2013-05-07

『カネと文学—日本近代文学の経済史—』

カネトブンガクニホンキンダイブンガクノケイザイシ
カネと文学—日本近代文学の経済史—


山本芳明/著
山本芳明/著
ヤマモト・ヨシアキ

1955年千葉県生れ。1986年東京大学大学院博士課程人文科学研究科国語国文学専門課程単位取得退学。学習院大学文学部教授。著書に『文学者はつくられる』(ひつじ書房)、共編に『編年体大正文学全集別巻
大正文学年表・年鑑』(ゆまに書房)など。

文学はいつから食える職業になったのか——。苦闘の100年を辿る。

明治時代、文士は貧乏の代名詞だった。日露戦争や二度の世界大戦という激動の時代に、その状況はどう変化していったのか。痛ましい生活難をしのぎ、やがて社会的地位を獲得、ついには億を稼ぐ高額所得者が輩出するまで……。日記や書簡、随筆に綴られた赤裸な記録をもとに、近代文学の商品価値の変遷を追うユニークな試み。

発行形態 : 書籍
シリーズ : 新潮選書
判型 : 四六判変型
頁数 : 286ページ
ISBN : 978-4-10-603724-5
C-CODE : 0395
ジャンル : 文学
日本文学の研究
発売日 : 2013/03/29

はじめに
第一章 大正八年、文壇の黄金時代のはじまり
一、あがる原稿料
二、売れる単行本
三、変わる出版販売システム
四、変貌する作家たち その一
五、変貌する作家たち その二
第二章 文学では食べられない!
一、作家と報酬との極めて遠い関係
二、試された啄木の「文学的運命」
三、作家と生活難
四、出版ビジネスのゆくえ
第三章 黄金時代の作家たち
一、島田清次郎とその時代 その一
二、島田清次郎とその時代 その二
三、島田清次郎の栄光と悲惨
四、有島武郎の苦悩 その一
五、有島武郎の苦悩 その二
第四章 円本ブームの光と影
一、黄金時代の終焉
二、縮む文学市場
三、不況下の「新進作家」たち
四、広津和郎の戦い
第五章 文学で食うために
一、芥川賞制定における文藝春秋社の戦略
二、それは[純粋小説論]から始まった
三、流行作家のライフスタイル その一
四、流行作家のライフスタイル その二
五、「純文学」と映画化
六、実践された「純粋小説論」
七、[純文学」と大衆化運動の軌跡 その一
八、[純文学」と大衆化運動の軌跡 その二
第六章 黄金時代、ふたたび
一、単行本がまた売れ出した
二、伊藤整『太平洋戦争日記』の経済学
三、小説家、「現代の英雄」となる
四、不況続きの出版ビジネス
五、作家の高額所得者番付 その一
六、作家の高額所得者番付 その二
七、流行作家のライフスタイル——舟橋聖一の場合
八、「現代の英雄」たちのその後
あとがき

編集者の言葉:文学はいつから食える職業になったのか——。

 明治時代の小説家といえば、森鴎外と夏目漱石の名前がすぐに浮かびます。しかし、文豪と呼ばれる二人でも、専業作家ではありませんでした。森鴎外は陸軍の軍医、漱石は東京帝国大学の講師から、朝日新聞専属の作家になっています。つまり、鴎外にとって作家は副業、漱石は給料をもらって小説を書いていたのです。


『当世書生気質』で日本近代文学の旗手とされた坪内逍遥は、早い段階で作家として活動することを断念し、東京専門学校(後の早稲田大学)の教育者になっています。その逍遥は、文学を職業とする愚を戒める文章さえ発表しています。誰もが知っている漱石の『こころ』や島崎藤村の『破戒』でさえ、最初は自費出版でした。まさしく「文学では食えなかった」のです。


 では、そんな状況が変わりはじめるのは、いつからなのでしょう。日露戦争や二度の世界大戦、関東大震災、世界恐慌など、情勢はめまぐるしく変化します。作家たちの社会的地位や経済状況の変化は、出版ビジネスの発展と密接に関連しています。文学の商品価値が高まれば、必然的に作家のお財布もふくらむわけです。


 明治時代、文士は貧乏の代名詞とさえいわれていたのに、昭和40年代には、億を稼ぐ高額所得者が出現するようになります。明治、大正、昭和にいたる100年に何があったのか。作家たちの日記や書簡、随筆につづられた赤裸な記録をもとに、苦闘の歴史を辿ります。

■書評:波 2013年4月号より

日本近代文学史の風景を塗りかえる

中条省平
(ちゅうじょう・しょうへい 学習院大学教授)


「カネと文学」、凄いタイトルです。文学はカネだ、といっているわけではありません。カネがなければ文学はできない、といっているのです。これでも凄いですね。でも、そういったのは著者の山本教授ではなく、ゾラなのです。ゾラ曰く、
「金銭が作家を解放し、金銭が現代文学を創出したのである」(「文学における金銭」)
 ということは、作家はまずもって食える職業でなければならないのですが、日本では文学の黄金時代のように見える明治の御代にも、作家では食えませんでした。実力・人気ともにナンバーワンの漱石でさえ朝日新聞社員との兼業で食えていたのです。明治41年に国木田独歩が死に、川上眉山が自殺しますが、その要因は経済的貧窮でした。要するに、作家では食えなかったのです。
 そんな状況に変化が生じたのはいつか?
ずばり大正8年だ、と山本教授は断言します。本書は徹底して実証的な記述を積み重ねていきますが、その丹念な資料の博捜の結果なされる断言には千鈞の重みがあり、読者は深く納得させられます。文学史の解説で大正8(1919)年を特筆する本をほかに知りませんが、本書を読んだあとではこの年号を忘れることができないでしょう。著者はカネ、すなわち文学者の経済力をキーワードにして、日本近代文学史の風景をいとも鮮やかに塗りかえてみせます。なんと軽やかな力業でしょう。
 なぜ大正8年なのかという議論は緻密きわまる本書の実証で見ていただくとして、それ以降、文学者の第1期黄金時代を描くにあたって、著者は二人の小説家に対象を絞ります。島田清次郎と有島武郎です。片や大正期最大のベストセラー小説『地上』を書いた天才青年、片や日本人の誰もが知る大文豪です。経済事情を中心にすえて概観するこの二人の生涯の興味深さは格別です。
 島田清次郎、通称島清はいわば新潮社(!)の販売宣伝政策に乗せられてわが世の春を謳歌し、まもなく婦女暴行のスキャンダルに見舞われ、発狂してしまいます。逆に、有島武郎は文学の商業化を拒否して潔癖な出版事業を試みますが、最後は人妻との不倫を夫からカネで清算しろと迫られて、心中に追いやられます。作家の解放の武器であるカネは、両刃の剣だったのです。
 山本史観による日本近代文学史は何度か食える時代と食えない時代が交替するというパースペクティブをうち立てますが、戦前の食えない時代に、食えていた娯楽小説家が次々に過労死した事実も面白いし(失礼!)、戦後の高度経済成長期に作家が「現代の英雄」となっていく経緯を長者番付を駆使して活写するところも本書の読みどころです。
 とくに著者私蔵の舟橋聖一の日記をもとにこの作家の生活を再現し、官能小説家が政財界に力を及ぼした根源が経済力にある、つまりカネだという分析にはじつに説得力があります。日本文学史に新たな展望を開くユニークな労作です。