著者:アドルフ・ロース
翻訳:加藤淳 監修:鈴木了二・中谷礼仁 訳注:早稲田大学中谷研究室
解題:ヴァルター・ループレヒター(Dr.Walter Ruprechter) 解題訳:安川晴基
編集発行:編集出版組織体アセテート
世紀末ウィーンに鳴り響く悪態のマッス!
20世紀建築史上もっとも倫理的な建築家による犯罪的文化論。
非建築のかなたへ。
「刑法125条から133条にいたる条文は僕たちにとってもっとも信頼できるモード誌だ」
────「淑女のモード」より
2011年刊行予定
1898年、世紀末ウィーン。後に20世紀建築史に深いトラウマを与えることになる建築家アドルフ・ロースは、いまだ建築家ではなかった。
装飾を断罪した初の近代建築理論といわれる「装飾と犯罪」はどのように育まれたのか?
「紳士のモード」「淑女のモード」など、「装飾と犯罪」にならぶ重要論文を収録したアドルフ・ロース初期論文集が日本語版初登場。世紀転換期のウィーンから、一世紀にわたり眠り続けてきたモダニズムのパンドラ。
編集出版組織体アセテートによる、ロース全著作集日本語版刊行運動開始。
◆アドルフ・ロースとはだれか
◆「虚空へ向けて(INS LEERE GESPROCHEN)」とは?
◆なぜ非建築論か?
◆アドルフ・ロースとはだれか
アドルフ・ロース(Adolf Loos, 1870-1933)
19世紀末から20世紀初頭にかけ、ウィーンを中心として活動した建築家。
同時に世紀末ウィーンにおける近代文化の批判者としての側面をもった。初期モダニズム建築の巨匠となるコルビュジェやミース、ライトらより一世代前の生まれ。
1908年に執筆された論文「装飾と犯罪」(Ornament und
Verbrechen)は、装飾を犯罪行為と言い切り、その過激さゆえにロースを一躍有名にした。到来する近代に対する洞察の圧倒的鋭さによって後に多大な影響を与えたにもかかわらず、あるいはその早さゆえか、ロースはモダニズム移行期の人物として常に過小評価されてきた。
1870年、モラヴィアの地方都市ブルノに生まれる。ドレスデン工科大学に学ぶが一年で中退。シカゴ・コロンビア万国博覧会訪問のため1893年単身渡米。皿洗いや新聞記者の見習いなど、様々な職種で食いぶちを稼ぎながらアメリカに滞在する。1896年、三年間のアメリカ滞在の後、イギリスを経てオーストリアへ帰国。ウィーンにて建築家としてのキャリアを開始するが、この頃同時に建築にとどまらず広く文化・芸術・風俗を批判する批評家として活動し始める。アメリカ・イギリス滞在中に得た知見を紹介しつつ、爛熟したウィーンの世紀末文化を批判した。→続きを読む
◆「虚空へ向けて(INS LEERE GESPROCHEN)」とは?
アドルフ・ロースの著作は現在ドイツ語圏において三巻本の全集として刊行されている。
それらはロースの生前に著者自身のセレクションのもとに出版された論文集二冊、および死後にそれ以外の遺稿を集めた補稿集である。編集出版組織体アセテートでは今後これらすべての著作を、売っては発行資金を回収しながら継続的に発行する予定としている。
本書『虚空へ向けて』の底本Ins Leere
Gesprochenは主に1897年から1900年までのわずか4年、それもロースの批評家としてのキャリアの最初期に書かれた論文を集めたものであり、ロースの存命中に発行された(1921)。
1898年、アメリカから帰国した後、設計の仕事の傍らにぼちぼちと批評の仕事をこなしていた27歳の青年ロースに大きな仕事が舞い込む。この年、ウィーンでは1848年3月の革命??つまり皇帝フランツ・ヨーゼフの即位50周年を記念する展覧会が開催される。ロースはこの一大国家事業のレビューを半年にわたり連載する機会を得るが、この連載こそが本書『虚空へ向けて』のヴォリュームの中心をなすものである。ウィーンにおける都市生活を近隣諸国に知らしめるという国揚的な性格をもった展覧会のレビューという条件も手伝い、結果からみれば論考の題材となったのは工芸、家具、インテリア、そしてファッションといった、当時転換期にあったウィーンの近代的都市生活を「装う」様々な意匠についてであった。
執筆当時、ロースは本書『虚空へ向けて』のタイトルを現在とは別のもの、『近代的神経とその装い』として構想していた。数々の非建築的題材のなかでも、当時のロースの関心を最も占めていたのは明らかにファッション(=モード)の問題であり、そしてそれは後のロースの問題構成を一挙にカバーする題材だった。ロースにとってモードは近代的神経の症候を最も端的に表す指標であった。→続きを読む
◆『虚空へ向けて』目次
●はすべて本邦初訳
初版への序文...● Vorwort Zur Erstausgabe...●
第二版への序文...● Vorwort Zur Zweiteausgabe...●
美術工芸学校の学校展覧会...● Schulausstellung Der Kunstgewerbeschule...●
オーストリア美術館におけるクリスマス展示...● Weihnachtsausstellung Im Österreichischen Museum...●
美術工芸の展望1...● Kunstgewerbliche Rundschau I...●
美術工芸の展望2...● Kunstgewerbliche Rundschau II...●
オーストリア美術館におけるイギリス派...● Die Englischen Schulen Im Österreichischen Museum...●
ジルバーホフとその界隈...● Der Silberhof und Seine Nachbarschaft...●
紳士のモード...● Die Herrenmode...●
新しい様式とブロンズ産業...● Der Neue Stil Und Die Bronze-INDUSTRIE...●
室内...● Interieurs...●
ロトンダの室内 Die Interrieurs In Der Rotunde
椅子...● Die Sitzmöbel...●
ガラスと陶土...● Glas und Ton...●
デラックスな馬車 Das Luxusfuhr Werk
鉛管工...● Die Plumber...●
紳士の帽子...● Die Herrenhüte...●
靴...● Die Fussbekleidung...●
靴職人...● Die Schuhmacher...●
婦人のモード...● Damenmode...●
建築材料 Die Baumaterialien
被覆の原則 Das Prinzip der Bekleidung
下着...● Wäsche...●
家具...● Möbel...●
1898年の家具...● Die Möbel Aus Dem Jahre 1898...●
印刷工...● Buchdrucker...●
オーストリア美術館における冬期展覧会...● Die Winterausstellung Im Österreichischen Museum...●
オーストリア美術館の散策...● Wanderungen Im Österreichischen Museum...●
ウィーンのスカラ座...● Das Scala-theater In Wien...●
メルバとのステージ・デビュー...● Mein Auftreten Mit Der Melba...●
ある貧しい裕福な男について...● Von Einem Armen, Reichen Manne...●
あとがき...● Nachwort...●
◆なぜ「非建築」論か?
講演をもとにした論文「装飾と犯罪」は、モダニズム建築における装飾の排除を言明したものとして一般に理解されがちであるが、しかしこの理解はロースの思考の射程にとっては片手落ちである。なぜならロースの著作において、いわゆる建築論の比率はきわめて少ないからである。「建築家」ロースの言葉を、非建築論として再読することが求められている。
「装飾と犯罪」で、ロースは日用品からの装飾の排除を説いた。しかしそれは、芸術における装飾の根源性と、同時にそれが避けがたいことを彼が深く意識していたからである。造形芸術の起源を犯罪者の刺青や便所の卑猥な落書きに求めるロース。彼はそれをヒトに本来的な、エロティックな衝迫として認めつつ、しかし同時にそれを近代人においては克服されるべき欲動として断罪する。人間の本性を超えようとする超人理論としての「装飾と犯罪」。近代芸術における装飾をめぐる問題はロースによってケリをつけられたどころか、この論文によって初めて設定されたといってよい。→続きを読む
◆翻訳者プロフィール
加藤淳(かとう・じゅん)
フリーライター/慶応大学文学部卒。ベルリン工科大学中退。在ベルリン10年。通訳、翻訳、現地コーディネーターなど職業を転々として2008年春帰国。虚空へ向けて時代のアドルフロースを彷彿とさせる人物。10年の肉体的知性にもとづき渾身の翻訳活動を開始。
◆監修者プロフィール
鈴木了二(すずき・りょうじ)
建築家。鈴木了二建築計画事務所主宰。早稲田大学教授/1944年東京都生まれ。1968年早稲田大学理工学部建築学科卒業。竹中工務店、槇総合計画事務所を経て、1977年早稲田大学大学院修了後、fromnow建築計画事務所を設立。1983年鈴木了二建築計画事務所に改称。現在、早稲田大学教授。1977年「物質試行37
佐木島プロジェクト」で日本建築学賞作品賞を受賞。また2005年、本書の対象である「物質試行47
金刀比羅宮プロジェクト」が第18回村野藤吾賞に輝く。美術家とのコラボレーションや映画の制作も行う。ICC企画展「バベルの図書館」において「物質試行39
Bibiloteca」(1988)、16mmフィルム「物質試行35
空地・空洞・空隙」(1992)。主な著書に「建築零年」(2001)や「非建築的考察」(1998)ほか。
中谷礼仁(なかたに・のりひと)
早稲田大学理工学術院建築学科准教授/1965年生まれ。歴史工学。特異な活動で知られる建築史家.近世大工書の編纂,古代から現在までの土地形質の継続性と現在への影響の研究,最近では90年前に今和次郎が訪れた民家すべてを再訪し,その変容を記録する活動を主宰.編集出版組織体アセテートを作り,レアで普遍的な他人の著作を刊行.著書に『セヴェラルネス
事物連鎖と人間』(鹿島出版会,2005) 『国学・明治・建築家』(一季出版、1993) など.
◆解題者プロフィール
ヴァルター・ループレヒター(Walter Ruprechter)
首都大学東京都市教養学部教授/1952年オーストリアMatrei
Osttirol生まれ。1972年インスブルック工業専門学校建築学専攻。アビトゥアー(大学入学資格)取得。1973-1983年ウィーン大学でドイツ文学、美術史、(歴)史学を学ぶ。博士学位を取得し卒業。出版社Medusa.Berlin
.Wienの企画・編集に携わる。1985-1987年日本大学講師。1987-1992年
ウィーン大学講師。1992年より現職。出版物に関しては、オーストリア現代文学、オーストリア文化史(ウィーン近代を中心に)、文化交流の現象と理論(特に日本と西洋の間をめぐって)についての論文を執筆。出版物に、オーストリア現代文学「文化学的転回のトポスとしての「日本の家」研究ー西洋と日本を結ぶ建築家の言説」(2009年度-2010年度)。
◆解題訳者プロフィール
安川晴基(やすかわ・はるき)
千葉工業大学社会システム科学部助教/1973年広島県生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科独文学専攻博士課程単位所得退学。2004-2007年、ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてベルリン自由大学博士課程に在籍。専攻、ドイツ文学。