2013-03-21

ジルベール・クラヴェルとカフカの通底性by田中純

クラヴェルはカフカやリルケのような独自の文体をもった作家ではなくて異文化のコミュニケーターのような人物、といった指摘もあって、後段についてはそうだろうと思う。

ただ、クラヴェルについては、『自殺協会』のような刊行されたテクストよりも、日記や手紙のほうが大事。さらに言えば、洞窟住居の建造などと一体化したテクスト・身体・建築との相互作用こそが。この点でのカフカとの通底性については拙著(冥府の建築家
= Gilbert Clavel:Architekt des Chthonischen : ジルベール・クラヴェル伝
田中純 [著] みすず書房 2012 )にも書いた。

Renatus Zürcher氏の映像作品※では不鮮明で暗示的な映像とともに『自殺協会』のテクスト(ドイツ語版)が朗読されていた。「テクストに力があるので、それを聴いてイメージを膨らませてほしい」とは作者の弁。映像は解説ではなく、そのきっかけであると。
※Renatus Zürcher氏の「8つ川(Achterstrom)」という作品を見に行く。クラヴェルの小説『自殺協会』を元にしたもの。アーティスト本人からの解説も。クラヴェルの洞窟を海から撮影した映像が無気味で良かった。


クラヴェルの先駆的な研究で知られる人物や発行元の社主でもある美術史家とアーティストの3人による企画としてクラヴェルの著作集が企画されている由。2017年までの刊行を目指すとか。

Renatus Zürcher氏の展覧会に際して発行されたアーティストブックは、ほとんど白紙の分厚い小冊子のところどころにテクストが差し挟まれているという変わった造り。これは将来予定している、クラヴェルの一巻本著作集(全集?)を先取りした形態らしい。すでに手紙や日記などの調査を始めているとか。

クラカウアーのクラヴェル論を読んでも感じるのは、根本的な関心対象が彼の城に宿るある種の無気味さ、黄泉の国の風のようなものであること。