2013-05-29

ペーターアンドレ・アルト『カフカと映画』書評(佐々木敦・岡田温司・中条省平)

カフカと映画 [著]ペーターアンドレ・アルト

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [朝日新聞掲載]2013年05月26日

著者:ペーター=アンドレ・アルト、瀬川裕司  出版社:白水社 価格:¥ 3,570

■『城』の舞台発見?踏み込む論証

 前世紀のはじめ、若きフランツ・カフカは、昼間は公務員として働き、夜はのちに文学史上の大事件と見なされることになる数々の小説と、そのもとになる創作メモ、日記や手紙などを書いていた。ではそれ以外の時間、彼は何をしていたのか。カフカはプラハの街に繰り出し、友人と語り、呑(の)み、食事し、そして映画を観(み)ていた。
 ベルリン自由大学の学長を務める著者は、カフカの日記や手紙から映画にかんする記述を拾い出し、そこで言及されているカフカが実際に観たとおぼしき映画を調べ上げ、カフカの小説が、ちょうど揺籃(ようらん)期にあった同時代の映画に、いかに影響されていたかを検証してみせる。同様の観点に立つ本は過去にもあったが、この本の論証と推理がもたらす知的スリルは半端ではない。なにしろカフカの『城』のモデルになったかもしれない実在する城を発見してしまったのだから。
 当時まだ生まれてまもない映画の特性(撮影と映写のメカニズム、ショットとその編集という技法など)と、無声映画の他の芸術とは異なる感情表現やドラマツルギーの、カフカの小説との類似性。あの独特な文章と、奇妙だが生々しい叙述は、言われてみれば確かに映画的だ。だがそれを単なる同時代性としてではなく、更に踏み込んで論じている点に本書の白眉(はくび)がある。
 1921年の夏、カフカは肺病治療のためサナトリウムに滞在した。そこから遠くない場所にオラヴァ城という城があった。カフカがその城を訪ねたという証拠はない。だが『城』の舞台は確かにオラヴァ城に似ている。そしてこの城は、F・W・ムルナウ監督の傑作「吸血鬼ノスフェラトゥ」の撮影場所だった。つまり私たちはムルナウの映画でカフカの小説の「城」を見ることが出来るのだ。そう著者は推論している。大胆な仮説だが、実に面白い。カフカの読み方が変わってしまいそうである。
    ◇
 瀬川裕司訳、白水社・3570円/Peter−Andre Alt 1960年生まれ。ベルリン自由大学学長。

評・岡田 温司(西洋美術史家・京都大教授)
作品への影響を解く

 アートはたんに世界を映すだけの鏡なのではない。

 世界を変革する力をも秘めている。19世紀末に産声を上げた新たなアート、映画がその良い例だ。今や映画を抜きに、私たちを取り巻く現実世界を語ることはできない。とするなら、映画がはじめて公衆の目にさらされたときの衝撃はどれほどのものであったか、察して余りある。まずもって、知覚や感性のあり方そのものを一新することになったのだ。それゆえ当時、歓迎するにしろ戸惑うにしろ、多くの芸術家や作家や学者たちを引きつけたのも、理由のないことではない。

 本書は、なかでも映画に「途方もない楽しみ」を見出(みいだ)していたカフカの文学に焦点を当て、映画がその作品に及ぼした影響の大きさを解き明かそうとするもの。カフカが映画に熱を上げていたことは、その手記等からこれまでにもよく知られていた。本書はさらに踏み込んで、カフカ文学のモチーフや文体の特徴の数々を、実際に彼が見たとおぼしき映画に照らし合わせて具体的に検証していく。たとえば、『審判』における人格の二重化や主体の分裂というテーマは、初期映画の名作『プラーグの大学生』や『分身』に、『城』の超現実的な設定は、『吸血鬼ノスフェラトゥ』に比較される等々、といった具合。さらに、全体よりも細部に執着する人物描写の独特の効果や、たえず動く視点から記述される空間表現などにもまた、運動のイメージをとらえるカメラ・アイの手法が生かされているという。

 私の勝手な想像だが、芥川龍之介や稲垣足穂をはじめ日本の近代文学にも、類似の例は少なくないだろう。カフカは映画をうまく利用したが、逆にカフカ文学を映画化することがいかに困難かをめぐる訳者の解説も興味深い。これまでややもすると神秘主義やユダヤ思想に傾きがちだったカフカ解釈に、それとは異なる視座から一石を投じた点で、本書は新たな道を開いたといえるだろう。瀬川裕司訳。

 ◇Peter‐André Alt=1960年生まれ。ドイツのベルリン自由大学学長。

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カフカと映画 ペーター=アンドレ・アルト著
最先端メディアを吸収した作家

[日本経済新聞朝刊2013年4月28日付]
(映画評論家 中条省平)

 『カフカと映画』、一見奇妙なタイトルに見えるかもしれない。しかし、1883年生まれのカフカは、映画が発明されたとき感受性豊かな少年であり、保険協会の職員だった20代の日記や手紙には、鑑賞した映画について多くの記述が残されている。ツィシュラーの『カフカ、映画に行く』という本は、カフカの映画ファンぶりを追跡、実証したものだ。

 本書はツィシュラーの研究のさらに先に踏みこみ、映画という当時最先端のメディアをカフカがどのように自分の文学世界に吸収したかを論じている。

 ところで、カフカはプルーストやジョイスと並ぶ20世紀最高の作家と見なされている。だが、カフカがプルーストやジョイスと根本的に異なっているのは、その人間観である。プルーストは記憶を人間の最も重要な根拠とし、ジョイスは人間の意識の流れを描く革命的手法を開発した。

 だが、彼らと違って、カフカは自己という人間の内面を信じていない。本書に引用されるとおり、カフカは、「自己忘却」こそが「作家であることの第一の前提」であると考えていた。

 そんな人間観をもつカフカにとって、内面を表現することができず、人間をもっぱら外側から描く映画というメディアはうってつけの芸術形式だったはずだ。カフカが様々なかたちで映画的手法やテーマを小説にとり入れたことは当然のなりゆきといえよう。

 映画とは何よりも運動とスピードの芸術である。リュミエール兄弟が発明した映画の初期短編のなかで、「列車の到着」が一番センセーションを呼んだことはよく知られている。カフカの小説にも列車や車など交通機関を描いたものが多いのである。

 また、批評家ベンヤミンは、「カフカ解釈の真の鍵を握っているのはチャップリンだ」と述べたが、カフカの長編『失踪者』のなかには、ドタバタ喜劇のように面白い追っかけの場面が登場する。

 カフカの『城』と映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」のつながりなど、本書を読んでいると、本当にカフカの小説が映画と深い関係をもつように思えてくるのである。