本体2,500円)
ISBN 4-622-04707-1 C1098
1998年7月31日発行
目次
観客
弁士
悲しき文通者、あるいは散歩者
皇帝の名前
またしてもこの白い奴隷女
破線で描かれたパリ、もしくはモナリザの盗難
幕間
拉致されて、あるいはリュツォヴの猟人団
任意の例、もしくは分身
見えない観光名所、もしくは男泣かせの女
〔ほか〕
〈日記はまったくつけていません。なぜ日記をつけなければならないのかわからないのです。僕を心の奥深くで感動させるようなものに出会うことがない。それは、昨日のヴェローナのキネマトグラフの劇場でのように僕が泣いてしまうような場合も同じです。人間関係を楽しむことならできますが、それを体験するということがありません。〉(フェリーツェへの手紙
1913年10月29日)
「カフカの早い時期における日記や手紙のなかに、映画に言及されている箇所があることを初めて知ったのは1978年、カフカを題材とするテレビ映画を撮影していたときのことであった。映画への言及は広い範囲に拡散しており、ひどく謎めいているものも少なくない。その文章の調子は、映画を観に行くということに関して彼が抱いていた激しい感情を示唆するものであった。以来、私はこのテーマに本腰を入れて取り組むようになった。」
カフカは大の映画ファンだった。映画を注意ぶかく観察し、つねに〈書くこと〉との関係で考えつづけていた。さらに人生の無意味さを感じつつ「意識を失うほどの孤独」に陥るたびに、彼は映画館に通っていた。
カフカは、いつ・どこで・何を観たか。「白い奴隷女」「婿殿には公務員を」「男泣かせの女」「シオンへの帰還」等々、作家を魅了した映画の一つ一つを追跡し、斬新な手法でその文学と人物にアプローチした待望の書。
「カフカ、映画に行く」の著訳者:
ハンス・ツィシュラー
Hanns Zischler
1947年ニュルンベルクに生まれる。1966年にインゴールシュタットで大学入学資格を取得後、ミュンヒェン大学およびベルリン自由大学で文芸学・哲学を学ぶ。映画・舞台での俳優活動のほか、演出家、脚本家、プロデューサー、エッセイストとさまざまな顔を持つ才人として知られる。とりわけジャック・デリダの著作をはじめとするフランスおよびイギリスの現代思想の翻訳紹介は高い評価を受けており、〈ドイツでもっとも知的な俳優〉とも呼ばれている。著書としては"Im
Wortlaut"(1997、Alphaus)、"You Can't Judge A Book by its
Cover"(1995、Merve Verlag)、"Tagesreisen"(1993、Merve
Verlag)ほかがあり、代表的な映画出演作としては『新ドイツ零年』(1991、ジャン=リュック・ゴダール)『別れの朝』(1983、ローベルト・ファン・アカレン)『さすらい』(1975、ヴィム・ヴェンダース監督)等がある。
瀬川裕司
せがわ・ゆうじ
1957年広島市に生まれる。1982年東京大学文学部卒業。1989年東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。1987-88年ベルリン自由大学留学。横浜国立大学助教授を経て、現在は明治大学助教授。共著書に『現代映画作家を知る17の方法』(1997、フィルムアート社)『ドイツ・ニューシネマを読む』(1992、フィルムアート社)、訳書にヘルムート・カラゼク『ビリー・ワイルダー
自作自伝』(1996、文藝春秋)『ドイツ映画の誕生』(1995、山科書店、共訳)、ヴィム・ヴェンダース『夢の視線』(1994、河出書房新社)、レナーテ・ザイデル『ロミー・シュナイター』(1991、平凡社)ほかがある。
カフカと映画
税込価格 : 3570円 (本体価格3400円)
ISBN : 978-4-560-08274-4
ジャンル : 海外文学
体裁 : 四六判 上製 254頁
刊行年月 : 2013-03
内容 : 映画がなければカフカは生まれなかった
カフカは映画が好きだった。「イメージが動く」などの手法が彼の作品に応用されている。『城』と《吸血鬼ノスフェラトゥ》の共通点など、表現をめぐる刺激的な関係が明らかになる。
Kafka und der Film Über kinematographisches Erzählen
Peter-André Alt
ハードカバー: 237ページ
出版社: Beck C. H. (2009/03)
言語 ドイツ語, ドイツ語, ドイツ語
ISBN-10: 3406587488
ISBN-13: 978-3406587481
発売日: 2009/03
目次
Vorspann
Ästhetik dynamischer Bilder
Einübung des Kino-Blicks
(Betrachtung)
Verkehr und Film
(Kinder auf der Landstraße,
Der Verschollene, Das Urteil)
Verfolgungsjagden
(Der Verschollene)
Doppelgänger
(Der Proceß)
Das Lichtspieltheater der Gebärden
(Ein Brudermord)
Stereoskopisches Sehen
(Der Jäger Gracchus)
Ein Landvermesser in Transsylvanien
(Das Schloß)
Abspann
Anmerkungen
Bildquellen
Personenregister
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カフカ、映画に行く
KAFKA GEHT INS KINO
ハンス・ツィシュラー [著] ; 瀬川裕司 訳, みすず書房, 1998.7, 201p
A5変型判 タテ200mm×ヨコ148mm/208頁
定価 2,625円(本体2,500円)
ISBN 4-622-04707-1 C1098
1998年7月31日発行
目次
観客
弁士
悲しき文通者、あるいは散歩者
皇帝の名前
またしてもこの白い奴隷女
破線で描かれたパリ、もしくはモナリザの盗難
幕間
拉致されて、あるいはリュツォヴの猟人団
任意の例、もしくは分身
見えない観光名所、もしくは男泣かせの女
〔ほか〕
〈日記はまったくつけていません。なぜ日記をつけなければならないのかわからないのです。僕を心の奥深くで感動させるようなものに出会うことがない。それは、昨日のヴェローナのキネマトグラフの劇場でのように僕が泣いてしまうような場合も同じです。人間関係を楽しむことならできますが、それを体験するということがありません。〉(フェリーツェへの手紙
1913年10月29日)
「カフカの早い時期における日記や手紙のなかに、映画に言及されている箇所があることを初めて知ったのは1978年、カフカを題材とするテレビ映画を撮影していたときのことであった。映画への言及は広い範囲に拡散しており、ひどく謎めいているものも少なくない。その文章の調子は、映画を観に行くということに関して彼が抱いていた激しい感情を示唆するものであった。以来、私はこのテーマに本腰を入れて取り組むようになった。」
カフカは大の映画ファンだった。映画を注意ぶかく観察し、つねに〈書くこと〉との関係で考えつづけていた。さらに人生の無意味さを感じつつ「意識を失うほどの孤独」に陥るたびに、彼は映画館に通っていた。
カフカは、いつ・どこで・何を観たか。「白い奴隷女」「婿殿には公務員を」「男泣かせの女」「シオンへの帰還」等々、作家を魅了した映画の一つ一つを追跡し、斬新な手法でその文学と人物にアプローチした待望の書。
「カフカ、映画に行く」の著訳者:
ハンス・ツィシュラー
Hanns Zischler
1947年ニュルンベルクに生まれる。1966年にインゴールシュタットで大学入学資格を取得後、ミュンヒェン大学およびベルリン自由大学で文芸学・哲学を学ぶ。映画・舞台での俳優活動のほか、演出家、脚本家、プロデューサー、エッセイストとさまざまな顔を持つ才人として知られる。とりわけジャック・デリダの著作をはじめとするフランスおよびイギリスの現代思想の翻訳紹介は高い評価を受けており、〈ドイツでもっとも知的な俳優〉とも呼ばれている。著書としては"Im
Wortlaut"(1997、Alphaus)、"You Can't Judge A Book by its
Cover"(1995、Merve Verlag)、"Tagesreisen"(1993、Merve
Verlag)ほかがあり、代表的な映画出演作としては『新ドイツ零年』(1991、ジャン=リュック・ゴダール)『別れの朝』(1983、ローベルト・ファン・アカレン)『さすらい』(1975、ヴィム・ヴェンダース監督)等がある。
瀬川裕司
せがわ・ゆうじ
1957年広島市に生まれる。1982年東京大学文学部卒業。1989年東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。1987-88年ベルリン自由大学留学。横浜国立大学助教授を経て、現在は明治大学助教授。共著書に『現代映画作家を知る17の方法』(1997、フィルムアート社)『ドイツ・ニューシネマを読む』(1992、フィルムアート社)、訳書にヘルムート・カラゼク『ビリー・ワイルダー
自作自伝』(1996、文藝春秋)『ドイツ映画の誕生』(1995、山科書店、共訳)、ヴィム・ヴェンダース『夢の視線』(1994、河出書房新社)、レナーテ・ザイデル『ロミー・シュナイター』(1991、平凡社)ほかがある。
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