2012-06-06

『評伝ゲルツェン』

■評伝ゲルツェン
 成文社 長縄光男著 価格:¥7,140
 評 佐藤優(作家、元外務省主任分析官)

■「露魂洋才」の知識人

 19世紀ロシアの知識人ゲルツェンに関する見事な評伝だ。後進国であるロシアの知識人は、「西欧のそれとは異なり、基本的には『国策』にそって人為的に作り出された階層であった」。しかし、知識人の多くは、国策に合致しない革命家となり、亡命を余儀なくされた。ゲルツェンもその一人だ。

 ロシア思想史でゲルツェンは西欧派の代表者と見なされるが、決して外国かぶれではない。ロシアの近代化は、西欧の矛盾を克服し、社会主義革命によって実現されると考えた。社会主義によって人間の自由と幸福が実質的に保障されると信じたのである。同時にゲルツェンは、マルクス主義的な社会主義の危険性を察知していた。そのことが、初期マルクスの思想形成に大きな影響をあたえたヘスとゲルツェンの論争で浮き彫りになる。この点について著者の以下の評価が興味深い。

「早い話、ソ連邦が『社会主義(共産主義)』社会の建設に失敗した今日、『今やプロレタリアートの時代だ』『プロレタリアートの革命に拠(よ)ってヨーロッパは再生するのだ』というヘスの議論は空(むな)しいものに見えるのに反して、『民主主義』や『自由』という近代思想の普遍的成果と思われる理念自体、それが『大義名分』と化したときは、『個人の尊厳性』にとって抑圧者、敵対者でしかありえず、そこに政治史的視点からする『進歩』は何の意味も持たないというゲルツェンの批判は、むしろ今日ただ今の議論として聞いても、それほど違和感はないだろう」

 評者も長縄氏の評価に同意する。西欧近代文明も社会主義もゲルツェンにとっては外皮にすぎない。反体制的言語を用いながらゲルツェンはロシアとロシア人を心底愛し、後進国ロシアの生き残りを真剣に考えて行動した。「露魂洋才」の知識人なのだ。

 「内面の変革を抜きにした外面的変革」では、真の改革はできないというゲルツェンの指摘は、21世紀の日本においても有効だ。日本の復興には、内側から日本人を変革する思想に命を懸ける知識人が必要だ。(成文社・7140円)

 評・佐藤優(作家、元外務省主任分析官)
///////////////////////////////////////

ISBN978-4-915730-88-7 C0023
A5判上製 本文縦2段組560頁
定価7140円(本体6800円+税)
2012.01

トム・ストッパードの長編戯曲「コースト・オブ・ユートピア──ユートピアの岸へ」の主人公、アレクサンドル・ゲルツェンの本邦初の本格的評伝。十九世紀半ばという世界史の転換期に、「人間の自由と尊厳」の旗印を高々と掲げ、ロシアとヨーロッパを駆け抜けたロシア最大の知識人の壮絶な生涯を鮮烈に描く。生誕二〇〇年記念出版。

# 目次

 はしがき
 プロローグ

第一部 一八一二年─一八四〇年
 第一章 父のこと、母のこと
 第二章 目覚め
 第三章 学生時代
 第四章 逮捕
 第五章 流刑 ペルミ
 第六章 流刑 ヴャトカ
 第七章 流刑 ウラジーミル

第二部 一八四〇年─一八四七年
 第一章 転々(モスクワ─ペテルブルグ─ノヴゴロド、一八四〇─一八四二)
 第二章 モスクワ帰還
 第三章 ゲルツェンのいないモスクワで(一)──一般的風潮──
 第四章 ゲルツェンのいないモスクワで(二)──チャアダーエフとカトリック的西欧主義──
 第五章 ゲルツェンのいないモスクワで(三)──イヴァン・キレーエフスキーとスラヴ主義の成立──
 第六章 ゲルツェンのいないモスクワで(四)──スタンケーヴィチ、ベリンスキー、バクーニン──
 第七章 新しい地平 『学問におけるディレッタンチズム』(一)
 第八章 新しい地平 『学問におけるディレッタンチズム』(二)
 第九章『自然研究書簡』──「近代的知」の系譜を訪ねて──
 第十章 小説 『誰の罪か?』、『どろぼうかささぎ』、『クルーポフ博士』
 第十一章 西欧派の分岐、そして出国

第三部 一八四七年─一八五二年
 第一章 一八四七年 パリ
 第二章 嵐の前 イタリア(一八四七年十月─一八四八年四月)
 第三章 嵐の中 二月革命
 第四章 嵐の後 向こう岸からの思想
 第五章「ロシア社会主義」論
 第六章「お金」のはなし
 第七章「家庭の悲劇の物語」

第四部 一八五二年─一八七〇年
 第一章 自由ロシア出版所
 第二章『北極星』
 第三章『ロシアからの声』──「ロシアのリベラル」の登場──
 第四章『コロコル(鐘)』──「大改革」への発言──
 第五章 vs チチェーリン
 第六章 父と子──vs チェルヌイシェフスキー&ドブロリューボフ──
 第七章 上げ潮──「解放」のあとさき──
 第八章 引き潮──「ポーランド問題」──
 第九章 最後の闘い

 エピローグ
 あとがき

 関連文献抄録
 ゲルツェン略年譜
 事項索引
 人名索引

# 著者紹介

長縄光男(ながなわ・みつお)
一九四一年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。 現在、横浜国立大学名誉教授。
著書に『ニコライ堂の人びと──近代日本史のなかのロシア正教会』(現代企画室)、『ニコライ堂遺聞』(成文社)、編著に『異郷に生きる』、『異郷に生きるII』、『遥かなり、わが故郷──異郷に生きるIII』、『異郷に生きるIV』、『異郷に生きるV』(いずれも成文社)。訳書にリハチョーフ『文化のエコロジー──ロシア文化論ノート』(群像社)。共訳書にゲルツェン『過去と思索』全3巻(筑摩書房、日本翻訳出版文化賞受賞、木村彰一賞受賞)、『ロシア革命批判論文集』(1・2)(現代企画室)など。