2012-05-31

『象徴としての女性像 ─ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象』

# 定価:5,145円(税込)
# Cコード:0071
# 整理番号:
# 刊行日: 2000/05/09
# 判型:A5判
# ページ数:528
# ISBN:4-480-87321-X
# JANコード:9784480873217

■目次

第1章 女神の没落
第2章 禍いをもたらす女
第3章 ルクレティア—ファロス(男根)の帝国
第4章 紡ぐ女—アテナとアラクネ
第5章 女英雄ユーディットの変容

■内容
家庭内では出産・育児を引きうけ、また劣等であるがゆえ社会から遠ざけられ、さらに、男をたぶらかす悪者とされてきた、物言わぬ「女」たち。彼女らがどのようにとらえられ、表象されてきたか—その波瀾万丈な変遷を丹念にたどる新しい美術史。

国家の象徴、男を滅ぼす悪者……男は女をどう描いてきたのか。美術史上の女性像の成立と受容をたどり、その波瀾万丈な変遷を跡づける画期的ジェンダー美術論。

■書評
増え続けるイメージの中で

深瀬有希子
(慶應義塾大学・院)

 駅の売店はさながら女たちの小さな美術館だ。雑誌の表紙を飾る女たちが所狭しと並んでいる。ブランドの鎧で身をかため、いざ出陣のキャリア風の女たち。冬の最中にビキニを着ている、たわわな乳房の女たち。あったかモヘヤのセーターに守られて、誰の帰りを待つの癒し系の女たち。しかし彼女たちは何を表わしているのだろう。

 かつて街にある彫像を調査し、なぜ公共空間に女性ヌードが置かれているのかと問うた、フェミニスト美術史家・若桑みどりの『象徴としての女性像』は、私たちに再び『絵画を読む』ことを教えてくれる。本書は20年前に著者自身が「陥った過ち」を見直すべく執筆された。著者は『寓意と象徴の女性像』において、西洋には、例えば「真理」という、「高貴な尊厳にみちた上位
の観念を象徴する女性像がある」ことに「始終高揚」していた。けれどもその女性像は、現実社会において女性が高い位
置を占めていることを示してはいなかった。だとしたらなぜ、それらのイメージが女性にあてがわれたのか。著者は伝統的な図像解釈学に、フェミニズム、ニュー・ヒストリシズム、ポスト・コロニアリズムといった現代批評理論を導入しつつ、その問いの答えを、イシス、デメテル、パンドラ、エバ、マリア、リリト、ルクレティア、アテナ、アラクネ、ユーディットといった女性たちに求めていく。

 紀元前7000年から現代に及ぶ西洋美術や文学の中に描かれた女性像の変遷を辿る本書は、全5章にわたる大作だ。途中私たちは、扱われる時代や土地に隔たりを感じ、ともすると「ここに分析された女性イメージは決して過去のものではない」という序論における著者の言葉を忘れかけてしまう。しかし、他の章と構成をわずかに異にする第3章「ルクレティア--ファロス(男根)の帝国」において現実に引き戻される。なぜならその第1節において、覚えも新しい「沖縄における少女レイプ事件をめぐる規範的言説」が論じられるからだ。著者は、被害者が「少女」ゆえに表面
化したこのレイプ事件は、沖縄における米軍基地縮小要求という政治的議論を展開するための単なる「きっかけ」になり下がり、性暴力があるのは基地があるからだという代表的見解は、「基地をなくし、戦争をなくしても、力による他者(女性)の抑圧と支配の集団心理とその構造が温存される限り断じてレイプはなくならない」ということを隠蔽していると主張する。そのあとで、およそ2500年以上昔の「歴史上もっとも有名な強姦事件」の被害者である一女性を著者は描く。

 彼女の名はルクレティア。夜遅く帰宅した夫コラティヌスは、王子タルクィヌス・セクストゥスを連れてきた。ルクレティアは嫌な顔一つせずタルクィヌスを歓迎する。皆が寝静まったその時、タルクィヌスはこのできた女ルクレティアの床に忍び寄り剣をもって結婚を迫る。ルクレティアは拒んだにもかかわらず・・・。翌朝ルクレティアは父と夫に昨夜の事件をすべて語り、その復讐を願いつつ自らの胸を刺して息絶える。ルクレティアの父、夫、そして彼らの友人たちはこの事件を「きっかけ」に集結し王一族を追放する。ルクレティアの物語は、王子タルクィヌスとの間の真相をめぐって多くの芸術家や批評家の想像力を喚起した。

 そしてここに一枚の絵がもたらされる。それはすでに死して横たわるルクレティアの傍らで、男たちが手をとりあって王家打倒の誓いをしている場面
を描く。あるいはまたもう一枚の絵においては、前作では服を着ていたルクレティアは、ビーナスにも似た裸の姿で、長い布をもってその顔を隠している。ルクレティアは何も語らない。これらのルクレティアに対して著者がなすことは、彼女自身が何を語ろうとしていたかを安易に読みとったり、彼女に代わって「ノー」と叫ぶことではない。そうではなく、描かれた彼女を通
じて男たちが何を語ろうとしていたかを探ることである。

 先の絵において、自ら死を選び、服を着たままの姿のルクレティアは貞淑とモラルの遵守を表わす。そしてこの貞淑なるルクレティアが画面
の隅に追いやられ、男たちの復讐と共和国建国の誓いの姿が中心に置かれることによって、男女間の性的な事件は政治的事件にすり変えられた。また二つ目の絵においてルクレティアは、なぜ顔を隠しているのかと不審がられ、隠しているのは思いがけず感じてしまった快楽の笑みだろう、と解釈されたのだった。しかし一体なぜ、恐怖と屈辱のせいではないのだろうか。かくして家父長的解釈史の文脈において、貞淑な妻ルクレティア像は欲望と堕落の表象に変化し「永遠にレイプされる」。

 このように、ひたすら一方的に意味を与えられ描かれるだけの女たちを見て苦しくなり、私は半ば救いを求めるようにして読み進めていく。著者はその期待を決して裏切らない。彼女は17世紀初頭の女性画家アルテミジア・ジェンティレスキ
(1597-1652頃)によって描かれ、フェミニスト美術史家メアリ・ガラードをして「史上初の反男性中心主義的ルクレティア図像」と言わせしめた、一作品をとりあげる。ジェンティレスキのルクレティアが、500頁におよぶ本書の中で一頁まるまる使って最も大きく取り上げられたこと自体に、読者は著者が語ろうとしている何かを読み取らなくてはいけないだろう。そのルクレティアは、剣を持っているが決して自らの肉体を突き刺すことはしない。彼女は「受動的な美徳の実践者でもなく、悲劇的なあきらめのヒロインでもなく、自分の運命を自分で選択するために苦悶」する女性であり、「彼女が抵抗するものは、強姦者のみではなく、彼女のまわりのすべての男性に対してである」。

 全章を通じて著者の主張は一貫している。エバがアダムの骨から創られたように、アテナがユピテルの頭から生まれたように、女性=シンボルは男性によって作られた。そしてそれがいかに家父長制度を男女両性に内面
化するために生産され続けたかを、著者は豊富な図版と膨大な先行研究をふまえながら巧妙に暴き出す。それは、家父長制という壮大なタペストリーを、タペストリーの中に編み込まれてきたまさにその対象であるところの女たち、ひいてはそれを作り上げてきた男たちの目に明らかにし、男女双方がともに抱える「内面
の呪縛」を解放するための一つの芸術的作業である。

 しかし私たちは、家父長制のタペストリーに描かれた女たちが「決して過去のものではない」というこの芸術家=著者の言葉を忘れてはいけない。キャリア風の女にせよ、ビキニ姿の女にせよ、癒し系の女にせよ、探し求めている本当の自分もまた一つのイメージだとしたら、一体私たちはイメージを越えることができるのだろうか。あるいは私たちは、増殖し反復されるイメージの只中をこれからも彷徨い続けなければならないのだろうか。渋谷ではかつていた「ヤマンバ」は消え去り、今は「アマゾネス」が出現しているという。長いしなやかな肢体を持ちかつグラマラスな彼女たちは、パンツ・スタイルで街を闊歩し時には大型バイクを乗りこなす。しかし、自らの生き方を意思的に選ぶ彼女たちが「アマゾネス」と呼ばれた瞬間、そこに私は、ギリシャの神殿に彫られた「ヘラクレス」によって退治される「アマゾネス」を思い起こさずにはいられない。
■ 若桑 みどり

ワカクワ ミドリ

1935-2007年。東京芸術大学美術学部芸術学専攻科卒業。1961-63年、イタリア政府給費留学生としてローマ大学に留学。専門は西洋美術史、表象文化論、ジェンダー文化論。千葉大学名誉教授。『全集
美術のなかの裸婦寓意と象徴の女性像』を中心とした業績でサントリー学芸賞、『薔薇のイコノロジー』で芸術選奨文部大臣賞、イタリア共和国カヴァリエレ賞、天正遣欧少年使節を描いた『クアトロ・ラガッツィ』で大佛次郎賞。著書に『戦争がつくる女性像』『イメージを読む』『絵画を読む』『象徴としての女性像』『お姫様とジェンダー』『聖母像の到来』など多数。

■「猫に鰹節」……追悼若桑みどり
上野千鶴子
(うえの・ちづこ 東京大学教授 社会学)

 若桑みどりさんがいなくなった。今でも信じられない。亡くなった、というより、いなくなった、というのが実感に近い。
 なにしろ格調高い美術史学界のひとだから、わたしとは無縁だと思っていた。そのひとが『戦争がつくる女性像——第二
次世界大戦下の日本女性動員の視覚的プロパガンダ』(筑摩書房、一九九五年、ちくま学芸文庫収録)で、急速にジェンダー史に接近してきたのは九〇年代半ば以降。あとがきには、「戦争中に生まれ、子供時代に疎開と空襲を体験した」とある。若桑さんご自身の、「これだけは言っておきたい」という焦迫の思いがあふれている。
 八五年にはすでに『女性画家列伝』(岩波新書)を刊行しておられたが、九〇年代以降には、「慰安婦」や「教科書」問題にも積極的に発言し、千野香織さんたち若手とイメージ&ジェンダー研究会をつくるなど、積極的に「ジェンダー研究」の推進役を買って出られた。美術史の現状に対するふんまんやるかたない思いばかりでなく、九〇年代以降の右よりの思潮によほど危機感をつのらせておられたのであろう。その千野さんも四十九歳で早逝した。
 学問界隈では「ジェンダー研究者」を名のってよいことは何もない。業界内の周辺部に追いやられるだけである。とりわけ、美学や芸術学の分野に「ジェンダー」などの、俗世間の変数を持ちこむことはタブー。美の価値は、時代も世代も性別も超える、と考えられているからだ。若桑さんは、その頃すでにエスタブリッシュメントだったが、腹をくくってジェンダー研究を引き受けられたのだと推察する。
 若桑さんには『岩波近代日本の美術2
隠された視線——浮世絵・洋画の女性裸体像』(岩波書店、一九九七年)という日本近代美術史をジェンダー視点から読み解いた名著があるが、その一節が忘れがたい。なぜ近代美術はあくことなく、女のハダカばかり描いてきたか、という問いを立てて、彼女はこうきっぱり答えたのだ。
「鰹節の像を膨大に生産・消費する文明の、生産・消費の主体は猫である。」(同書、一六頁)
「猫に鰹節」のたとえどおり、「女のハダカ」を欲望する者はだれか?
男に決まっている。男支配の家父長制社会だからこそ、女のハダカが「美」として尊重されるのだ、と。この一節を講演で紹介するときには、いつも笑いをこらえられない。こんな卓抜なたとえは、彼女以外のだれも思いつかないだろう。
 わたしが若桑さんと急接近することになったのは、バックラッシュのおかげである。二〇〇六年一月に、国分寺事件として知られる、東京都が上野を講師とする人権講座に介入して、東京都と国分寺市共催予定だった講座がとりやめに至った事件(翌年、国分寺市主催で実施)が発覚。それというのも、女性学研究者である上野が、講演で「『ジェンダーフリー』という言葉を使うかも」という、言論統制、思想信条の自由をおびやかすような理由からだった。ただちに抗議行動を起こしたわたしを支援して、ネット上で三日間で一八〇八筆の抗議署名が集まった。若桑さんたちが代表して、東京都へ署名を届けたその記者会見の場で、彼女は「どうしてこんなアクションを起こしたのか」と新聞記者に訊かれて、「上野さんを孤立させてはならないと思ったから」と答えたのだ。その抗議行動の成果は、彼女も編者のひとりとなった『「ジェンダー」の危機を超える!
徹底討論! バックラッシュ』(青弓社、二〇〇六年)となって刊行されている。
 時と所はタカ派政治家、石原慎太郎政権下の東京都。そののちネオコン政治家の安倍晋三が内閣首班になって、ジェンダー関係者の危機感はつよまった。二〇〇七年の四月には、石原暗黒都政がこれ以上続くのだけはまっぴらごめん、と若桑さんとわたしは、選挙カーに乗ってマイクをにぎった。彼女は自分で寸劇のシナリオを書き、扮装して「都庁の虎退治」を路上で演じた。選挙で走り回る仲間のためにさりげなくペットボトルの冷たいのみものを、袋一杯用意する心遣いのあるひとだった。
 熱血で純情で、義侠心に富んだひとだった。味方につければ百万倍の力になるひとだったのに……そのひとをとつぜん失った。その穴を埋めるものは、ない。