2012-06-07

『映画と国民国家 1930年代松竹メロドラマ映画』

御園生 涼子
ISBN978-4-13-080216-1, 発売日:2012年05月下旬, 判型:A5, 304頁

■内容紹介

文化・資本が国境を越え流動化していった1930年代,映画はいかにグローバル資本主義と結びつき,国民国家を強化したか.『その夜の妻』『非常線の女』から『愛染かつら』まで,松竹メロドラマ作品を詳細に分析し,その物語に潜む政治イデオロギーを抉り出す.

「女性という主体」から映画学・映画批評界に一石を投じている。旧来の「男たち」による小津安二郎神話が解体され、軽視されてきたメロドラマの政治性に目を向けている。

■主要目次

序 章 メロドラマの近代
第1節 国境横断的な文化形式としてのメロドラマ
第2節 女性映画としてのメロドラマ映画——消費文化における女性の主体化/客体化
第3節 「国民国家」の臨界点としてのメロドラマ映画
第1章 サスペンスと越境——小津安二郎の「犯罪メロドラマ映画」
第1節 近代都市の境界——『その夜の妻』
第2節 アメリカン・ギャングスター——『非常線の女』
第2章 港の女たち——清水宏の「堕落した女のメロドラマ」
第1節 国境を漂う女たち——国民国家と帝国建設の狭間で
第2節 「混血」という戦略——『港の日本娘』
第3節 「母性愛メロドラマ」と「無国籍者たち」——『恋も忘れて』
第3章 二つの都市の物語——島津保次郎『家族会議』と「メロドラマ的創造力」
第1節 1936年2月26日——交錯するマス・メディアの網の目
第2節 複数のメディアを越境する
第3節 「レトリックの論理」——三木清のメディア論
第4章 「大衆」を「国民化」するイメージ——野村浩将『愛染かつら』と「母性愛メロドラマ」
第1節 熱狂したのは誰だったのか?
第2節 「大衆」と「国民」の狭間で
第3節 「大衆」のためのメロドラマ——『愛染かつら』の物語構造
第4節 「大衆」の時間、「国民」の時間——「すれ違い」というレトリック
第5節  呼びかける「母」の歌声——「大衆」のイメージから「国民」のイメージへ
終 章 メロドラマ的二元論の彼方へ

■御園生 涼子
MISONOU Ryoko

1997年東京大学文学部英語英米文学科卒業、2002年パリ第八大学造型文化学科DEA課程修了、2006年東京大学大学院総合文化学科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了、博士(学術)(東京大学)

十九世紀後半に誕生した映画という文化形式が、二〇世紀における感覚知覚の変容とメディア文化の拡大を通じて、どのようにグローバルな文化的・政治的地政学の構築に参与していったのかを考えてきました。主に両大戦間期における文化の流動性、無国籍者や異種混淆性といった概念を手掛かりとして、日本、アメリカ、ヨーロッパの映画を中心に研究しています。

■御園生涼子博士論文公開審査

論文題目:「越境する情動:一九三〇年代松竹メロドラマ映画における文化の流動性」

審査員(順不同):松浦寿輝・浦雅春・内野儀・吉本光宏・蓮實重彦