安部公房——自由、無国籍な「世界文学」(忘れがたき文士たち)
2011/10/16日曜 日本経済新聞 朝刊 23ページ 1871文字
記事署名:編集委員 浦田憲治
1991年12月20日、東京・新宿の京王プラザホテル内の、会員制クラブで、安部公房さんにじっくり話を聞いたことがあった。7年ぶりに長編小説『カンガルー・ノート』を刊行したばかりだった。
安部さんは大江健三郎さんと並んで日本のノーベル文学賞の有力候補だった。代表作『砂の女』はフランスで日本人として初めて最優秀外国文学賞を受賞し、勅使河原宏監督が手がけた映画はカンヌ映画祭で審査員特別賞に輝いた。『壁』『他人の顔』『燃えつきた地図』などの主要作品はほとんど外国で翻訳され、「前衛作家」として世界的な名声を得ていた。しかし、日本では「前衛の時代」が過ぎ去っていたこともあり、人気は下降ぎみだった。
安部さんは多少、そのことを気にしていたように見えた。洋酒が並んだラウンジで自身の文学についてこう語った。
「僕の作品は少しも難しくはないんだ。知的レベルの高い人物は決して登場させてこなかったし、目で見えているふつうのことしか書かない。観念的な言葉も使わない。読者がその人なりの感性で自由に読めるように書いているつもりだ」
たしかに安部さんの文学は様々な楽しみ方ができた。関心を寄せるカフカやルイス・キャロルやガルシア=マルケスなどの作家のように奇妙なイメージや巧みな物語の運びで読者をぐいぐい引きずり込んでいく。ミステリーのように読めるし、哲学的、寓話(ぐうわ)的な作品としても楽しめる。テーマや意味が一つに固定せずに、拡散しているのが魅力だった。
例えば、砂丘に昆虫採集に出かけた男が、謎の女が住む砂の穴に閉じ込められてしまう『砂の女』。男は穴から脱出しようと何回も逃亡を試みるが、その度(たび)に失敗してしまう。やがて男は砂穴の生活に順応し始め、脱出の機会が訪れてきても逃げようとはしなくなる。
主人公に「拘束」のなかに「自由」を探る実存主義者の姿を見いだすことができる。あるいは国家と現代人の関係を風刺しているとも読める。
「カフカの小説のような、構造が全部ぬけたテントの梁(はり)みたいな小説が好きなんだ。外から見ただけでは中身がまったく想像できない作品。一つ一つのイメージはとても明瞭なんだが、横に並んでいたものがいつの間にか縦に見えてくる迷宮のような作品だ」と語った。
たしかに安部文学はSF的、超現実主義的、幻想的、寓話的、迷宮的で、どれをとっても前衛的だった。日本の伝統や民族性からは自由な、無国籍の「世界文学」だった。幼少時に父母と満州(現・中国東北部)に渡り、異郷の地で敗戦の混乱を体験したことで、国家に縛られない自由な発想や歴史観を養った。個人を飲み込む共同体のあり方に疑問を抱くようになり、人間の裸の姿を共同体の外部から冷静に見つめるようになった。
東大医学部出身の秀才で、数学や科学に強く合理的思考の持ち主だった。機械にも強く、高級カメラ、ビデオ、シンセサイザーを愛用し、スポーツ車を乗り回した。日本の作家では初めてワープロを使って長編小説『方舟さくら丸』を書いたことでも話題になった。当時は小説にはワープロは適さないという空気が支配的だったが「脳に連動するのは目で、目で確認しながら打てば、手で書くのと変わりない」と擁護した。ワープロだとふつうは作品が長くなりがちだが、安部さんはその逆で、ワープロを使って徹底的に推敲(すいこう)したり、原形をとどめないほどに削ったり、どんどん短くしていった。
あまり知られていないのが、官能性だ。映画「砂の女」では岸田今日子さんが好演していたが、安部さんの作品には、必ず不思議なエロチシズムをたたえた女性が登場する。
ユーモアにも富んでいた。『方舟さくら丸』の「ユープケッチャ」という虫のような、おかしな仕掛けが登場した。遊び好きで、表紙カバーには『箱男』ではゴミの写真を、『カンガルー・ノート』ではすっぽんの頭の骨の写真を使った。
安部さんはインフルエンザで倒れて入院し、93年1月22日に急逝した。東京調布市の自宅で行われた葬式は「死んで焼かれれば炭酸カルシウムになるだけ」と語った安部さんらしく、一切の情緒的なものを排した無宗教の簡素なものだった。
日本代表する前衛作家
あべ・こうぼう(1924〜1993)東京生まれ。少年期を満州(現・中国東北部)で過ごす。東大医卒。51年「壁—S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞。『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』『方舟さくら丸』『カンガルー・ノート』と長編を発表。戯曲に『友達』『棒になった男』などがある。